第3話:隣の隣の隣の隣に
「……いつまでついてくるつもりだ」
「榎本さんにお礼が出来るまでです!」
何度目か分からないやり取りを終え、要は内心ため息をついていた。
要は今「お礼がしたいです!」と言って聞かない陽葵に尾行されている。
無視して帰宅すれば、さしもの神原も諦めるだろう。
(そう思っていたのに……)
校門前で神原の言うことを聞き流し、帰宅を始めた要に対して、陽葵がとった行動は一つ。
諦観でもなく、帰宅でもなく、追跡だった。
学校から要の家まではそれほど近いわけでもなく、登下校にはそれなりの時間がかかる。しかしその長い帰り道の半分を過ぎても、要の後ろを歩く陽葵は、引き返す気配が全くなかった。
「……あんまり帰るのが遅いと、親に心配されるぞ」
「大丈夫です! 私アパートに一人で住んでいるので!」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
「そんなことより、今日は要さんにお礼をするまで帰りませんから!」
「…………」
要は頭を抱えた。このままだと、ほんとに家の前までついてきてしまいそうだ。
(遅くなって一人で帰らせるのもなぁ……)
そもそも女子が夜遅くに一人で出歩くべきではないし、その出歩く女子は学校一の美少女ときた。
校門の傍に立っているだけで校庭にいるほぼ全員の視線を集めてしまうようなやつだ。帰宅途中もさぞ注目されることだろう。
もしこいつの身に何かあれば、その後で要が責任を感じることになる。そんなことは、できればしたくない。
そう思った要は、陽葵に一つ提案をする事にした。
「おまえの俺にお礼がしたいっていう気持ちはよ〜く伝わった」
「はい! だからなんなりとお申し付けください!」
(こいつ、ほんとにお礼するまで帰らないつもりかよ……)
そう思わせるような声を聞きながら、会話を続ける。
「おまえに俺へのお礼はさせてやる。だから今日はもう帰れ。暗くなってから女の子が一人で帰るのも危ないし。してほしいお礼の内容は、考えておくから」
可能な限り真剣な、だが少し呆れたような声色で、陽葵に伝えた。
突然面と向かってされた提案に、陽葵はきょとんとした様子で、
「もしかして、心配してくれているのですか?」
と聞き返してきた。
「いやっ、別にそういうのじゃ……」
ない、と言い切る前に、神原は何を感じ取ったのか、
「お気遣いありがとうございます。そうですね。そうしましょう!」
少しだけ機嫌良さそうに、意外にあっさりと提案を受け入れた。
ほんのりと頬が赤らんでいるように見えるのは、夕陽のせいだろうか。
「では、また明日です! お気をつけて! お礼の件、考えておいてくださいね!」
「……はいはい」
そう言ってこの日は、要と陽葵は別れ、それぞれの家に帰った。
――はずだった。
「……なんでついてくるんだ」
要は自分が住んでいるアパートの前で、陽葵に尋ねた。
さっき陽葵は、「また明日」と確かに言った。さっき要は、暗い中帰るのは危ないから、今日はもう帰れと言った。
それなのに、陽葵はあれからずっとついてきている。
声をかけるべきか。なぜ一旦とはいえ用件は済んだはずなのに、まだついてくるのか。
そうこう考えているうちに、俺は自分の住むアパートの前にたどり着いてしまい、今に至る。
「私が住んでいるアパートもこっち方面なので!」
……らしい。要は高校に進学するとともに今のアパートに住み始めたので、あまりこの辺の土地勘はない。しかし……
(この辺にアパートなんて、俺が住んでいるとこ以外にあったか……?)
要が陽葵の発言を疑問に思い首を捻っていると、陽葵が先に口を開いた。
「それでは私はこれで。榎本さんも気をつけて帰ってくださいね!」
「あ……ああ」
俺にそう告げると、陽葵は再び歩き出した。
――要の住むアパートの方に。
「おいちょっと待て!おまえが住んでいるアパートってここなのか……?」
要は少し焦った声で陽葵に聞いた。陽葵は何を聞かれているか分からないと言ったふうに、首をこてんと傾げている。
「? そうですけど……」
「……俺もこのアパートなんだが」
それを聞いた陽葵は目を丸くした。質問をいくつか、要に投げかけてくる。
「このアパートに住んでいるんですか!?」
「そうだが」
「何階ですか!?」
「五階だが」
「同じ階ではないですか!」
俺と神原が……同じアパートの、同じ階?
にわかには信じ難い偶然に、両者かなりの衝撃を受けていた。要はおずおずと言葉をこぼす。
「なあ神原、おまえの部屋番号は?」
「私は501ですけど……」
「なるほど……俺は505だ」
しばしの沈黙の後、先に口を開いたのは神原だった。
「つまりこれなら、いつでも榎本さんにお礼が出来るってことですね!」
神原は閃いたように、両手を胸の前でパチンと音を鳴らして合わせるとそう言った。
「これからもよろしくお願いしますね! お隣のお隣のお隣のお隣さん!」
神原はそう言ったかと思うと、強引に要の手を握り、握手をしてきた。
「ああ……」
要は理解が追いついていないようだ。
簡潔に言うと、要の四つ隣の部屋には、学校一の美少女、神原陽葵が住んでいるらしい。
「さ、帰りましょ!」
陽葵は再びアパートの方を向き、歩き出した。
「……そうだな」
要もそう呟き、アパートに向かって歩き出す。
「ところでおまえ、傘はいいけどタオルはどうしたんだ?」
「ああ! それなら傘の中に入ってます!」
「え?」
そう言われ傘の中を見ると、本当に受け骨の辺りにタオルが巻き付けられている。
「なんでこんなとこに入れてるんだ! 普通に手渡しで返せばよかっただろ!」
「あ! それもそうですね! うっかりしてました!」
「おまえなあ……」
――要と神原との日常は、まだ始まったばかりである。
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