第37話:金魚ハウス

短いようで長かった夏祭りが終わり、その翌日。要は大の字になって床に寝転んでいた。

昨日陽葵を探しにあちこち走り回ったせいか、ふくらはぎが痛い。これは治すのに二日、いや三日はかかりそうだ。


体育を除けば陸上大会から運動らしい運動をしていなかった要には、筋肉を総動員することはやはりこたえたらしい。そのお陰か、昨日は床について三分後にはぐっすりだったが。


さしもの要も今日くらいは勉強を程々にして、ガッツリ休暇をとろうと考えていた。時刻は起床してから約一時間の午前九時頃だが疲労も相まり、横たわっていればだんだんとまぶたが重くなってくる。このままもう一眠りしてしまおうかという思考が、現実世界を遠ざけていく。


「要くん起きてください! お買い物に行きますよ〜!」

瞼を完全に閉じかけた矢先、この頃一番聞いている声がした。その声から逃げるように、身体を丸める。

陽葵は朝早くから要の部屋に乗り込み、いつかのように「買い物に行こう」と言い出したのだ。昨日一番はしゃいでいたのは彼女なのに、まだまだ元気が有り余っているらしい。とても部活無所属の女子とは思えない。


「さっきも言ったけど、俺は今日筋肉痛がヤバいんだ。とても長距離歩ける状態じゃない」

「そんなこと言ってちゃ、次どこか行くってなったらまた筋肉痛ですよ!」

要が呻くも、陽葵は引かない。要の身体を前後に揺するが、寝返りをうって受け流す。

「こうなれば最終手段です!」

「はいはい、ご勝手に」


頬を膨らませる陽葵にひらひらと手を振ると、彼女は「最終手段」とやらを発動させた。



「おぉ〜! おっきいですね!」

渋々付き添わされた要とともに、陽葵はホームセンターに来ていた。どうやらホームセンター自体来たことがないようで、輝くような笑顔を浮かべている。


「それじゃあ、金魚さんのお家を買いましょう!」

今日この場所に来た目的は、昨日獲った金魚の水槽などを買うことだ。ずっとビニール製巾着袋の中では、金魚も息が詰まるだろう。

そこで金魚を飼ったことがある要に協力を仰いだというわけだ。一応飼い方を教えると言ったものの、まさか買い物から手伝わされるとは思っていなかった。昨日の言動を思い出し項垂れる。


「ていうか要くん、結局ついてきてくれましたね。今日は動かないぞ〜って言ってたのに」

「お前なぁ……あんなこと言われたら、動かないわけにもいかないだろ」


陽葵がにんまりと笑っているうちに、要は先程の光景を思い出していた。


「こうなれば最終手段です!」

「はいはい、ご勝手に」

「……行ってくれなきゃ、もうご飯作りませんから!」

「……行く」

そんなことを言われては、そのまま寝転んでいるわけにもいかない。今やあの料理は要の生命線である。要は三分で身支度を済ませ、アパートを出たのだった。



「あれを脅しに使われたら、聞かないわけにもいかないだろ」

「ふふ〜ん、まあ断られても作る気でしたけど!」

「……帰る」

「あ〜、待ってくださいよぉ〜!」

陽葵は自分の料理を大事にされていることを感じ、ニヤけながら要の後を追った。


「あっ、そういえば金魚さんにご飯をあげていません!」

料理の話で思い出したのか、陽葵は口に手を当てハッとした。おろおろと意味もなくあちこちに視線をやり、次いで要の方を見る。


「どうしましょう要くん! 金魚さんが……」

「大丈夫だ、さっさと水槽やらを買って帰ろうぜ」

「でも! 帰ってみて金魚さんがぐったりしてたらどうするんですか!」

途端、陽葵は身体の向きをくるりと変えた。彼女の視線の先には、ホームセンターの入口がある。この季節に合わせてか、服が濡れない程度の人工ミストが放出されている。


「もしかしてだけど、一回家まで行くとか言わないよな」

「ちょっと待っててください、すぐ戻るので!」

確かに彼女の瞬足なら、片道五分とかからないだろう。家に戻れば、昨日店主から譲り受けた少量の餌がある。腹を空かせた金魚の為に急ぐその姿は、まるで母親のようだ。陽葵は大きく一歩目を踏みだ――

そうとしたところで、要に肩をむんずと掴まれた。勢いを殺され、腹部だけが先行する体勢で止まる。


「金魚は代謝が悪いっていうか低いから、健康なやつなら十日間餌なしでも大丈夫だ」

「代謝ってなんですか?」

「……結構前に習ったと思うんだが」

陽葵の大脳皮質からはすっかり抜け落ちているようだ。初めて聞いたことのように「ほえ?」と首を傾げる。


「とりあえず、今すぐ食べなくても大丈夫だ」

「なるほど! あの店主さんなら、餌をあげてないってこともなさそうです!」

陽葵は安堵の表情を浮かべると、再び身体を翻した。

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