第74話:どうせ夢なら

 「......まじか」

 エンドロールを迎える頃、要は気づかないうちに、陽葵は睡魔に襲われていたらしい。要の左肩に小さな頭をもたれさせ、身体は呼吸によって周期的に収縮を繰り返している。意識の八割を自分の左肩に持っていかれて、結局映画の内容は全くと言っていいほど入ってこなかった。また今度一人の時に見ようと思うが、見ている途中にきょうの出来事の思い出し羞恥に駆られないかが心配なところだ。


 「陽葵、起きろ」

 空いている右手で陽葵を優しくゆすってみるが、こてんと傾いた顔から安らかな寝顔が見えただけで、瞼はぴくりとも動かない。時刻はすんでのところで二十三時を回っていないのだが、陽葵が普段からこんなにも早寝なのか、それとも今日は特段疲れているのか。


 陽葵は普段、何時に起きているのだろう、そういえば聞いたことはなかった。しかし、陽葵はいつも身支度を済ませてから七時前後には要の部屋に来て朝食の準備を始めている。もしかすると、要に朝ごはんを作るため、と括るのは自意識過剰かもしれないが、毎朝早くに起きているのではなかろうか。そうだとするならば、ここで起こしてしまうのはなんだか気が引けてしまう。


 もちろん一番なのは陽葵が自分の部屋へ戻り、自分のベッドで寝ることだが、あいにく要は501号室の鍵を持っていないし、持っていたとしても陽葵をそこまで運ぶのは困難だろう。陽葵の体重的な話ではなく、要の筋力的な問題で。


 「............はぁ」

 しばらく自分の理性と相談した結果、要はスマホを操作して電気をつけた。幸いリビングと自室を繋ぐスライド式のドアは半分ほど空いており、これなら足を使えば開けれそうだ。


 要は片腕を陽葵の背面に回し、肩を抱き抱えるように、もう片腕を膝の下に差し入れた。横抱き、現代でいうところのお姫様抱っこの体勢をとる。四つ隣の部屋までは無理でも、すぐそこにある要の部屋くらいまでは要のからだも頑張ってくれると信じたい。安定性を高めるため、できるだけ要自身の負担を減らすために密着しなければならないのは承知しているのだが、フィジカル面の負担と反比例してメンタル面の負担が増加している気がする。もちろん途中で落とすなど言語道断なので、肉体的負荷を極限まで減らす方向でいくしかないのだが。


 「せー......のっ!」

 小さな気迫と共に、要は陽葵を持ち上げることに成功した。さすがというべきか、陽葵の身体は要の細い体でも持ち上げれるほどに軽かった。もちろん、ずっと持ち上げていられるほどの持久力はないのだが。

 鼻腔をくすぐってくる甘い香りはできるだけ意識しないようにしながら、最短距離で、しかし安全第一で自室へと急ぐ。

 「これでよし。いや、よくはないか......」

 とりあえず起こすことなく、陽葵をベッドに運ぶことはできた。自分のベッドに女の子が寝ているとは、実に変な感覚である。なんというか、妙な背徳感が——

 要は思考をシャットアウトし、すやすやと寝息を立てる陽葵に布団をかけた。「おやすみ」と小さくこぼし、部屋を後にする。

 「ソファで寝るしかないか」

 本当は明日の準備などしたいこともあったが、勉強道具やリュックサックは全て自室にある。音を立ててしまうと陽葵を起こしてしまう恐れがあるため、明朝の自分に頑張ってもらうとしよう。

 要は来客用の掛け布団を引っ張り出し、ソファに横になった。



 「......んぅ」

 時刻は五時五十分ごろ、陽葵は光に耐えつつ瞼を上げた。いつもは六時にアラームを設定しているのだが、最近は慣れたのか、アラームの前に目が覚めることも増えた。

——昨日は映画を見て......あんまり覚えてないな。

 勇気を出して要に指を絡ませたのは覚えているのだが、その先はあまり記憶がない。

 「......あれ」

見れば、枕と布団カバーの色も、光が差し込む位置も違う。どうやらここは何度か見たことあるが、要の部屋のようだ。間取りも何もかも、朝起こす時に見るものと一致している。ここから導き出される結論は......!


 「まだ、夢か」

 きっと昨日映画の最後はうとうとして記憶がなく、半分寝ながら自室に帰ったのだろう。そのままベッドにダイブして、今は夢の中、という寸法だ。

 そういうことならまだ起きる必要はない。せっかく好きな人の布団で寝れる夢を見ているというのに、わざわざ幸福感を遠ざける行動をする必要もあるまい。布団の手触りも、要の匂いまで、忠実に再現されている。少々の恥じらいを感じながら布団の匂いを嗅いでみると、たちまち充足感に満たされる。まるでつま先から首元まで、要に包まれているようだ。きっとこの夢を見られただけで、今日は幸せに過ごせるだろう。


 もしこれが明晰夢とやらなら、陽葵が望めば要がくるのだろうか。今まで夢を見ながらこれほど意識を保っていたことはないので、もしかするのではなかろうか。一抹の期待を抱き、リビングにつながる扉に向かって念じてみる。


——ガラッ。

——ほんとにきた!!

 念じて数秒、本当に扉が開く音がした。今ベッドの持ち主と顔を合わせるのはなんとなく恥ずかしく、目元まで布団を被る。

 「陽葵、起きてるか」

 紛うことなく、要の声だ。この部屋に住んでいて、陽葵が恋をしている人。少し寝起きっぽい声をしている気がするが、どんな設定の夢なのだろうか。

——起きてますけど、まだ起きたくないです。

——だって、まだこの夢を堪能していたいから。

 目深に布団をかぶっていて見えないが、寝たふりをしている陽葵に、きっと困った顔を浮かべているだろう。要が起こしに来るとは、まるでいつもと逆だ。


——そうだ、どうせ夢なら。

 「こっち」

「うおっ」

 近くまで来ていた要の腕を引っ張り、陽葵の隣へ引き摺り込む。陽葵が頬を赤らめながら柔らかく笑うと、要も顔を紅潮させていく。いかにも現実の要がしそうな反応だ。

 「一緒に寝よ?」

「——!」

蠱惑的な声で囁くと、要は驚いたように目を開き、みるみる顔に血が通っていく。

 陽葵は小悪魔的な笑みを浮かべ、満足したように再び目を閉じる。要としたいことは他にもたくさんあるのだが、できれば現実で経験したい。それに、もしかしたらまたこのような夢を見れるかもしれないし、現実でできなそうなことはその時にとっておこうじゃないか。

 夢とはいえ、要を抱き枕にしながら寝ることができるとはなんたる暁光か。いつかは現実世界でもしてみたいが、きっとまだまだかかりそうだ。

——ああ、すぐ寝ちゃいそう。

 要の温もりを感じながら、陽葵は再び安らかな微睡まどろみに身を委ね......


 「お! き! ろ!」

「!?」

 赤くなっていた要は陽葵の顔を両手で挟み、少し強めに三回ゆすった。寝る気満々だった陽葵は一気に睡魔から解放され、ハッと目を開ける。頬を赤く染めた要と視線が絡む。夢の中で起こされることなど、陽葵が約十五年間生きてきて初めての経験だ。もしかして——


 「夢じゃ、ない?」

「夢? 寝ぼけてんのか?」

「!?!?!?!?」

 陽葵の全身に勢いよく血が駆け巡るのに、二秒とかからなかった。

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