第54話:赤点の美少女

「いや〜、来週はもうテストですね〜」

陽葵はティーカップに口を近づけ、淹れたての紅茶を微かな音とともに啜った。ソーサーにカップを置くと、カチンと小気味いい音が鳴る。


同日の夕食後、二人は向かいあって座っていた。要は参考書とノートの間で視線を反復横跳びさせながら、休む間もなくペンを走らせている。

それに対して陽葵は、先程までは同じように勉強を続けていたものの、今は糸が切れたようにだらんとしている。紅茶をちびちびと飲み、斜め後方の金魚に目を向け、また紅茶を飲み……の繰り返しである。


一頻ひとしきりそれも済んだのか、今度は机にひじをつき、母指球にほっそりとした顎を置いた。真剣な少年の顔を盗み見て、にやりとはにかむ。


もう一目見てやろうと思い、陽葵はもう一度顔を上げた。


「あっ……」

山の如く動かなかった要と目が合い、陽葵は無意識に声をあげた。掌から頬が浮き、羞恥を感じて目を逸らす。


どうやら、要はちょうどシャーペンの芯が切れたようだ。その際に視線を上げ、たまたま陽葵と目が合ってしまったのだと思われる。


「……おまえは呑気だなぁ」

要はジト目を向けながらこぼした。


「いやぁ……ご飯を食べた後って、眠くなりません?」

「わかるけど……勉強大丈夫なのか? 国数英の三教科だけども」

「大丈夫です! ……たぶん!」


とても信頼できない言葉を聞き、大きくため息をつく。

要がここまで言うのも、彼女の現時点の成績はお世辞にも芳しいとは言えないからだ。


彼女に平均程度の学力と成績があれば要も特には干渉しないのだが、彼女とはある程度親しい間柄である。陽葵の将来が〜などと説くつもりはないが、前に彼女の一学期中間テストを見た時は四十点代という赤点ギリギリの点数だったので、もしあのまま何もしていないのなら、そろそろ一つや二つ赤点になっていてもおかしくはない。


「陽葵、期末の数学のテスト何点だった?」

「か、要くん、前のドラマで共演してた二人、結婚したみたいで……」

「な、ん、て、ん、だ、っ、た?」

「す、数学は三十点です……」


思ったよりも低い点数で、要は先程より一回り大きく息をついた。じろりと彼女の方を見るが、わざとらしくそっぽを向く。


「これは……ちょっと酷いな」

「なんかもう言われ慣れた感あります」

「できれば言われないでほしいんだが……」


開き直った陽葵は、いっそ清々しい表情を浮かべている。その瞳は煌めいて見えるが、反対に脳内ではチェックマークだらけの解答用紙が思い浮かぶ。


「……土日、やるぞ」

「おぉ! もしかして、要くんも遂に運動を……」

「勉強だ。何がなんでも赤点は回避するぞ」

「……へ? い、一日中じゃないですよね?」

「陽葵の出来次第だな」

「…………」


瞳の煌めきはとうに消え失せ、半笑いのまま硬直した顔には無が浮かんでいる。


「ちょっと休憩したら再開するぞ。ちなみに、土日はテスト範囲だいたいできるまでやるからな」

「……要くん、お願いが」

「……勉強の拒否以外なら受け付けるけど」


諦めた様子の陽葵は半べそをかきながら、要に切り出す。

「その……もし三教科ともそれなりの点数を取れたら……」


陽葵は胸元に柔らかく拳を握り、祈るような仕草で上目遣いをした。この庇護欲を煽る表情をするときは、彼女が羞恥を堪えているとき、または心からのお願いがあるときだ。


「いつでもいいので、要くんの休日一日をわたしにください!」

「そんなことか。別にいいけど」

「そ、そんなことって……」


拍子抜けするほどあっさり了承した要に、勇気を絞った陽葵は顎を落とした。「まあOKしてくれたならいっか」と小さく呟き、紅茶を一口含む。


「それじゃ、約束しましたからね!」

「陽葵が赤点を回避したらの話だぞ?」

「うぅ……頑張ります」


陽葵は弱めに意気込むと、要からプレゼントしてもらったペンを手に取った。

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