第43話:花火の前日

早めに買い物に出た事もあり、昼前にはアパートに帰ってこれた。陽葵の花火選びは金魚鉢よろしく少々難航したのだが、無事気に入ったものを選べたようだ。


ちなみに彼女はスーパーで実物を見るまで舞海の言う『花火』が打ち上げるものだと思っていたらしく、細く短い棒状の花火は、彼女が知るものではなかったようだ。「これが花火なんですか?」と怪訝な目を向ける姿は、やはり浮世離れしたお嬢様であることを再確認させた。お嬢様という割にはずいぶん家庭的だが。


ラーメンの材料に関してはそれほど悩むことなく、共有した画像をもとにモヤシや豆苗、メンマなどの具材をぽいぽいとカートに放っていった。正直花火に費やした時間の方が長い。


本当は麺も打ちたかったそうだが、今回は市販麺で許してくれとのこと。スープや具材だけならある程度美味しくできるのだが、自分の打った麺で台無しにはしたくないそうだ。大丈夫とは伝えたが、手打ちはまた今度で、と押し切られてしまった。


「それじゃあ、作っていきましょう!」

陽葵はパチンと手を打ち鳴らしこぼした。冷蔵庫から取りだした材料に手をかける。


「まずは何からするんだ?」

「スープからです!」

手を洗った陽葵はすりおろし器と生姜しょうがを手にとった。

このすりおろし器は彼女が部屋から持参したものだ。少し前までインスタント食品ばかり食べていた要には必要なかったものなので、そんな凝ったものが彼の部屋にある道理はない。


「俺は何をすればいい?」

彼女に倣い手を洗った要は尋ねた。今回の手伝いは、要きっての希望である。昼食のリクエストをしたのに手伝わないというのは、なんだか申し訳ない。


もちろん要の料理のレベルは底が知れてるのだが、一人暮らしを始めてから袋ラーメンを作った経験くらいはある。スープを作れなどと言われれば参ってしまうが、陽葵は簡単な仕事からこちらに回してくれるだろう。


「そうですねぇ……ほんとはニンニクをすりおろしてほしいんですけど、生憎あいにくこれは一つしかないので」

陽葵は要に見せるように、すりおろし器を少し傾けて肩をすくめた。

「麺つゆを五十ミリリットル計ってください」

「了解」


思っていたより簡単な仕事を託され、要は計量カップと麺つゆのボトルを用意した。三倍に濃縮されたそれを慎重に注いでいく。


すりおろすニンニクと生姜は少量だったようで、麺つゆをもとあった場所に戻す頃には、すりおろし器は役目を終えていた。僅かなニンニクの残骸を纏い、水に浸っている。


「お湯、どれくらい必要だ?」

「ん〜、一リットルいかないくらいで! 二つお願いします!」

「うい」

会話を続けている間にも、陽葵は次々と作業を処理していく。スープの準備が終われば豆苗とモヤシを容器に移し、電子レンジに入れて時間をセット。ダイアルと連結したボタンを押し込めば、間もなくレンジは低い唸り声をあげる。


要求された二つの鍋の用途は、一つはスープ用、もう一つは麺を茹でる用なのだそうだ。要は一人暮らしを初めてからはおろか、実家にいたときにもこんな鍋の使い方をしたことはない。


湯が沸き立ち始めたらチャーシューを入れ、こまめにアクを掬う。陽葵からすれば慣れたもののようで、その手つきには淀みがない。


これならこじんまりとしたレストランでも開けば一儲けどころか一生儲けられそうで、同い年ながらも尊敬の目を向けてしまう。


どこで教えられたんだろうか、と疑問を残しながら、要はちぢれ麺を投下した。菜箸を中心に突き入れ、混ぜるようにしてほぐす。


陽葵もレンジから取り出した豆苗とモヤシをごま油など調味料と和え、下味をつけている。既にいい香りがするので、これを湯煎するだけでも主菜や副菜になりそうだ。


「要くんは麺をお願いします! わたしはスープをつくっておくので!」

「茹で終わったらざるにあげとけばいいか?」

「はい!」



「そういえば、要くんと料理するの久しぶりかもしれませんね。この前やったのは……オムライスを作った時でしたっけ」

要は少し前に食べたオムライスの味を思い出す。

彼女の料理は時間の割に高いクオリティで、毎回要の舌を驚かせてくれる。

「そんな前になるのか……言ってくれれば、いつでも手伝うぞ?」

「要くんに包丁を渡すといつのまにか血が出てるので……それ以外のことなら」

「包丁使わずにできる料理って結構限られるんじゃないか?」

「そうですね。具材が切れなくなるので、お味噌汁も作れません」

「そうなればやっぱり冷凍食品を」

「わたしが作りますから!」


「それでもいつかは練習しないとな……ずっとおまえに頼りきりってわけにもいかないだろ」

「そう……ですね」

陽葵は物憂げに少し目を伏せると、樺色の煮だったスープに向き直った。



「ごちそうさまでした!」

「ごちそうさま。美味かった」

要は陽葵と同時に箸を置いた。


こんな感じだろう、と陽葵が作ったスープはオリジナルと多少の齟齬そごこそあれど、要が地元で食べていたものとそっくりだった。強いていえば本物はもう少し味が濃い。


「明日は花火ですね!」

陽葵はソファに置いてある花火を見た。

「言っても打ち上げない花火だぞ? 初めてだから楽しみなのもわかるが、あんまり期待されても……」

「要くんとなら、なんでも楽しいですよ?」

「なっ……」

不意打ちのはにかみに、要の顔は熱を持った。気取られないようにそっぽを向く。


「……響たちも一緒だけどな」

「それはそうですけど! やっぱり要くんと、っていうのが特別なわけで……い、今の聞かなかったことにしてください」

陽葵もようやく自分の発言に気づいたのか、途中で語尾を淀ませた。要の数倍顔を紅潮させ、気まずそうに視線を逸らす。


「いや、さすがにできないというか……その」

要の追撃に、陽葵は一層顔を赤らめる。次撃が飛んでくる前に、彼女ははそれを躱そうと言葉を遮る。


「と、とにかく! 明日の花火楽しみですねってことです! これ以上聞いてくるなら、明日風間さんに要くんの恥ずかしいエピソードを披露してもらいますから!」

「お、おう……」


有無を言わさぬ強い語気に、要はそれ以上の詮索をやめた。もちろん恥ずかしいエピソードとやらに心当たりはないが、あの響のことだ。どこからか引っ張りだしてこられたら笑えない。要以外の三人は笑うだろうが。


「じゃ、さっさと食器片付けるか。午後からはちょっとでも勉強するからな」

「うぅ……わかりましたよぅ」

密かに計画していた思惑を砕かれ、陽葵は観念したような顔をした。

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