第39話:夢の世界

「…………」

鳥たちがさえずる音で、要は寝ぼけた瞳を開けた。寝ているうちに体にまとわりついたタオルケットを引き剥がし、反動をつけて起きる。窓の外を見ると、既に青空が広がっている。


「……うぇ」

要は窓に向いていた視線を落とし、小さく呻いた。その原因は、先程までいた夢の世界にある。比喩でもなんでもなく、夢の世界だ。要は内容を再確認しようと、まだ起きていない頭を回転させた。



「要く〜ん、起きてくださ〜い!」

要は草色のソファで横になっていた。彼を起こしたのは、覚えのある弾むような声。それと栗色の髪の長さを鑑みれば、四つ隣の部屋に住む少女であることは想像に難(かた)くない。

肩を揺らすが、要は生返事を返すのみで、目を開けようとはしない。


「もう、お寝坊さんですね!」

陽葵は腰に手をあて頬を膨らませるが、本当に怒った様子はない。

暫く睨み合いが続くと、彼女は切り出した。


「起きないならイタズラしますからね!」


それは口をついて出た言葉で、陽葵はすぐに訂正しようとした。慌てふためき、手をはためかせる。

「はいはい、好きにしてくれ」

「――っ!!」

しかし、もう一眠りしようとしている要からすれば、それは環境音と変わらない。ヒラヒラと手を振り、僅かに開けていた目を再び閉じる。


陽葵はその言葉を聞いて、顔を真っ赤に染めた。その感情は自分の言葉に驚いてくれない怒りか、それともなんでもしていいと言われたが故の羞恥しゅうちか。恐らく後者だろう。困ったように眉尻を下げる。


「し、失礼します……」

何の意地か、ここまで言った手前、引くつもりがないらしい。視線をあちこちに彷徨わせながら、陽葵は要の方に歩み寄る。


ここで、要もようやく陽葵の行動に気づいたようだった。何事かとまぶたを持ち上げ、状況を確認する。

「お、おい、陽葵?」

「……要くんが言ったんですからね」

声をかけるも、陽葵が止まる様子はない。間近まで迫ると、膝を折って目線の高さを合わせる。とろんとした目に色づいた頬を見て、要は硬直し、否応なく思考を止められる。


陽葵は目を見開いて固まっている要の両頬に手を伸ばす。絹のように繊細な手は熱を帯び、ひんやりとした感触は感じられない。近づくにつれ蠱惑こわく的な甘い香りが漂い、目の前のこと以外の思考が奪われる。


既に互いの吐息がかかろうかという距離だ。朱に染まった頬、次いで潤んだ瞳が要の視線を釘付けにする。そのまま陽葵は一瞬の躊躇いを見せるも、要との距離をゼロに――



そこまで思い出し、要は考えるのをやめた。気付かぬ間に首から頬にかけて熱が這いより、背中は寝てるときにかいたのかうっすら汗ばんでいる。


「……起きるか」

いつも通りなら、あと一時間後くらいには夢にでてきた少女が訪ねてくるはずだ。それまでに身支度を整え朝食をとり、加えて頬の熱を抜かねばならない。こんなところを見られれば、問い詰められるかイジられるのは必至だろう。

要は身を起こすと、木製のドアを開けた。


「あっ、要くん! おはようございます!」

「……なんでいるんだ」


金魚鉢の前に陣取っていたのは、夢にでてきた神原陽葵その人だった。

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