第13話:映画鑑賞会

「こんにちは、榎本さん! やることがなかったので、早めに来ました!」


時は暮れ方。要が金属製のドアを開けると、神原陽葵はそこにいた。


「やることがないっておまえ、勉強はちゃんとしたんだろうな?」

「し、しましたよぅ! ……午前中は」


午前中は、と言っても、ペンを持っていたのはほんの三十分ほどなのだが。陽葵は目をあちらこちらに泳がせながら答える。


「そういえば要さん、なんで部屋が真っ暗なんですか?」

陽葵は要の肩越しに見える部屋の様子をうかがっている。夕陽が差し込まない要の部屋は、今はカーテンが閉められている。代わりに、テレビから発せられている淡い光が仄かに部屋を照らしていた。


「ああ、ちょっと映画を見てて。とりあえず入ってくれ」

陽葵の荷物を見かねた要は言った。陽葵としても断る理由もないので、おとなしく従う。


「あっ、いいのに……」

「これぐらいやらせてくれ」

要は陽葵の手から食材の入った袋を、半ば強制的に受け取った。料理の面ではお世話になりっぱなしなので、こういうところは率先しておこなうようにしているのだ。


「意外と重いな。大変だったんじゃないか?」

「いえいえ! わたしこう見えて力あるので! 触ってみますか?」

「遠慮しとく」

陽葵は右腕を持ち上げてみせた。そのほっそりとした白い腕に腕っ節があるようには、あまり見えない。


要は一度あかりをつけ、陽葵が持ってきた袋をキッチンに置いた。中身を手分けして収納していく。


「榎本さんって映画とか見るんですね。てっきり勉強してるのかと思ってたんですけど」

「中学の時にハマってな。あのDVDレコーダーも、母さんに買ってもらったものなんだ」


要は収納棚を整理しながらそう言った。その口調は、どこか物懐かしさを感じさせる。


「そういえば、まだ晩飯には早いよな。神原、映画見るか?」

「いいんですか? 見たいです!」


陽葵は嬉しそうに飛び跳ねながら、テレビ前のソファに向かった。彼女が持ち込んだマカロン型のクッションを手に取り、着席している。


ローテーブルにお茶を出してやると、「ありがとうございます!」と弾んだ声が返ってきた。自分もお茶を一口含み、再び電気を消す。今部屋を照らすのは先程と同じく、テレビから出でる光だけである。


要は、はしゃいでいる陽葵を横目に座ると、再生ボタンを押した――



――それから約三十分後。

映画鑑賞ということもあり、二人の間には特に会話もなく、物語は淡々と進んでいった。要も陽葵も、目の前の映画に没頭しているようだ。


ふと、陽葵が口を開いた。


「あの、榎本さん」

「ん? なんだ?」

映画が始まる前の溌剌はつらつとした口調とは打って変わって、その声は怯えたように震えている。

「この映画って……」


「ホラー映画じゃないですか!!!」

「そうだが、どうした?」


この映画は、要が近所のレンタルショップから借りてきたものだ。


要が中学生の時に一部の映画好きの間で流行っていたのだが、当時要が住んでいたところは映画館から遠く、送ってもらおうにも親もホラーが嫌いで、言いにくかったのだ。

そのため、久しぶりに行ったレンタルショップでたまたまこの作品を見つけ、借りてきた次第だ。


そんなことは知らない陽葵は要を精一杯睨むが、要は何故睨まれたのかわからず、首を傾げている。会話が長引きそうな予感がしたので、とりあえず映画を一時停止する。


「ホラーなら最初に言ってくださいよ! そしたら見ようか考えたのに!」

「見るかって聞いたら飛び跳ねてたのに」

「うぅ……」

陽葵は反論する術なくたじろいだ。


すると要は何かに勘づいた様子で、陽葵に問いを返した。

「もしかして神原……怖いのか?」

「なっ……! べっ、別に怖くなんてないですけど? 全然平気なんですけど?」


陽葵は語気を強め、早口で捲し立てている。しかしそれとは反対に、目には焦りの色が見える。わかりやすい奴だ。


「それじゃあ、再生するぞ?」

「えっ!? あっ、は、はい……」


要が再生ボタンを押すと、陽葵はしょげたように、あるいは諦めたように肯定した。先程までの威勢はどこえやら、今はクッションを抱きながらガックリとしている。


それからさらに一時間後。

物語は佳境を迎え、いよいよクライマックスといった場面だ。コップにんであったお茶も、いつの間にか空になっている。


あれ以来静かな陽葵の方を見てみると、図らずも視線が絡んだ。

陽葵は目尻に露のような涙を浮かべ、それはテレビから光を受けてキラキラと輝いている。

マカロン型のクッションは、それを抱きとめている腕によって変形し、手の動きに従って小刻みに震えていた。

つまるところ、陽葵は映画が怖くて怯えているらしい。


「なあ、神原……」

「ダイジョウブデス。コワクナイデス」


要から目線を外し、ロボットのような棒読みで陽葵は答えた。

「でもおまえ、泣いて……」

「ダイジョウブデス。ナイテナイデス」

「そ、そうか……」


定型文のような受け答えをする陽葵は、止まることなくブルブルと震えている。なんだか見てはいけないような気がして、要は顔の向きをテレビに戻した。




「じゃあ、今日もありがとな」

「なんか、もう馴染んじゃいましたね」

映画と夕飯を終えた頃には、外はすっかり闇に包まれていた。要がお礼を言うと、陽葵は遠慮がちな笑みを浮かべた。


「明日からも学校頑張ろうな。授業中に寝るんじゃないぞ?」

「寝ませんよ! 榎本さんは私をなんだと思ってるんですか!」

「冗談だ。また明日な」

要は手短に挨拶を済ませた。陽葵もドアの取っ手に手をかける。


「……どうしたんだ?」

ドアノブに手を置いた格好のまま、陽葵は硬直している。


「……です」

「ん?」

「暗いところ怖いです……」

「えっ」

「だって! このドア閉めたら殺人鬼とかいるかもしれないじゃないですか!」

「あ〜……」

どうやら、夕方見ていたホラー映画に影響されたようだ。やはり怖かったのだなと、要は困ったように眉尻を下げる。


「わかったわかった。部屋まで送ってやるから」

「ほんとうですか!? ありがとうございます!」

ドアを開けると、外のひんやりとした空気が肌を撫でた。陽葵を先導して、501号室へと歩く。


「ほら、着いたぞ」

「ありがとうございました! こんなことまで……」

「じゃあ俺、自分の部屋に戻るから」

要は体を翻(ひるがえ)し、自室へと戻ろうとした。しかし小さな、ほんとうに小さな抵抗感を感じ、歩みを止める。


「……なんだ?」

抵抗感の元をたどってみると、陽葵が要のシャツの端を摘んでいた。


「……家の中に、殺人鬼がいないかなって」

「いるわけねぇだろ。俺も女子の部屋に入るわけにはなぁ……」

要は交際していない女子の部屋に入るのは、あまりいいものと思っていない。そのため、陽葵が要の部屋に入るのはいいが、要が陽葵の部屋に入るのは、あまり気が向かなかった。


暫く膠着していると、陽葵が何かを思いついたように、顔をパッと上げた。


「え、榎本さん、Lene《レーン》やってますか?」

「やってるが……それがなにか?」

陽葵の口から出たのは、日本でトップのシェアを誇るメッセージアプリだ。もちろん、要のスマホにも入っている。


「もしよかったら交換しませんか! その……ちょっとでも怖いの紛れるかなって……」


陽葵は「だめですか?」と上目遣いで聞いてくる。この上目遣いを見るのは二回目だが、やはり破壊力の凄まじさは変わらない。


「……わかった」

「いいんですか!? わーい!」

要はやむなしといった感じでポケットからスマホを取り出し、陽葵と連絡先を交換した。


「じゃあまた明日です! さよなら〜!」

交換を済ませると、陽葵は踊るように部屋に帰っていった。さっきまで怖い怖いと言っていたのに、よく分からない奴だ。


要はスマホを仕舞おうとすると、通知がきたのか振動した。見れば、たった今連絡先を交換した少女からのメッセージである。


陽葵:《今日楽しかったです! また映画見る機会あったら呼んでください!》

要:《またホラー映画見ような》

陽葵:《絶対に嫌です》


やりとりにクスりと笑みをこぼした要はスマホを元あった場所に仕舞い、自分の部屋へと帰っていった。

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