第4話:初めての(ふたりの)おつかい

今度こそ陽葵と別れ、要は自分の住む505号室に帰ってきた。

「……ただいま」

もちろん返事などあるはずもないが、小学校、中学生と九年間続けてきた習慣は、まだまだ抜けそうにない。

時計を見ればまだ午後五時半頃。夕飯にはまだ早い時間である。

「そういえば食べるものあったっけ……」


要は料理ができないわけではない。もし一人暮らしをするならと、中学生の時に母親から叩き込まれたからだ。

しかし、作るのや後片付けが面倒くさく、最近の夕飯はもっぱら冷凍食品やカップラーメン、コンビニやスーパーの弁当、惣菜類だ。響にも、ちゃんと食え、不健康だぞと言われる始末である。


「……げっ」

だが冷蔵室と冷凍室を確認したところ、入っていたのは飲み物くらいで、食べられるものはほとんどない。一応ゼリー飲料くらいならなくはないのだが、流石に栄養補助食品だけでは腹が減る。

「……買いに行くか」

最寄りのスーパーまではあまり遠くはない。急いで行けば、自分の時間も十分作れるだろう。

要は制服から外行きの格好に着替えるべく、クローゼットの取手に手をかけた、そのときだった――



《ピンポーン》



要の部屋の、インターホンが鳴ったのは。

誰だろう、と思った。要への来客はめったにないことであり、来るのは怪しい宗教勧誘か、たまに頼む宅配便くらいである。


まあそんなことは考えてもしょうがない。なにより、あまり相手を待たせるのも失礼だ。俺はインターホンを介して応答する。

「はい、榎本です」

「あ、榎本さん! さっきぶりです!」

インターホンの液晶の向こうには、制服姿の美少女が立っていた。そう、お察しの通り、神原陽葵である。

「……ちょっと待ってろ」

怪訝げな表情を浮かべながらも、要はドアの方へと向かった。


「何の用だ」

「一緒にお買い物に行ってくれませんか!」

「……は?」

要は言葉に疑問符をにじませた。突然の訪問のうえ一緒に買い物に行こうなど、いよいよわけが分からない。要は理由を尋ねた。


「今日卵が安いんです! 特売日なんです! でもお一人様一つまでなんです!」

「はぁ……」


陽葵によると、本来なら約二百円のところ、今日は九十八円らしい。このくらい安くなるのはあまりないことらしいので、できればついてきてほしいそうな。

「どうか私に、卵を二パック買わせてください!」

陽葵は音がしそうなほどの勢いで頭を下げた。

彼女が説明のために持参したチラシを確認すると、卵の特売が行われている店は、要が今まさに行かんとするところだった。


ここで誘いを断り、買い物途中に鉢合ってしまうと、少々面倒なことになりそうだ。幸いこのスーパーは、高校とは逆方向である。知り合いに陽葵と買い物をしているところを見られることは、多分ないだろう。ないと信じたい。


「別にいいぞ。俺も今から行くつもりだったし。準備しようとしたら、おまえが来たんだ」

「そうなんですか? まさか榎本さんも卵を買うつもりだったのでは……」

「いや、俺は普通に晩飯買いにいくだけ。ちょっと準備してくるから、待っててくれ」

「あ、私も着替えとか準備があるので、アパート出たところで待ち合わせにしましょう!」

「ん、了解」



――あれから十五分ほどが経過し、要は既に準備を終え、アパートの前で陽葵を待っていた。しかし、

(遅い……)

たかがスーパーに行くだけなのに、そんなに準備に時間がかかるものだろうか。女性の準備が遅いことは、要の母親もそうだったので知ってはいるが。

(それとも俺がオシャレに気を使わなさすぎなだけなのか……?)

要が思考を巡らせていると、弾けるような声が耳に届いた。


「ごめんなさい、お待たせしました!」

「ああ……じゃあ行くか」



要と陽葵は横一列に並び、目的のスーパーへと向かっていた。思っていたよりも彼女の歩調は早く、要が普段歩くスピードとほとんど変わらない。エスコートするときは歩調をあわせるべしと響が再三言っていたので、無意識でも考えるようになっていた。


しかし要は、今まで経験したことないものに頭を悩ませていた。あまりの「それ」の多さに、意図せずも周囲を見回してしまう。

(神原ってどこ行っても見られるんだなぁ……)

そう、陽葵に集まる、多くの視線である。


陽葵はふわふわとした白のブラウスを身に纏い、その上に深い蒼色のジャケットを着込んでいる。ボトムスにはミモレ丈のプリーツスカートを穿いていて、ブーツとの間には、ほっそりとした白い足がのぞいている。その姿は、清楚系美少女という印象を与えてくる。


「? 榎本さん、なんでさっきからチラチラ見てくるんですか〜?」

(こっちの気も知らないで……)

どこかご機嫌な声音で、神原が質問を投げかけてきた。要は心の中で反論するも、表面では無視する。


しかし、流石美少女と言うべきか。彼女は街を歩いているだけで、この場にいる万人の視線を釘付けにしている。隣で歩いている要からすれば、かなりいたたまれない。

神原は慣れていないのかなんなのか、なぜか落ち着いていないようにも見える。


「神原、おまえってどこ行ってもこんななのか?」

「はい? こんなって、なんのことですか?」

「いや、視線とか……」

「?」

陽葵はピンときていないようで、要に胡乱な目を向けた。驚いたことに、この栗色の髪を揺らす少女は、自分に向けられている視線の束に気づいていないらしい。

(ん? なら……)

要は陽葵の耳元に口を寄せた。


「だったら、なんでさっきからずっとソワソワしてるんだ?」

「へっ!?」


少し疑問に思って聞いてみただけなのだが、陽葵の顔はようにみるみるうちに赤くなっていった。まるで茹でダコである。

しばらく目を合わせた状態で膠着していると、陽葵はわたわたと焦りだし、すごい剣幕で捲し立ててきた。


「べべ、別にソワソワにゃんてしてないですよ!? 気にしすぎなだけじゃないでしゅか!? そんなことより、早く買い物して帰らないと、遅くなっちゃいますよ!!」


神原は何度も噛みながらそう言うと、ふんっ! と音が聞こえてきそうな勢いで要から顔を背けた。スーパーに向かって、再びずんずん歩き出す。

「……そうだな」

要は小さな声で同意を示した。

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