第50話:神原陽葵の要望

「……行くか」

「はい!」


要は陽葵を一度見やり、それから言った。

いつもなら二人で朝食を食べた後要が出発、それから準備を済ませた陽葵が出発、という流れだ。理由は言わずもがな、登校時間をずらすためである。


陽葵は「制服で料理をすると汚れちゃったら困るので!」という理由で、朝要の部屋に来るときは私服だ。

髪や肌の手入れはその前に完了させているが、それプラスアルファで準備があるらしい。服を選ぶ時間はかからないので、それ以外に何があるのかは男子の要には想像がつかない。教科書の用意だろうか?


しかし今日は朝食を摂った後、要は食器を片付けて陽葵を待った。一緒に登校したいという彼女の望みを叶えるためだ。


空調の効いた屋内と相反して、外はじっとりと蒸れている。生暖かい風が吹き付け、ものの数十秒で汗腺が開く。


「……暑いな」

「要くんが外出するとき、いつもそれ言ってる気がします。まあ暑いのは同意ですけど」


陽葵はシャツをパタパタとさせ、中の空気を入れ替えている。要も真似るが、あまり涼しくなった感じはしない。


「もう九月だぞ? なんで都会はこんなに暑いんだ……うちの地元は涼しい方だったんだな」

「九月下旬とかまでこんななんですかね……そういえば、要くんの地元ってどのへんなんですか? この前雪が凄いって言ってましたけど」

「北陸の方だ。機会があったら来てみろ、こんな暑いとこ居たくなくなるぞ。ド田舎だけど」

「でも田舎にしかないものもありますよ! わたしずっとこの辺で育ってきたので、いつか行ってみたいです!」


この辺りの景色しか見たことがない彼女は、要の生まれ育った場所に興味津々だ。


最寄りのコンビニまで自転車で十五分かけて行っていたときは早く都会に行きたいとばかり考えていたが、この暑さを知ってしまえばたまに帰りたいと思わざるを得ない。


田舎も悪くなかったんだな……と考えつつ、話題は一週間後に控えた学校祭へと転ぶ。


「そういえば、陽葵は体育祭、何に出るんだ?」

「えーっと、リレーと障害物競走です!」

「リレーか……陽葵がいるなら勝てるだろ」

「そんなことないですよ! リレーはチーム戦ですから!」


彼女は手を振って否定した。

しかし実際、彼女の走力は郡を抜いていてる。要の素人目から見てもフォームは美しく、余分な力は入っていないことはわかる。チームに陽葵一人いるだけで百人力だ。


「障害物は? 女子だと風船割りとかか?」

障害物競走は、細かく七つの競技にわけられる。前半の玉入れなど三つが男子、後半の風船割りなど三つが女子だ。

「パ……」

「パ?」

「……パン食いです」

「……ふっ」

「な、なんで笑うんですか!」

「いや、なんか合わないなと思って」

陽葵は要が小さく吹き出したのを目ざとく見つけ、僅かに頬を染めた。彼女はグルグルバットなど、走る類の競技をやると勝手に思っていたので、パン食いは意外だったのだ。

要は笑いを抑えつつ理由を尋ねる。


「パン食いに使われるパンって、購買にある数量限定カレーパンらしいんです! わたしはいつもお弁当なので、一度食べてみたくて……」

「そうなのか……事前にそれ知ってたら、俺も迷わずパン食いにしたのにな。異様にパン食いの競争率が高いと思ってたけど、それが原因なのか」


彼女の狙いは、昨日響との話題にもあがったカレーパンだそうだ。響は無事カレーパン争奪戦を勝ち取ることができたようだが、要の前にチラつかせるばかりで少しわけてくれるといったことはなかった。


未だクスクスと笑う要に、陽葵は不満そうな声をもらす。


「そういう要くんは何に出るんですか?」

「借り物。あとリレーの補欠」

「……借り物ですか」

「まあ一番楽かなって。あんまりキツい競技はその後の筋肉痛が嫌でさ」


七つある障害のうち、最後の一つが借り物だ。

ルールの説明は不要だと思うが、他の六つの障害と違い、男女どちらでも参加可能という特徴がある。

リレーの補欠は陸上競技大会で運よくベストエイトに入ったのが理由だ。もちろん体に響くので補欠でも断ろうとしたのだが、代わりに出場する競技は他一つでいいとのことで、「そういうことなら」と引き受けた。あとはリレー選手が一人も休まないことを祈るしかない。


「もう、だからたまに運動するべきって言ってるじゃないですか……なんで太らないんでしょう」

陽葵は羨ましげにこちらを見つめるが、要も何故太らないのかはわからない。榎本家に肥満体型の人はあまりいないと聞くので、家系なのだろうか。


「ていうかうちの文化祭、ちょっと変わってますよね。一年生はお店やらないものなんですかね?」

「多分違うぞ。地元の友達は普通に出店するらしい」


羽星高校の学校祭は二日間にかけて行われる。一日目が文化祭、二日目が体育祭だ。これはどこの高校もだいたい同じだろう。

しかし文化祭の目玉である出しものは、二年生からに限られる。一年生は見て回るだけ、ということだ。


その代わり一年生は、全員が一時的に保健委員に割り当てられ、時間にわかれて校内の清掃をする。高校に入学して初めての文化祭は気ままに楽しんでくれ、という気兼ねが感じられるが、陽葵は少し難色を示している。


どうやら舞海と同じで、高校文化祭の醍醐味、出店でみせをやりたかったようだ。

要はあまり接客などが得意ではないので同意というわけではないが、しかし彼女と同じように出しものをしたかった人は少なからずいる。しかしこればっかりは、学校側が決めていることなので致し方ない。


「まあその分体育祭頑張ればいいだろ。来年になれば店もできるんだし」

「そう……ですね! 来年のクラス分けが楽しみです!」

「まだ今年度は半分残ってるぞ」

「あ、もちろん体育祭も楽しみですよ? 要はくんは何を借りるんですかね?」

「そういえば、体育祭一週間後にテストあること覚えてるよな?」

「うっ」


その朝の空は、太陽を遮るものが全くないような清々しい晴天だった。

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