第53話:Invitation

「お待たせ。遅れてごめんな、掃除が長引いて」

「いえいえ! わたしも今来たところですから!」

その日の放課後、要はいつものように道路脇に立っている陽葵に口を開いた。「ごめん」と言ったものの、彼女は笑みを崩さず、気にも留めていないようだ。


二人が通う羽星高校の掃除のシステムは少し特殊で、クラス四十人をAからHまでの班に分け、そのうちの六班が掃除を担当する。掃除する場班と場所は月毎に変わり、そのため数ヶ月に一度掃除をしなくていい月があるわけだ。今回彼女が早いのはそのためだ。もっとも掃除があってもなくても、彼女は毎日要より早いのだが。


陽葵は襟元を扇ぐのをやめると、お尻をブロック塀から離した。


「それじゃ、帰りましょう!」

「ああ」

二人は体の向きを揃え、同じ場所に向けて歩きだした。



要たちが帰るときの話題は様々だ。勉強のこと然り、今日あった出来事然りである。決まってこれを話す、ということはなく、頭に降って湧いたことを半無意識的に吐き出しているだけだ。しかし、今日は二人に明確な目的がある。


二人は横並びに歩きながら、今朝の朝礼前のことを思い起こした。

二人の目的とは、週に一回登校を共にしようと誘うことだ。

なんの因果か彼らの要らぬ気遣いか、響と舞海は来週から平日五日の内一日だけ、一緒に登校することにしたそうだ。その分要の誰かと登校できる日が生まれるので、要は陽葵を誘おうと、陽葵は要を誘おうと画策しているわけだ。当然のことながら、二人は互いに考えが同じであると思っていない。


そのためこの二人は今日、少し浮ついているように見える。特に陽葵がだ。必要以上に辺りを見回し、口を開いては閉じている。


「要くん、最近勉強はどうですか?」

どうやら陽葵はまず、他愛ない世間話から始めることにしたらしい。要に目を向け、少しぎこちなく笑いかける。


要の方も普段より落ち着きがなく、どこか浮ついていて、陽葵の不審さにまで気がいかなかったらしい。


「まあ普通だな。時間は増えたけど、章末問題とかで確認してみないとなんとも言えない。もし悪かったらもうちょい時間増やさなきゃな」

「ま、まだ増やすんですか」

要のここ最近の勉強時間は平日四、五時間ほど。いかにテスト期間とはいえ、高校一年生にとってはかなり多い方ではなかろうか。


「できれば睡眠時間は削りたくないな……覚えたこと定着しなくなるし」

「ね、寝る時間まで削って勉強する必要ないですよ! 健康より大事なものなんてありませんから!」

「陽葵はもう少し健康より学力に重点を置いた方がいいと思うぞ。帰ったら勉強するからな」

「うっ……」


「聞かなきゃよかった……」と遠い目をしながら、彼女は本題に踏み込んだ。


「そういえば要くん、今朝のことなんですけど……」

「ああ、一緒に登校したな」

「聞くところによれば、なにやらご迷惑をおかけしてしまったようで……」


そこまで言われ、彼女は要が朝礼前、教室で複数の男子に絡まれたことを謝っているのだと気づいた。陽葵は眉を下げ、心苦しいそうに表情を曇らせる。

つまり彼女は、それが自分のせいだと思っているわけだ。こうなると予想していた要を押し切り、二人での登校を強いた自分のせいだと。


「あれは別に陽葵のせいってわけじゃないと思うぞ。なんなら明確に誰のせいってわけでもない。強いて言えば、あの三人組じゃないか?」


要はもとから、これが陽葵のせいだとは考えていなかった。彼女が昨日言ったように、要や陽葵が誰と登校するかを選ぶ権利はそれぞれにあり、それは誰かにとやかく言われるものではない。


「そう言ってくれると助かります……」

要が宥めるように言うと、陽葵はいつもの柔らかな笑みを取り戻した。二人の間に、妙な沈黙が訪れる。


「あの」

「なあ」

その沈黙を破ったのは、重なった二つの声だった。発した言葉こそ違えど、タイミングは少しも違っていない。沈黙の代わりに、なんとも形容しがたい気まずさが尾を引く。


「か、要くんからどうぞ?」

「あ〜、いや、大したことじゃないから……」


二人は『我後に』と言わんばかりに譲り合いを繰り返した。


「その……来週から響に週に一回、舞海と登校する日ができるらしくて」

「……はい」

陽葵はどこかで聞いた話だと思い、神妙な面持ちでその先を促した。自分のことで手一杯なのか、要はそれを気にすることなく続ける。


「だからもしよかったら、空いた日は一緒に登校してくれないか? 今日の朝の登校、結構楽しかったから……ほんとに、もしよかったらなんだけど……」


ここで陽葵はようやく、要の言おうとしていたことが自分と同じだったと気づいた。驚嘆、それに次ぐ歓喜、渦巻く感情がまるで実態化して喉に詰まったかのように、言葉が出てこない。代わりに瞳を驚きに染めたまま、髪を揺らしてこくこくと何度も頷く。


「こんなわたしとでよかったら……お願いしますね」

二人は依然頬を染めたままで、目も合わせていない。しかし意思と誘いの是非はしっかりと伝わったようだ。


「そんじゃ、帰って課題やるか」

「……要くんって、いい雰囲気を壊さずにはいられないのでしょうか」

「? なんか言ったか?」

「今日の夕飯は焼きナス丼にしようかなって言ったんです! 早く帰りますよ!」


陽葵は少し歩調を早めて前に出た。要も「頼むからやめてくれ」と嘆息混じりに言う。


大袈裟に拍子を刻んで歩く陽葵の顔は、季節外れのひまわりのようだった。

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