第12話 必殺仕事人

 プレハブ造りの事務所では五台のデスクが島を作るように並び、その中の少し離れた二台にそれぞれ一台ずつデスクトップパソコンが置かれている。一つは親父が使う監督用で一つは共用だ。なんでも過去の経理とか給与の情報は監督用にのみ保存されているらしい。



 俺が傘を閉じてドアを開けた頃には、既に、ソフィと親父がそれぞれパソコンの置かれたデスクに向かって座っていた。


 女子チームの練習日ということは混成チームの休養日であり、曜日によっては小学生の練習や出張スクール、初心者向けの体験教室などが予定に入ることもあるが、基本的には指導者も休日となる。


 混成チームで月・水・金曜プラス土日の試合となるとそれだけで週五日になるわけで、残業時間や有給休暇の消化に厳しい昨今では確かに、女子チームの指導者を探すのは困難だったのだろうと思う。


 女子チームのために他を削るという話には中々できないわけで、『上手くいっているときは変えない』という言葉もサッカーでは伝統的にある。勝てているならメンバーも戦術も変えないほうが好ましいってことだ。今のレポロは経営としても選手を育成するチームとしても上手くいっているのだから、指導者が変わったり激務に追い詰まるようなことは最大限避けたいだろう。



 そういう事情もあって、俺達の他にはコーチが一人いるだけ。俺にかけられたJS女子小学生をニヤニヤ見るロリコンという本当にありがたくない容疑をドストレートにぶつけてきた多湖たごさんだ。見ると応接用の椅子に座ってスマートフォンの地図を見ながらメモを取っている。この人は送迎バスの運転もできるから、コース決めだろうか。



「お疲れ様です。多湖さんって事務仕事で休日に呼ばれたりするんですね」


「んなアホな。俺に事務仕事ができると思うか?」


「あー……サッカー以外のことできそうにないです。でも、じゃあなんで」


「女子チームの練習日にはコーチが一人来ることになってるんだよ。監督と高校生二人だけじゃ手が足りないこともあるかもしれないだろ? 怪我人が出たりとか。ロリコンが逮捕されたりとか」



 負傷者は程度によって対応を変える。軽傷であれば保護者のかたに迎えに来てもらう程度で済むけど、明らかに重症であれば救急車を呼ぶ事態まで想定しなければならない。確率は低いけどゼロじゃないんだ。個人的にも、小学校時代には鉄製のゴールポストに衝突した下級生が救急車で運ばれていくのを見たことがある。ロリコンが逮捕されるのはまだ見たことがない。というかその疑惑早く消してくれ。


 そうすれば付き添うのは(多分逮捕でも)監督なわけで、俺とソフィだけが残されてしまう(逮捕なら俺もいない)。すると『正規の指導者のもとで』という前提条件が一時的に崩れてしまうわけだ。初日、練習が終わった後はポイッと放り出された感じだったけど、こういう肝心なところはしっかりしてる。



 さて、その仕組みを作った親父はSNSの更新に監督用パソコンを使っている。昔からやっているから手慣れているだろうし手伝う必要はないだろう。


 俺はソフィの座る席に向かって歩いた。パソコンが使えるか知らないけど、使えたとしても日本語という部分で手伝えることがありそうだ。


 しかしソフィは、置かれているパソコンには触れず画面も点けず、自前らしきノートパソコンをデスクに置いて黙々と操作している。



「ソフィ? ここのパソコンを使った方が早いと思うんだけど……」



 普段はかけないメガネをかけて、画面を凝視しながら時折、左側へ置いた紙に視線をやる。手元は一切見ず器用にキーボードをタイプ。



「タイピングが狂うのは嫌ね」



 キーボードが違うと手元に狂いが出るってことか? そんなに変わるかな。どれも似たようなものだと思うけど。


 しかしまあ、『いきなり予定が狂うことはないだろー』ってな感じで余裕をぶっこいて、選手達のプロフィールシートに書かれたメールアドレスをパソコンに登録していなかった俺にも当然、責任の一端、というか少なく見積もって半分ぐらいがあるわけで。サッカーを教えることだけがコーチの仕事というわけではない。



「手伝えることはないか?」


「無闇に話しかけない。それだけでいいよ」


「あ……はい」



 一瞬、横顔がオーナーとそっくりに見えて、静かに冷たく放たれた声には軽い殺気のようなものまで含まれていた。敏腕経営者特有のオーラみたいなやつだ。


 今の感じで言われたら誰でも「あ……はい」ってなるよ。オーナーから帝王学とか叩き込まれてるんじゃなかろうか。


 こいつをファミレスに誘えなんて、我が妹は無茶を言う。


 俺が親父からサッカーを叩き込まれたのと同じように、ソフィもオーナーから……まあ、叩き込まれてはいないかもしれないけれど、世界的な資産家の背中を見て育つというのはきっと、それだけでも特殊な育ちになる。血は争えないとも言うし。


 思い起こしてみると、明るくて活発な印象が強い一方で授業はめちゃくちゃ真剣に受けていた。楽しむところは楽しみ、やるべきところはやる。自由と規律の使い分けが上手いんだな。


 全く。本当に同級生なのか疑わしくなってくるもんだ。こういうのって社会に出ても身に付かない人が多そうなものだけど、それを十五歳で使いこなすなんて。



 俺がそんなことを思っている間にも、ソフィは恐ろしいスピードでタイピングしていく。


 メールアドレスは日本語ではないけれど、画面に映る殆どの文字は日本語。どうやら喋るだけでなく読字も問題ないようだ。



「――完了。文面は、どうするかな? 私は日本語が好きだけど、さすがにケイタのほうが上手いと思うよ。間違いがあったら、困るね」



 殺気こそ引いたが、知的なメガネも相まって急に『できる女』感が漂っている。

 俺がメガネをかけるとオタク感が強まるのに、彼女のメガネ姿は大違いだ。いや、メガネの違いじゃないとは思うけどさ。醸し出す雰囲気……眼光の鋭さ、とかかな? 金髪碧眼の白人なんて反則だろ。



「そうだな……。『FCレポロアンダー15ガールズ、本日は雨天のため市営体育館で練習を行います。室内用シューズを用意してください』――って感じなら、無難だろう」


「わかった」



 一瞬こちらをチラリと見て、再び画面を凝視して手を動かす。今度はメールアドレスと違って日本語入力、そして漢字の変換。――ミスはないし、何より俺や親父よりずっと速い。凄いな。


 最後にカチャッとちょっとだけ強くエンターキーを押すと、「完了だよ」と一言で報告された。



「早いなあ……」



 唯々見事だと、感心してしまう。


 FCレポロの中にここまでパソコンを操れる指導者はいないだろう。


 これまではSNSの更新作業を親父が一手に引き受けていたけれど、ソフィが手伝ってくれている間は分担できるかもしれない。



「そういやソフィって、一応、バイトってことになるのか?」



 俺は家業の手伝いということになるけど、人様の子であるソフィをタダ働きさせるはずはない。



「もちろん」


「そっか……」



 ただ、疑問はある。



「でもさ、オーナー令嬢がバイトなんて、する必要ないんじゃないのか? コーチだって専門家に任せれば、わざわざソフィが手をかける必要は――」


「学生の間に異国でアルバイト、良い経験だよ。パパも応援してくれてる。コーチは好きでやってるだけ」



 珍しく言葉を遮って、しかし淡々と語ったソフィに、俺は反論出来なかった。


 それよりもまるで『金持ちは苦労しなくていいな』というような質問をしてしまったことを後悔してしまう。



「私は『好き』に囲まれてるのが、幸せね」


「――ごめん。今のは俺が悪かった。そうだな……ソフィは凄いよ」



 俺が異国に飛び込んで、同じことが出来るだろうか。


 留学中、チームメイトとはサッカーという共通項があったから、なんとかなったけれど。学校ではあまり友達も作れず飛び込む勇気もなく、存在が浮いたままだった。

 日本食が好き。日本語が好き。コーチも好きでやっている。


 好きな気持ちさえあればどんな環境でもやっていけるなんてのは、手垢が付くほどありふれた言葉だけど、本当にそれを実行できる人間はごく一握りしかいないように思う。



「ケイタにそんなこと言われると、照れちゃうね」



 機嫌を直してくれたのか動かし続けていた手を止めて、気恥ずかしそうにソフィが言った。


 一瞬、宝石のような目で見詰められて、つい視線を泳がせてしまう。……だから青い目は反則だっての。本当に綺麗で、まるで生きた宝石だ。


 そんな様子を悟られたのか、ソフィはちょっとだけはにかんで画面へ向き直し「見てほしいものがあるんだけど」と言った。


 続けて――



「これ、初日に撮ったトレーニングの映像。……どうしても気になるところがあって」



 ノートパソコンの画面をこっちへ向ける。


 どれどれと覗き込むと、すぐに映像が再生された。

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