第47話:夏休みの終わり
要が手持ち花火を自分で持ったのは、実に七年振りだ。小学二年生のときに両親と行ったきり、それからは一度もない。
あのときは童心もあり、散る火花を千金の宝石のように眺めていた記憶がある。それこそ今隣にいる少女のように。
地元ではそこそこ大きな打ち上げる方の花火大会もあったのだが、行ったことはない。何故かと言っても特に深い理由はなく、単に当時から人混みが苦手だったからだ。
嘔吐などの重い症状がでたわけではないが、なんというか息苦しく、呼吸が浅くなっているような感覚が嫌だったのだ。毎年窓から見えるカラフルな火の彩りと音を聞きながら『行けばよかったかな』と思うこともあったが、そんな考えも学年が上がるにつれて薄れていった。
そのせいか、要は目の前で派手に燃えるシャワーに、大きな懐古の念を抱いていた。
「……たまにはいいもんだな」
「要くんもそう思いますか!」
脇からずいっ、と近づいてきた陽葵に驚き、要は僅かに後退ろうとした。しかし膝を折って屈んでいたので、思わず横転しそうになる。
「わたしは毎日でもやりたいです!」
「毎日か……ちょっときついな。楽しそうだけど、お金と時間がな」
それにまだ宿題が残っているだろ、という言葉を、要は飲み込んだ。せっかくの楽しい時間なのに、水を差すのは違うだろう。昔の要がそうだったように、楽しいときには楽しいことしか考えたくないものだ。きっと陽葵も同じだろう。
「冬とかにやるのも楽しそうだな。辺りが白ければなお良しだ。あんまり冬に花火っていうのも聞かないが」
「夜なら寒そうですけどね」
「結構着込めば……ていうかここって雪降るのか?」
生まれも育ちも都会らしい陽葵に尋ねる。
「一応降りますけど、あんまり積もることはないですね。せいぜい足跡がつくくらいです!」
「俺の地元の冬を見せてやりたいよ。足跡どころか膝まで積もるからな」
「それは……いつか見てみたいです! かまくらとか作れるんですか?」
「作れるとも。まあ先に雪かきをしなきゃならないんだけど。せっかくどかしても次の日には元通りだから、大変なんだぞ……あ」
真反対の季節の話をしているうちに、要の花火は火の粉を散らした。消えるときは静かなもので、『ジュウ……』という名残を最後に、残ったのは
未だ熱を持つそれを水バケツに突き込み、次の一本を手に取った。
「意外と早いもんだな。あんなにあったのに」
「楽しい時間は早いって言うからな」
「要、なんやかんや言って楽しかったのかよ」
響はにやけながら言う。
「そりゃ楽しいだろ。花火なんて久しぶりだ」
「それにこの四人で遊ぶのも」というのは思うに留め、口には出さないでおく。
これを終了の合図と受け取ったのか、陽葵が口を開いた。
「それじゃ、片付けましょうか! 結構遅い時間ですし!」
気づけば時間は既に八時を回っている。蝉の鳴く声は一時間前と変わっていないが、いつの間にか夜の帳は更に深まっていた。
「ちっちっち、あと一つだけ残ってるんだな〜」
舞海はわざとらしく陽葵に指を振った。
「ひーくん! アレ持ってきて!」
言われて響が持ってきたのは、円筒の形をしたものだ。上底部分には黄色い紙が張られ、中心から捻られた紐が飛び出ている。これが花火ならば、恐らく導火線だろう。
「これも花火なんですか?」
「まあ見てなって! つけるよー!」
舞海はかがみ込み、導火線に火を近づけた。しばらく待つと火は導火線を伝い、ジリジリと短くなっていく。
「ほわぁぁ……」
盛大な音を立て、火花の束は吹き上がった。原色のそれは要の身の丈以上にものぼり、辺りを照らす。
「すごいですね! 要くん!」
「あぁ……俺もこれは見たことないな」
要は陽葵とともに、感嘆の声をもらす。
あれは舞海が持参したセットに入っていたものだ。他の袋に囲まれ、中央に鎮座していた。要も開封時にちらりと見たが、こんなものとは思わなかった。
「……楽しかったですね」
陽葵は炎の柱を見つめながらこぼす。
「そうだな」
「でも終わっちゃうって考えると、少し寂しいです……」
「またやればいいだろ? 来年でも再来年でも。いつでもできるんだからさ」
「そうですね!」
はにかみながらこちらを振り返る陽葵の顔は炎に照らされ、花火の何倍も美しく見えた。
「終わっちゃったね」
片付けの
「まあ楽しかっただろ? またやろうぜ」
「だって、夏休みももうすぐ終わっちゃうんだよ?」
思えば、あと十日程で夏休みも終わりを迎える。要にとっては十分すぎる長い休みだったのだが、舞海はまだ遊び足りないらしい。
「まあぼちぼち帰るか。舞海の迎えももう来てるんだろ?」
「うえ〜ん、帰りたくないよぉ〜! 時間を巻き戻してもっかい遊びたいよぉ〜!」
泣き言を言う舞海に、要は尋ねる。
「俺らもそろそろ帰らないとな。ところで舞海、明日空いてるか?」
「えっ? 空いてるけど……」
「じゃ、明日俺の家集合な。都合のいい時間教えてくれ」
「いいけど……何して遊ぶの?」
「決まってるだろ」
一呼吸置き、要は言った。
「残ってる分の宿題消化だ。やってないやつ全部持ってこいよ」
「えっ」
「響はもう終わってるらしいから、一緒に監督やってもらう……おい、陽葵もだぞ」
忍び足で公園を離れようとしている陽葵に声をかけると、彼女はびくりと肩を震わせた。ぎこちない動きでこちらを向き、苦笑いを浮かべる。
「じゃ、また明日な」
「ひーくん助けて! あの妖怪宿題お化けをなんとかして!」
舞海は響に縋り付くが、彼はそっぽをむいてわざとらしく口笛を吹くだけで止めようとはしない。勉強を終わらせていないのが悪いというのは、響も同じ考えのようだ。
「あの、要くん……明日桃をたっぷり使ったスイーツを作ってあげますので、明日の勉強会は無しに……」
「だめだ」
「要くんの鬼! 悪魔! 明日は朝から晩まで三食献立にナスをいれますからね!」
女子二人が喚く声を背に、要は帰路を急いだ。
翌日、陽葵は午前中から、舞海は午後から要の部屋に来た。どちらも生気が削がれた顔をしていたが、今日中に宿題を終わらせるという要の固い意志の前には何か言うにも言えなかったという。
無事に二人は宿題を消化し、肌は心做しか艶めいて見えた。
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