第9話 見る専の見る力

 体より脳が疲れたのか、練習を終えた彼女たちは普段と違った表情で集合した。

 このあと簡単な総括を伝えて解散だ。


「お疲れさま。みんな、俺が思っていたよりずっと動けていた。今日の内容を実践できれば準決勝も決勝も勝てる」


 実際、動きは悪くない。覚えも良い。だが無意識に実行できるほど深く浸透させることなどできるはずもなく、不安はある。――いやむしろ不安しかない。怖い。怖いわぁー。一日で新しい戦術を覚えさせるとか、正気の沙汰じゃないわぁー。俺も後ろを信じまくって失敗を怖がらないアホだからなぁ。大丈夫か……これ!?

 だが指導者が不安がっていたらお終いである。

 自信を持った振る舞いを努めて伝え、更に続けて「初めての大会で初めての優勝を狙うぞ!」と気合いを入れた。

 とりあえず「「「はいっ!」」」と声を揃えてくれたが、選手達の表情が一律に同じ色で染まっているとは言い難い。嘘や強がりを見抜くのが上手い奴もいるだろうしなぁ。



 選手達が帰宅の途につき始めたところで、備品の手入れを開始する。選手の仕事は練習をすること、指導者の仕事は練習をさせること。ハッキリ言って楽しい作業ではなくレポロの指導方針に従っているわけだが、ボールを磨いたりグラウンドをならしたりしていると自分を指導してくれた人たちへの感謝が強まる。

 それを思って、更に彼女たちのことを考えながら作業に励むと、不思議と楽しくなってくる。だからまあ、このつまらない退屈な作業も嫌いじゃない。

 コーチを引き受けたからこその新しい発見だ。


「手伝いますよ」


 そんな言葉をかけてくれる選手もいる。これがまた嬉しい。ゴールキーパーの手島和歌は無言で当然のことのように毎回手伝ってくれているし、今日は新しく入った一ノ瀬有紀も手伝ってくれている。


「有紀は楽しそうにボール磨くなぁ」

「ゆっ、有紀!?」

「あ――、いや」


 しまった。U15ガールズの選手とはそれなりに距離が縮まってきて、いつの間にか名前で呼ぶようになっていたんだが……。一ノ瀬有紀とはまだ二回会っただけの仲だった。

 こういうところで使い分けができない不器用さはどうにかしたい。遺伝か? 逆らえないのか? 心乃美に『親しくなってない女の子を名前で呼び捨てとか、お兄ちゃんは何様なの!?』とか言われそうだ。……この件は心に仕舞っておこう。


「ごめん。嫌だったか?」

「いえいえっ。全然そんなことないですよ! ――なんか、名前とか愛称で呼ぶのって凄くサッカーっぽくて、逆に好きかもです。うん。逆に名前で呼んじゃってください!」

「そ、そっか」


 二回逆になって一回転してないか……?


「じゃあ名前で呼ばせてもらおうかな。――有紀は初めて練習に参加してみて、どうだった?」

「どう……。うーん――――。そうですねぇ……。じゃあ、ズバリ訊いちゃっても良いですかっ!?」

「おぅ、うん」


 なんか……思っていたより押しが強い子だ。


「今日の戦術って、ペップのサッカー取り入れてますよね!」


 ……おいおい。そんなことまで詳しいのか。

『ジョゼップ・グアルディオラ』。愛称はペップ。多分本名より愛称のほうが有名。イングランド、ドイツ、スペインの各国で指揮を執ったクラブを国内リーグ優勝させた経験のある、現代を代表する名監督だ。世界一も経験している。更に付け加えると選手時代にもクラブの世界一に貢献していて、これはもう一種のサッカーお化けである。経歴が妖怪すぎて意味がわからない。

 確かに俺は、頭の中に世界中の名監督が好んだり考案したりした戦術をインプットするよう努力してきた。戦術を如何に早く正確に理解するかというのも、サッカーを選手としてプレーする上では非常に重要な要素となるからだ。

 今なら特によくわかる。監督というものは、選手に理想を求めたがる――と。机上で練りに練った戦術を現実に変えてくれる…………いや、想像を超える形で現実のものとして再現してくれる選手を求めている。

 それはエゴで身勝手かもしれないけれど、きっと選手がより良いプレーをしたがるのと根本は同じことだと思う。

 百パーセントを出し切りたい。想像を超える百二十パーセントの世界へ足を踏み入れてみたい。そういう欲求だ。

 でも彼女は、選手でも監督でもなかったわけで。

 たった一日の練習で形になったかも怪しい戦術を言い当てようとするということは、彼女の頭にも相当な量のデータベースが構築されているのかもしれない。自らを『見る専』だと語っていたが、ひょっとすると見る量が多いのだろうか。

 ――だが俺は、呆れ半分に手を広げた。


「まさか。あんな小難しいことを一日で教えられるわけないだろ」


 世界最高峰のチームを率いる監督の戦術は、同じく世界最高峰の難易度を誇るわけで。

 実現するために何十億や何百億というお金を使って選手を獲得することすらもある。

 いくら求められるレベルの違いがあっても、それを中学生の女の子が簡単に再現するというのは、いくらなんでも無理がある。


「じゃあコンテ!」


 アントニオ・コンテ。同じく名選手で名監督のサッカーお化けで妖怪。説明終わり。名監督なんて大抵経歴が恐ろしいし、この調子で名前を出されると下手したらウィキペディア化する。


「おいおい。俺は実行可能な戦術を考えてるつもりだぞ。トップレベルの選手でも再現可能かわからない戦術を強いることなんてしないよ」

「ふぅむ……。『できないことじゃなく、できることをやらせる』――ってやつですね」


 それもどこかで耳にしたような言葉だな……。まあいいか。

 俺はもちろん見る専ではない。平たく言えば、選手として優れたプレーをするために多種多様な戦術を頭にたたき込んだ、ただそれだけだ。

 だからまあ、彼女の言い方を借りれば『逆に』、選手としてのやりやすさを深く考えることができる。

 できないことや苦手なことを指示されて『さあ今すぐやって見せろ!』なんて言われて嬉しい選手はいない。できないんだから。

 やりたくないことであれば、尚更である。

 しかし、もしそれが『今はできなくても、やりたいこと』ならば、選手も取り組みかた、意気込みが変わる。加えて指導者が選手の適性を見抜くことができれば、ひょっとすると『できないと思っていたけれど、できた』という能力の引き出しすら叶うかもしれない。

 彼女の言葉通り、俺は選手にできる範囲での変化を促しているだけ。少なくともそういう自覚でいる。

 ただ――。


「そうじゃなくて、練習は楽しかったか? って訊いてるんだけど……」

「あ、えー……。うーん…………。…………そうですねぇ……」


 さっきまでの『クイズ、戦術はどれだ!?』を自己開催していた威勢の良さはどこへ行ったのだろうか。これじゃ不安になる。


「ひょっとして、楽しくなかったか?」


 今日は基礎練習すら早々に切り上げて戦術練習にばかり傾倒していたし、よくよく思い返せば『練習後は楽しくミニゲームを!』というレポロの不文律をまたも破っている。

 有紀は前回の敗戦そのものを知らないわけで、それでいきなり次を勝つための練習に加わったところで、楽しくなんてできるはずもない。

 彼女だけのことを考えるならば、基礎練習からじっくりやったほうが好ましかっただろう。

 ソフィがいれば手分けできたかもしれないけれど……。状況的に仕方のないことだったとは思うが、彼女には申し訳ないことをしてしまった。事務所にはコーチ一人と監督が常駐しているわけで、手を貸してもらえるようお願いする方法もあったのに。


「ああっ、いえいえ、めちゃめちゃ楽しかったですよ! あー……えーと……でも、新入りで初心者なのにガンガンボール渡されたときは、内心あぷあぷしちゃいましたけど。あはは……」

「――――ん? そんなにボール回ってきてたか?」


 俺は彼女の練習での姿、はじめての練習でどう動いていたかを思い起こした。

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