第26話:Happy birthday

互いに味覚がわからないまま、要たちは夕飯を完食していた。紙を長方形に畳み、ポテトのからと一緒に袋に入れる。


時計の短い針は六を指している。窓の外に目を向ければ、まだまだ日は落ちていない。空が高いのを見ると、季節が夏なのだと感じさせる。

少し早めの夕飯を終えた要たちは、グレープジュースを飲んで一息ついていた。要としては炭酸の入ったものにしようと思っていたのだが、

「たっ、炭酸ですか……あ、飲めないわけじゃないですよ? ただちょっと、あのシュワシュワする感じが喉を通らないと言いますか……」

陽葵が飲めないらしいので、何かないかと冷蔵庫を漁ったところ、このグレープジュースがあったのだ。


二人で手を合わせると、陽葵が口を開いた。

「ごちそうさまでした! 美味しかったです!」

「それは何よりだ」

彼女は大変気に召した様子で笑った。


「そういえば、お金を……」

「ああ、気にするな。いつも陽葵が出してるんだから、今日くらい奢らせてくれ」

「そういうわけには! いつもはわたしがやりたいからやっているので……」

「いいから」


ハッとした陽葵は慌るが、要の言う通り、いつもは陽葵が全て出している。今日ぐらいは要が払っても、バチは当たらないだろう。

「でも……」と続けようとした陽葵を制し、「それより」とこぼして話題を変えた。


「出前とは言え、陽葵が作らない料理を食べたのは久しぶりだな」

「確かに、そうかもしれませんね! また食べたいです!」

「そうだな……またいつかな」

「はい!」


はにかんだ陽葵に笑みを向けられ、要は居心地悪そうに彼女から視線を外した。空になったコップを手に立ち上がる。グレープジュースのおかわりを入れるためだ。無くなりかけている陽葵のコップもプラスチック製の盆に乗せ、キッチンへ向かう。


「あー、陽葵」

「はい? なんですか?」

空いた片方の手で後頭部を掻きながら、要はこぼした。少しの沈黙に、バライティ番組の笑い声が入り交じる。


「今日の晩飯の量、どうだった?」

「量、ですか」

脈絡のない要の質問に、陽葵は金茶色の瞳を少しだけ見開いた。ほっそりとした顎に利き手の人差し指を当て、「ん〜」と唸り始める。


「いつもよりちょっと少なめだった気が……」

「だよな、俺もそう思ってた」

「……なるほど?」

要の考えを図りかねて、陽葵は顔にハテナを浮かべた。眉間に皺を寄せ、眉尻を下げている。要はそんな彼女に背を向け、ジュースのある冷蔵庫へと身を運んだ。



「お待たせ」

「おかえりなさい……なんですか? その箱」


一分もしないうちに、要は居間へと帰ってきた。片方の手にはコップと二枚の皿を乗せた盆を持ち、もう片方には持ち手のついた白い箱を携えている。長方形の上に下底が長い台形を乗せたようなシルエットの箱だ。


とりあえず盆をテーブルに置き、次いで白い箱もおろす。陽葵の前に紫の液体が入ったコップを置いてやると、「あ、どうも」と軽く頭を下げた。


丁寧な手つきで箱のテープを剥がしていく。半透明なテープは特に抵抗することなく、要の手にされるがままとなっていた。陽葵は今か今かと、箱の中身が見えるのを待ちわびているようだ。

次にハンドロックを外していく。左右で一対となっているそれを解けば、箱の中身があらわになった。


「要くん、これって……」

「ああ、こっちが陽葵の分だ。それともモンブランの方が好みか?」

「いえ、そうじゃなくて……」

陽葵は箱の中に鎮座していた物を見て、目を丸くした。


勘づいた人もいるだろうが、白い箱の中身はケーキだ。週末プレゼントを買いに行った際、響と舞海に奢ったケーキ屋で買ったものである。


要はショートケーキを皿に乗せ、陽葵の方に置く。次いでモンブランを自分の方に持っていった。フォークを手にしてケーキをつつくが、陽葵は何がなんだか分かっていない様子でおろおろしている。


「どうした? 食べないのか?」

「……やっぱり、今日の要くんは変です!」

陽葵はとうとう、堪えきれないといった風にもらした。


「今日の要くんは変です! いつもなら勉強三昧なのにゲームしようとか言ってきたり!」

「……そんなに勉強三昧か?」

「出前とろうとか言ってきたり!」

「……久しぶりに食べたくなったと言うか」

「あまつさえ、食後にケーキまで!」

「…………」

要は押し黙る。

自分でもいつもと違うことをしている自覚はあったので、仰る通りだと口を噤んだ。フォークから手を離し、交代にテーブルの下に置いてあった紙袋を持つ。


「……誕生日おめでとう、陽葵」

「……へ?」

いきなり突き出された紙袋に、陽葵は固まった。二人の間に沈黙が流れる。おずおずと袋を受け取った陽葵は、中身に目を落とした。


要が陽葵への誕生日に選んだもの。それは三つある。


一つ目は目の前のケーキ。「何が欲しい」と尋ねたときに言われたものだ。立ち寄ったケーキ屋の中で、いちごがたっぷり乗ったショートケーキをチョイスした。


残りの二つは袋の中にある。

二つ目はシャーペン。要が使っているタイプの色違いだ。この前勉強をしているときに一本壊れたので、少しだけいいものをプレゼントした。テストの順位をあげてくれという切な願いが込められている。


三つ目は……


「……ハンドクリーム?」

「……そうだ」

陽葵はおずおずと袋の中を漁っていた。


「その……料理をする人は手が荒れるって友達に聞いたから」

ここでの友達とは舞海のことだ。相手が女性ということも加味して、悩んでいた要にハンドクリームを提案してくれたのだ。


「ああ……そっか」

陽葵は感慨にけるように目を伏せた。少し笑みをたたえると、次の言葉が自ずと口からこぼれる。

「わたし……今日誕生日でした」

「……気づいてなかったのか」

はにかんで笑うと、彼女は袋にペンとハンドクリームをそっと戻した。


暫しの無言の後、「そういえば」と陽葵が呟く。

「なんで要くんが、わたしの誕生日を知っているんですか?」

「紅音さんが去り際に言ってた」

「お姉ちゃん……」

陽葵はどこか遠い目をしているが、口元の笑みは消えていない。相当喜んでくれたようだ。


「あの……要くん」

「なんだ?」

「その……誕生日プレゼントをもう一つ、お願いしたくて」

「……俺にできることなら、なんなりと」


陽葵は頬をほんのりと赤くし、要の方ににじり寄ってきた。恥ずかしそうに「うぅ……」と呻いている。


「あ、頭を撫でてほしいです……」


そうもらした陽葵は耳の先までを赤くした。なんとも言えない空気が流れ、二人は沈黙する。


「……こうか?」

「――!」

要はおっかなびっくりに、手を陽葵の頭に乗せた。一瞬驚いたようにびくりと身を震わせたが、膝の上に拳を握り、恥ずかしさを抑えているようだ。


初めて触れる陽葵の頭は、わずかに熱を帯びていた。きめ細やかな栗色の髪はさらさらとしていて、くように撫でると気持ちがいい。


要自身、異性の頭を撫でたことなど今までなかったので、やり方が合っているかがわからない。緊張した硬い手つきで、彼女の頭に乗った手を前後させる。



――どれくらいそうしていただろうか。

陽葵は茹で上がったように首筋を真っ赤に染め、ぷるぷると小刻みに振動している。ずっと俯いているため、表情はわからない。

手を休まず動かしている要も、だんだん恥ずかしくなってきていた。


「そ、そういえば、ケーキ食べなきゃですね!!」

陽葵はバッと勢いよく顔をあげた。要も慌てて手を離す。


「ああ……そうだな」

「食べましょう、ショートケーキ! わたしショートケーキ大好きです!」

変なテンションになっている陽葵は目の前のフォークを取った。てっぺんの苺を突き刺し、一口に頬張る。


「要くん!」

「なんだ?」


陽葵は一息おいた後、今日一番の笑みを浮かべた。

「今までで最高の誕生日でした! 貰ったもの、大切にしますね!」

「……おう」

真正面から笑いかけられ、不覚にもドキッとしてしまう要であった。

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