1 はじまり

第1話 皆さん、手を使わないで戦ってください

 白黒の五角形が張り合わされたボールを蹴り始めたのが、二歳の頃。


 もちろん覚えていないし、家に残されている動画を見てもただボールとじゃれて「キックキック!」と言っている母さんに、どうにかボールを蹴り返している程度。


 単なる外遊びの一環だろう。


 時々ボールを両手で持って、ラガーマンのように走り出したりもしている。


 そして前のめりにズバーッとずっこけて思い切り泣く。ナイストライだ! ボール丸いけどね。


 だからまだ、サッカーを始めた年齢とは言えない。むしろ本格的にラグビーしてた。だって手を使っちゃいけないとか、それもう人類の進化を否定しているようなものだからね? 手を使ったほうが楽だと考えるのは健全なことである。




 ただ親父はこの頃既に、地域の少年サッカークラブでコーチをしていたそうだ。


 中学、高校、大学とサッカーをプレーし続けた親父は大学卒業後、一度普通の会社員になる。が、ある程度の貯金を作ったらすぐにリタイアしたそうだ。


 昔から性格がブレてないなぁ。人生に安定とか求めないタイプなんだろう。リスクを背負わないことがリスクだ、みたいな。


 グダグダ文句を言いながら嫌そうに会社員やられるよりはマシというか、そういう親父の性格は人間臭くて好きだけどさ。正直に言って、母さんの苦労は偲ばれるよ。




 そういう事情もあって俺は、物心がつくよりずっと以前から日常的にボールを蹴っていたし、蹴り続けていたし、物心が付いてもやっぱり蹴っていた。


 要するに、結局のところいつからサッカーを始めたかという明確な時期は解らない。


『ボールを手で持ってはいけない』と覚えた頃かもしれないし


『三角コーンを使ったドリブル練習』を始めた頃なのかもしれない。


 どちらにせよ覚えてないけれど。




 ただ五歳の頃、地元のJリーグクラブに所属する選手が幼稚園を訪問してくれた日のことだけは、鮮明に覚えている。


 五歳なら、そりゃ二歳の頃に比べて記憶はあって当然なんだけど。それにしてもやたらクッキリしたカラー映像に音声付きで、まるで昨日のことのような記憶だ。




 幼稚園の友達のほとんどはサッカーのルールも知らない普通の子。簡単なルールぐらいは知っている子がいても、精々サッカースクールに行ったばかりの習いたて。


 生まれてすぐサッカーボールのクッションを渡されて、周りの子がぬいぐるみを疑似家族や疑似生き物として扱っているから『ボールさんは生き物』と信じ続けた俺とは育ちが違う。もちろん周りの子が正しい育ち方だ。


 本気で困った母さんがボール型クッションの中に言葉をオウム返しする機械を仕込んで俺は更にボール型クッションさんと親しくなったわけだが、親父はそれを「蹴れ」と言うわけだ。幼児に何してんの? 今思えば酷い話である。


 まあ、そうしてずっとボールを蹴り続けていた(結局蹴った)俺が普通の子を相手に大活躍するのは、至極当然のことだ。


 プロ選手ならそういう背景ぐらい一目で解っただろう。「あ、こいつ蹴り慣れてんな」ぐらいの感じで。




 しかし、そういう前提があったとしても、俺がボールを蹴る姿を見たある外国人選手は流暢な日本語でこう言ったのだ。


「キミは天才だ! 絶対プロになれルよ!」


 丁度その頃に、親父がコーチを務めるサッカークラブへ通い始めた。


 そして俺はあの流暢な、でもちょっとルに独特なイントネーションのあった日本語を励みに練習を続け、親父も全力でそれを支えて持ち得る全ての知識と技術を叩き込もうとしてくれた。


 結果、こうして努力を努力と感じすらしないサッカーバカに仕上がったわけだ。




 ちなみにこの外国人選手とは後に再会することとなる。




 本当にサッカーしかやった覚えがないのは困りどころだけれど、それだけの時間を費やした成果か、俺は地域レベルとは言え確実に名を上げていった。


 そこから小学校生活の終わりに参加したイングランド・プレミアリーグの古豪チームが主催するイベントで才能を認められて、チームの下部組織であり育成を目的とする『アカデミーチーム』に留学生として招待されることになったわけだ。




 日本の西にある片田舎から一足も二足も飛ばして世界を体感しに行く。


 突然始まったサクセスストーリーにちょっとだけ雑誌の取材とかが来たりもして、これはもう俺の未来は決まったな……なんて、選手としての輝かしい将来を疑いもしなかった。もちろん小学校の卒業アルバムには『夢:ワールドカップで優勝する』と書いた。……いやね、これがもう恐ろしいことに、本気で書いたんだ。クラスメイトも誰も否定しないどころかサインねだられる始末だし。


 友達から「イギリスに行って英語喋れるの?」と訊かれりゃ「サッカーしに行くだけだから」と答えるだけで「「「おおーっ」」」となるわけだ。何このチョロいゲーム。




 しかし今、俺は日本にいて、アカデミーチームどころか部活動にすら参加していない。




 あの頃書いた下手くそな英字サイン、みんな捨ててるといいな……。綴り間違ってたよ……。

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