第6話:自炊のすすめ
要たちが様々なやり取りを経てようやく入店したスーパーは、ピークの時間を既に終えたのか、特別混んでいることはなかった。
「あ、回るのは順当に野菜コーナーからで大丈夫ですよね?」
「ああ。大丈夫だ」
カゴを乗せたカートに手をかけている陽葵が、一応という感じで俺に確認してきた。
俺はいつもなら冷凍食品や惣菜、必要に応じて日用品だけをさっさと買って帰るため、入口でカゴを取り、出口の方から回るのだが、今日は陽葵と二人で回るので、そういうわけにもいかないだろう。
「……そういえば誰かと買い物するのって久しぶりだな」
最後に行ったのは高校に来る前だろうか。母親が卒業祝いに何が欲しいと聞いてきたのだ。要はあまり高いものをねだるのも悪いと思ったし、そのとき映画鑑賞にハマっていたので――今でも変わっていないが――DVDプレイヤーが欲しいと答えると、
「一人暮らしするんだから、映画だけじゃなくて好きなテレビとかも見れないと暇でしょ!」
と言って、少々お高めのDVDレコーダーを買ってくれたことがある。それは今も要の部屋にあり、日々頑張ってくれている。
要が昔の事を思い出し、感慨に浸っていると、先の独り言が聞こえていたのか、陽葵はこぼした。
「そういえばそうかもしれませんね。私も誰かとお出かけするのは久しぶりです」
陽葵は真剣な顔で袋に詰める玉ねぎを選定している。しかし、先程までの元気はどこへやら、その整った横顔と鈴のような声には、どこか哀愁が浮かんでいるように感じられる。
いや、元気がないというわけではないのだが、声の張りがなくなったと言うか……
しかし、玉ねぎを袋に詰め終え、再びカートを押し始めた頃には、陽葵の様子はいつも通りに戻っていて、沈んだような表情は見間違いかと思う程さっぱり消えていた。
「そういえばおまえ、いろいろな食材買ってるけど、もしかして毎日自炊してるのか?」
「そうですね、一応は。というか榎本さんのカゴに入ってるのは……缶詰?」
野菜や肉などでうまりつつある陽葵のカゴに対し、要のカゴに入っているのは、白桃の缶詰二つのみだ。
「桃……好きなんですか?」
「まあ好きか嫌いかで言ったら好き……だと思う。昔から母親がよく食べさせてくれたんだ」
「そうなんですか……ふふっ」
「な、なんで笑うんだよ」
「いや、可愛いなと思って」
「…………」
陽葵は要が不服の意を示すのもお構い無しという感じで、上品に口元に手を当てて、クスクスと控えめに笑っている。
あちらののカゴを一瞥すると、入っているのは野菜、玉ねぎ、じゃがいも、豚肉などの料理の材料、あとは目の前の陳列棚からとった調味料くらいだ。お菓子や甘味の類は、一切入っていない。
「そういうおまえはなんというか……主婦的だな。お菓子とか食べないのか?」
「お菓子はたまに食べるくらいですね。一回食べ始めると歯止めが効かなくなっちゃうので、テストが終わった日とかだけです。あ、決して甘いものが嫌いなわけではないですよ?」
陽葵にもっともらしい理由を述べられ、要はつい、感心してしまった。こういう自制の賜物こそがこの整った容姿であり、「学校一」たらしめる
「……女子って大変なんだな」
「? そりゃあ大変ですよ。常に可愛くいたいですから! 中学のときに生まれ変わるなら男の子か女の子か、っていうアンケートがありましたけど、女の子は正直おすすめできません」
「まあ女の子だけの楽しみもあるんですけどね」とこぼした神原はスマホを取り出し、残りの購入すべきものを確認している。
「私は買うものはあと卵と乳製品くらいですね。榎本さんのカゴの中身はさっき見た時と変わっていないようですけど……」
「それなら俺もさっさと買うもの取ってくるよ。もう少し先の方にあるから」
「あ、了解です!」
どこのスーパーもほとんど同じだと思うが、惣菜類や冷凍食品はだいたい最後の方にある。
最初の方に惣菜などの完成品を配置してしまうと、その後に肉や魚を見ても購入意欲が湧かないそうな。だからスーパー側としては、ある程度食材をカゴに入れた後に、もう一品欲しいと思わせるため、最後に配置しているらしい、と、いつだったか見たテレビ番組で知った。
(今日はどれを食べようか……)
要は入学してから、結構な頻度でこのスーパーにお世話になってきたので、この辺のものは多分一回ずつは食べている。なので冷凍食品の棚の前に立つと、いつも何を食べようか考えてしまうのだ。
(まあ今日はゆっくり選ぶ時間もないし、前回とほぼ同じでいいか。わりとうまかったし)
今回俺が選択したのは、ミートソースパスタ、炒飯、他三品である。買うものが決まれば、あとはカゴに入れて神原のところに戻るだけだ。
要はそう思い、ミートソースの袋に手をかけようとした、その時だった。
――要の手首が、ブラウスの袖に包まれた真っ白な手に掴まれたのは。
「あの、榎本さん」
「なんだ。あとこの手は」
要の手首を掴んだ手の主は、言わずもがな陽葵だった。陽葵は俺の質問には答えず、話を続ける。
「今日の夜ご飯ってこれですか?」
「そうだが」
「もしかして昨日や一昨日のご飯もこんなですか?」
「……そうだが。あとこんなとか言うな」
陽葵は要の手首を掴んだまま、考えるように少し沈黙した後に、こう言った。
「……戻してください」
「なんでだ」
「だって! 榎本さんって食べ盛りの高校生なんですよ!? 冷凍食品が悪いとは言いませんが、いっつもこればっかりだったら栄養偏っちゃいます!」
神原が言っていることはよく分かる。俺も栄養のことを考えたことはないわけじゃない。しかし……
「料理は一応はできるし嫌いじゃないんだけど……面倒くさくて」
俺は少し気圧されながらそう答えた。
「それなら私が作ります!」
……え?
「いま……なんて?」
「私が作りますって言ったんです!」
あまりに突然のことで、理解が追いつかない。まさかこんなことを言われるとは、要は思ってもいなかった。
「私、自分の料理はそんなに人に食べさせたことないですけど、まずくはないはずです!」
「いや、あの」
「私の実家、わりと裕福で、仕送りとかいつも余分にあるのでお礼とかも気にしなくていいですから!」
「そういうことじゃなくて……」
「とにかく! 榎本さんに健康的な食事をして欲しいんです! 言ってくれれば、毎日でも作ります……から……」
ここで陽葵はようやく、自分が何を言っているかを理解したようで、カゴに入っているトマト程に赤くした顔を、要の手首を掴んでいた手で覆った。
「あっ、もっもちろんご飯を食べるのは榎本さんなので、お嫌でしたら強制はできませんから……」
「嫌じゃないけど……なあ、神原」
「はっ、はい!」
神原は顔にあった手を素早く体の横まで持っていき「気をつけ」の体制をとると、上擦った声で返事をした。
「おまえはなんで、俺にここまでしてくれるんだ?」
これだけが気がかりだった。
俺は今、とても魅力的な提案をされていることは分かっている。
しかし、要と陽葵は今日、もっと言えば数時間前に知り合ったのだ。以前いじめを助けたことがあるとはいえ、お世辞にも関係が深いとは言えない。
「そ、それは……」
「それは?」
陽葵は先程の自分の発言がまだ忘れられていないのか、その顔は未だに赤らんでいる。少しの沈黙の後、その回答は、満を持して返ってきた。
「……やっぱり言えません!」
「なんでだ……」
「言えないものは言えないんです! 榎本さんのノンデリカシー男!」
要は神原が何をそんなに言いたくないのか分からず、困惑した。
「結局、ご飯の件、どうするんですか!」
陽葵は相当言いたくないようで、強引に話題を変えてきた。
件のご飯の提案を冷静に考えてみると、要からしたらメリットしかないように思える。だからこそ、陽葵がなんでこんな提案をするのか分からないのだが……。
しかし、この機を逃せばもう、誰もが羨む「学校一の美少女の手料理」を賞味することはないかもしれない。どうするべきか……。
「……それなら、お言葉に甘えることにするよ」
「……! ほんとうですか!」
要は葛藤の末、陽葵の提案を呑むことにした。理由は分からないが、ここまでしようとしてくれるのは悪い気はしない。もちろん、陽葵に任せっきりにするつもりはなく、多少は手伝うつもりだ。
「そうと決まれば、早くお会計して帰りましょう! あっでも、毎日二人分を作るって考えたら、これじゃ足りないですかね?」
陽葵は自分のカートに乗ったカゴを見下ろしてそう言った。
「おい、誰も毎日作れなんてことは」
「大丈夫ですから! さあさあ、行きましょう!」
要はノンデリカシー男という称号と引き換えに、晩御飯をこの「学校一の美少女」と同席させていただく権利を得たのだった。
「結局、なんでおまえは俺にここまでしてくれるんだ?」
「だっ、だから言えませんってば! ……今は」
「今は……ってことは、いつかは教えてくれるんだよな?」
「うぅ……そんなこと言う人には、ご飯作ってあげません!」
「じゃあ俺やっぱり冷食買ってくるけど」
「だめです! 私が作るんです!」
「どっちだよ……」
――その後、陽葵は卵が買えて嬉しいのか軽やかな足取りで、要はまた視線にさらされるのかと少しげんなりしながら、スーパーを後にした。
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