第49話:早めの帰宅
いつもより三十分ほど早く帰宅した要は、何をするでもなくソファに腰掛けていた。
今日は放課後に職員会議があったらしく、授業は短縮した時間割で行われた。事前に知らなかったために、朝のショートホームで伝えられたときは降って湧いた幸運だ、と内心で拳を握ったものだ。もっとも、結局することは勉強なので、場所が家か学校かの違いだが。
少し離れたところに座っている少女こそ跳ねて喜びそうなものだが、何故か部屋に入ったときから一言も発していない。むすっとしたように口を『へ』の字に曲げ、頬を膨らまし、こちらに背を向けて座っている。
ここまで彼女が不機嫌オーラを放つのは出会って初めてのことで、要は非常にどう対処したらよいのかと困っていた。
きっと陽葵は、要に関することでなければここまで露骨にへそを曲げた態度をとらないだろう。もし関係がないなら、きっと胸の内に秘めようとするに違いない。神原陽葵がそういう人間なのは、ここ三ヶ月弱で理解している。
重苦しく潰されそうな空気に耐えかね、要はおずおずと切り出す。
「あの、陽葵さん?」
「なんですか」
陽葵はぶっきらぼうに返す。首だけはこちらに向けようとしているが、髪のカーテンに隠れ横顔は見えない。
「その……なにか怒っておられるので?」
「……です」
「……はい?」
「今日の朝です!」
「……あ〜」
言われれば心当たりがないわけでもない。今朝校門で彼女に笑いかけられ、会釈もせずに去ったのは要だ。
彼女がそのことについて怒っているのかははっきりとは不明だが、彼女は少なくとも家を出るまでは普通だった。要にはそれ以上に重大な思い当たる節はない。
「なんで行っちゃったんですか!」
陽葵はぷんすかと湯気を吹き出しそうな勢いで問い詰める。多分本気で激昂しているようなことはないと思うが、逆の立場だったら要も多少思うところがあるだろう。挨拶をしてそっぽを向かれるようなものだ。
いつの間にかしていた正座の上に拳を置き、要は言い訳をぽつり、ぽつりともらす。
「その……俺が陽葵と一緒にいたら、あんまりよろしくないかと思って……」
「……なんでですか?」
陽葵はまるでわからない、といった風に首を傾げる。
「俺みたいなやつと一緒に歩いてるところを見られれば、他の奴らに絶対噂されるぞ? おまえも迷惑を被ると思う」
彼女とはたまに一緒に下校をしているが、待ち合わせ場所は校舎から少し離れたところに決めている。理由は言った通りだ。
一呼吸置いて、要は続ける。
「だからプライベートではいいけど、
「要くん」
陽葵はやけに強い口調で要の言葉を遮った。伏せていた視線をあげると、いつの間にか彼女は体ごとこちらに向け、同じように正座を組んでいる。
「要くんは素敵な人です。三ヶ月一緒に過ごして、それは確信しています。なにより、普通の人は一対多でいじめられているところに飛び込んで、助けるなんてしないと思います。わたしはしたことありませんが、なかなかできないことだと思います」
静かな、しかし柔らかい響きで、陽葵は続ける。
「要くんのよさがわからない人達には、勝手に言わせておけばいいんです! そんなの気にならなくなるくらい、わたしは要くんのいい所を知ってます!」
いつの間にか柔和な笑みを浮かべていた陽葵は、「もちろん、まだまだ知らないことはありますけど……」と照れくさそうにクスッとこぼした。
「ですので、もっと自信もってください! どうしても周囲の小言が気になるなら、わたしがガツンと言ってやります! なので……」
「……なので?」
陽葵は語尾を尻すぼみに小さくすると、言いにくそうに指を擦り合わせ始めた。真正面を向いていた顔は斜め下四十五度に傾けられ、視線は右から左へ彷徨う。
「その……一緒に登校を……」
「……登校?」
要は何か聞き間違えたのかと、オウム返しに聞き返す。しかし聞こえていた語で合っていたらしく、陽葵は赤面しながら声をあげる。
「だって! 風間さんばっかりずるいです! わたしも要くんと学校行きたいです!」
「ずるいって……」
「……行きたいです」
陽葵はきゅるっとした表情で要を見上げてくる。舞海直伝のこの技はこれまでにも数回行使しているが、未だ効果は絶大なまま薄れていない。いくら無愛想な要といえど、それは変わらない。
要は目を逸らしながら、スマホを取り出した。メッセージアプリを立ち上げ、親友に短い文章を送信。ほんの十秒ほどで既読がつき、反応が送られてくる。
「……明日でいいか?」
「……え?」
「響に明日一緒に行けないかもって送ったら、『了解』だってさ。だから明日か……まあいつでも行けるんだけど」
陽葵はきょとんと目を丸くし、驚いたような表情を浮かべた。そのままコンマ数秒硬直すると、快晴の空のような笑顔を浮かべる。
「いいんですか……!?」
「……嫌ならやめるけど」
「行きます! 行かせてください!」
要は無性にむずがゆくなり、身体の前に手をついて立ち上がった。目的があったわけではないが、再び座るのも変なので、自室に勉強道具を取りに行くことにする。
「じゃあ明日は頑張って朝ごはんを作りますね! 何がいいですか!」
要は歩みを止めず答えた。
「なんでも美味しいよ」
不機嫌全開だった陽葵からは、大量の幸福オーラが放たれていた。
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