第56話:テスト返し(後編)

陽葵はリビングに入るや否や左手で要の肩を掴み、強引に振り向かせた。背中には見慣れたリュックサック、もう一本の手には半分に折りたたまれた紙が三枚。聞くまでもなくテストの答案用紙だろう。


予想外の陽葵の行動に、要はバランスを崩しよろけてしまう。すんでのところで踏みとどまるも、今や彼女とは鼻先が触れ合いそうな距離だ。


「これ、今回のテストです!」

どうやら今の彼女の脳内には、一刻も早くテストを手渡すことしかないらしい。陽葵は体勢をそのまま、答案用紙を両手で持ち上げた。

普段なら互いに赤面する場面だろうが、今回頬を染めたのは要だけだ。


要は数瞬息がかかりそうな距離にある美貌に釘付けとなっていたが、彼の理性が意識を現実に戻したらしい。彼女が首を傾げた辺りで何事も無かったかのようにしれっと距離を離した。大袈裟な咳払いの後に、彼女が大切そうに抱えている物を受け取る。


彼女のテストはこれまでも何度か見ているのだが、今回のものは心做しか重く感じる。紙の大きさは今まで通りだし、要はインクの重量を感じれるはずもないので、本当に気のせいなのだが。


彼女の輝いた目に促されるまま、一番上のテストを開く。解答欄が縦書きのそれは、国語のテストだ。


「……!」

名前の下にある点数欄には算用数字での四十八。

正直要も国語は何を教えていいのかわからず、現文は『なぜか問題』と『どういうことか問題』の解法、古典は簡単な文法事項と頻出単語、助動詞を覚えさせただけだったが、彼女はほとんど自力で赤点を回避したらしい。もちろん高い点数とは言えないが、これからも伸びることに期待して良しとしよう。


陽葵はにんまりとした笑みを深くしながら二枚目、数学を開くよう無言で催促している。

国語の答案を元通りにたたんで指に挟み、数Iaのものを開く。


こちらも点数表記は赤ペンではなく黒色で書かれている。評点は――五十六。


「どうですか? 頑張ったんですよ!」

「ああ……頑張ったな」

少々気圧されながらも、要は半ば独り言のように言った。


とりあえず大問毎の基礎的なものは教えておいたのだが、思いの外よくできている。因数分解や二次関数の数lの範囲は陽葵が苦手とする分野だが、(1)と(2)はどれも丸だ。


要は全体を何となく眺めていたとき、数aの大問三に目が留まった。


大問の(3)は所謂応用問題で、その分野をそれなりに理解していないと解くのは難しいものだ。もちろん要も赤点回避のための応急処置なら必要ない――あるいは彼女には解けないだろう――と思い、教えていない。


しかし大問三の(3)には、大きな丸がついている。


もしかすると彼女は要の部屋から帰った後も、得意な分野を伸ばそうと勉強していたのかもしれない。勉強が嫌いな彼女からは想像もできないが、解けているのでそういうことなのだろう。


前回が三十点だったことを踏まえると、数学に関して言えば大きな成長だ。

もし英語が低い点数でも、最早何も言うまい。要にそう思わせる程彼女は頑張ったのだ。休日の一日や二日、甘んじて差し出すべきだろう。


「……ほんとに頑張ったんだな。毎回こんな感じで伸びてくれれば文句無しなんだけどな」

「あはは……毎回ご褒美があるならいいですよ?」

「それで成績が良くなるなら喜んで」

「えっ!? あ、そうなんですか……」


陽葵はイタズラな笑みを浮かべるが、要の天然な返しに斜め下を向き呟く。「もらってもいいんだ……」と確認するようにこぼし、視線を元の向きに戻した。


「英語はいつもとあんまり変わらないんですけど……四十点以上はありますよ!」

「ほう」


いつもと変わらないという言葉に一抹の不安を覚えるが、とりあえず赤点でないなら今回はいいかとも思う。と言っても、彼女は毎回「英語は大丈夫です!」の一点張りで、点数を見せてくれたことはないのだが。


要はくつろいだ手つきで英語のテストを捲った。果たして点数は――


「は?」

刹那、要は自分の目を疑った。次いで口から漏れた言葉がこれだ。


「陽葵、カンニングとかしてないよな?」

「してませんよ!!!」

陽葵から史上最も強い否定を受けるも、正直疑わずにはいられない。

彼女の英語の点数は九十三、なんと要の点数を上回っているのだ。今までの二教科と余りにも点数が違うため、どうしてもズルという考えが浮かんでしまう。


「……なんで英語はこんなにできるんだ?」

もちろんできるに越したことはないのだが、要はおずおずと理由を尋ねる。


「そうですね……小さい頃アメリカに住んでたからですかね?」

「…………」

「わたし、六歳までニューヨークに住んでたんです! だから文法とかで困ったことってあんまりなくて……今回のもだいたい単語の綴りとかスペルミスで減点されてませんか?」


そう言われて解答用紙を見返すと、確かに文中の赤ペンが目立つ。最終問題の自由英作文には走り書きで「もったいない……」と書いてある。


まさか彼女の英語がこれほど高いとは思ってもみなかった。アメリカに住んでいたということは、現地の人とそれなりにコミュニケーションをとれるのではなかろうか。ALT――外国語を母国語とする外国語指導助手のことだ――との会話など、少し見てみたくもある。


「ところで要くん、全部黒点でしたよ!」

「え? あっ、そうだな、頑張ったな」

「……約束、覚えてますか?」

「覚えてるぞ。俺の休日一日くらいでこの結果が得られたなら、安いもんだ」

「それじゃあ……!」

要は持っていた三枚を角を揃えてテーブルに置き、微笑を浮かべながら頷いた。


「ああ、やること考えといてくれな」

「やったーー!!」


跳ねる陽葵に微笑む反面、次のテストでは英語に力を入れようと決める要であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る