第10話 地獄を見た人の経験談

 チームに新人が入ってくる。

 余裕がある状況ならば、歓迎の意味を込めて新人へ集中的にボールを回すような扱いをすることも、あるだろう。

 団体競技において最も面白くないのは『自分が参加していない』と感じる状況である。そこで新しい仲間に『自分もこのチームの一員なんだ』と実感してもらうため、わざとパスを集めたりする。

 …………でも、今日はそんな余裕は無かった。土曜の準決勝までに設定された、たった一日。夕方からの三時間にも満たない練習。

 新しい戦術を取り入れるために、修正指示だって例日より厳しく入れたつもりだ。


「有紀は今日、サイドでの攻撃――ウイングでやってたよな」

「はいっ」


 俺は攻撃のために三人の選手を前線に残す戦術を指示している。三人を横並びにして左右がウイングフォワードで、ここには三年生が入る。ウイングは鳥の『翼』の意味だ。

 そして中央がセンターフォワードとなり、一年生の一枝果林が主に勤める。鳥で言えばクチバシに相当するから、ここが獲物(ゴール)を狙う上で最も有効な武器となるわけだ。

 しかしウイングの選手がサイド方向へワイドに開くと、周りの選手から遠ざかってしまい簡単に孤立する。すると自然、ボールも回ってこなくなる。仮に回ってきても、ゴール方向(内側、中央)へ向けば後ろがタッチラインで塞がっていて、前と横には相手選手がいて――と八方塞がりになりやすい。

 八方塞がりを突破できれば大チャンスなのだが、初心者の彼女にそういう技術があるはずもなく…………というか、普段ウイングに入る三人の三年生にもそんなものはない。彼女たちにはそれなりの経験があるが、八方塞がりを突破するプレーというのはそれだけ特殊なスキルなんだ。

 そこで俺は、ウイングの選手が積極的に中央へ寄るよう普段から指示している。でもそれは普段からやっていることで、変化させる予定がない。だから今日わざわざ特別に指示をした覚えはないし、有紀に対しても初心者に細かく指導するよりは――と、多くを言うよりもそっと見守るようにしていた。


「逆サイドの先輩を見ているとかなり中へ絞っていたので、私も同じように動いてみたんです!」


 これ、当たり前のように喋っているけれど……。

 いきなり参加した練習で自分の考えを持って行動して、チームで取り組んでいることを戦術的に把握。そしてボールを沢山預けてもらうってのは、かなり難易度が高い。

 そういえば指導しながら『初心者が混ざっている』という違和感がそれほど無かったな。気遣いを忘れていたというのは、そういうことだろう。明らかにチームに溶け込めていなくてどうしようもなくなっていれば、至急助けを呼んで個別に練習を見てもらっていたはずだ。


「中では一枝さんが動き回ってくれるので、久瑠沢さんの裏にスペースができてましたし」


 下級生の一枝果林に振り回され、初心者に裏のスペースを狙われる久瑠沢心乃美いもうと――。サッカー歴はこの二人の数倍あるのに、なんで思い通り振り回されてんだよ。

 これだから『なんとなくこうかなぁ』は怖い。本能で果林のほうが危ないと思ってマンマーク的に動いたんだろうけど、それでスペースを開けて狙われたんじゃ本末転倒だ。

 真っ先にあいつのポジションを変えたほうが良かったんじゃなかろうか。


「初めて参加した練習でそこまで状況が見えてるなんて、凄いな。本気で感心するよ」

「えへっ。――まあ釘屋さんと守内先輩がすぐカバーに来るので、ボールに触れてもほんとこう……あぷあぷっ! てなっちゃって。結局、何もできなかったんですけどね」

「いきなりボールに触れることが凄いんだって」

「へへっ。なんかこそばゆいです」


 彼女は多分、ボールを持っていない時オフ・ザ・ボールの動きが上手い。沢山の試合を見てきたから脳内にサンプルデータが沢山ある状態なのだろう。

 しかしプロの試合を見るのが好きだからといって選手として同じことを実行できるかと言えば、当然、ノーとなる。例えボールを持っていない動きだとしても。

 観客席やカメラのように遠く高いところからフィールドを見渡すのと実際にプレーするのとでは、視点、情報量、距離感、全てが違うんだ。

 それでも有紀はうまく動いた。

 思い返せば、体育の授業でも空いたスペースへ走り込んで、俺からパスを引き出してゴールを決めている。

 野球の名打者が『ボールが止まって見えた』と言うように、サッカーでも『フィールドを上から見ていた』というような状況が生まれることがある。もっとも、前者には動体視力、後者には空間認識能力と、求められる力は違うが。

 彼女はそういう空間認識力や物事を俯瞰ふかんする力に特別優れているのかもしれない。ぱっと見ではわかりづらいことだけど、広いフィールドで戦うにはとんでもなく重要な力だ。

 特に女子選手は男子選手に比べて、脳の構造の違いから空間認識に劣ることも多いらしく、より貴重となるだろう。生物として女性が子育てをする上で、高度な空間認識能力はそれほど重要ではなかったわけだ。

 一方、男性は狩りをするから空間認識能力が低ければ死ぬ危険性が高まる。つまり自分の命を左右するほど重要な要素であると同時に、この力が低ければ自然の中で遺伝子が淘汰されてきたとも考えられる。


「あー、そういや土日の大会は帯同希望だったよな」

「はいっ」

「じゃ、背番号はどうしようか。十二番まで埋まってるから、とりあえず十三番でいいか?」

「えっ! いきなり背番号もらえるんですか!?」

「これまで十二人しかいなかったからなぁ。今参加してる大会は登録人数が十八人制限なんだけど、全然余ってる。さすがに突然試合に出すようなことはしないし、多分、大会中の加入だとそもそも規約で出ることはできなかったと思う」


 詳細はソフィか親父が把握しているだろう。

 しかし育成年代のサッカーというものは途中加入や移籍に関してやたらと厳しかったりする。プロじゃないのに結果を求めすぎて選手の奪い合いなんてことが起こってしまうと、本来の目的である健全な育成から遠ざかってしまうわけで、保護をする意味でも仕方のないことだとは思う。

 移籍すれば年度中は公式戦に出られない――というケースさえある。もちろんプロではそんなことはない。

 四月や五月に移籍をしてしまうとほとんど丸々一年間、公式戦に出る権利を失う。そういうケースは何人か見てきたけれど、子供心には納得できない面もあったから、難しいところだ。

 ただまあ、有紀の場合は移籍ではない。経歴のない初心者だ。この大会に限っては参加できない、というだけに留まるだろう。


「けど、余ってるぐらいなら同じユニフォームを着たいだろ?」

「もちろんですっ!!」


 跳ね上がるようなテンションで喜んでくれた。

 ――のだが。

 次の瞬間、まずいことでも思い当たったのか「あっ」と低い音で喉を鳴らし、怖じ怖じと口を開く。


「あのー……。ユニフォーム代って、必要ですよね? 私、まだ親にちゃんと許可もらってなくて」

「許可って、まさか無断で練習に参加したのか?」


 だとしたらマズい。中学生が親に黙って出歩ける時間はとうに過ぎた。


「いやいやっ。さすがに伝えてはありますよ。習い事もとりあえず許可をもらってます。……でもその、お金が絡むと私の一存では……」


 そういえば親父が見せてくれたエントリーシートを見た感じだと、今日はとりあえずお試しの練習参加。その後は本人の希望次第で、早ければ明日にも契約書を交わすんだったか。

 しかしユニフォーム代というのは、大抵のスパイクよりも高い。チームによっては本当に目玉が飛び出るような金額ということもある。レポロのユニフォーム代はかなり良心的な価格だと思うんだけど、それでも中学生にとっては十分すぎるほど高価だ。

 ――――って、そういやU15ガールズのユニフォームって無償提供されたんじゃなかったか? その辺りはどうなっているんだろうか。無償提供されたものでお金を取るとなれば、妙な話になってくる気がする。

 俺は事務仕事を手伝い程度にしかしていないから、金銭がらみのことは、とんとうとい。

 監督おやじかソフィに訊けばいいか。ソフィは外回りだと言っていたから……。


「ちょっと待ってて」


 言ってポケットからスマートフォンを取り出して、メッセージアプリから親父を選択。『ガールズのユニフォーム代っていくら?』と送った。

 事務所はすぐそこだから直接訊きに行ってもいいんだけれど、親父は経営者でもあり選手を預かる監督でもあるから、絶対にメッセージを見逃さず即行で返事が来るんだ。こっちのほうが手っ取り早い。

 思惑通り送って五秒ぐらいで返ってきたのだが、内容はちょっと予想外だった。


「…………あの人の指、どうなってんだ」


『ユニフォームは上下ともソフィの父親からの支給品だ。無料でいい。レポロのロゴが入ったウインドブレーカーは7000円、ソックス代1500円、レガース代1500円、オリジナルバッグ5000円。だがこれらは希望者のみだ。スポーツ用品店で買った方が安いからそれを奨めろ。全て税込み』


 …………もう一度確認するけど、送ってから返ってくるまで五秒ぐらいしかかかっていない。一発変換できるようにでもなっているのだろうか。謎だ。


「えーっと……。ああ、要するに無料ってことか」


 必ず必要になるのはユニフォーム代のみ。他は全て希望者が購入するものである。

 ちなみにウインドブレーカーやバッグはメーカーと契約しているから、質も保証できる。多少値は張るがコストパフォーマンスは良く、個人的に推しだ。


無料タダですか!?」

「ああ。少なくともユニフォーム代はいらないよ。わけがあって無償提供してもらったものなんだ」

「へぇぇぇっ。それは幸運です!」


 前のめりになって顔を近づけながら喜んでくれた。

 ただ、知り合ったばかりの女の子に顔を近づけられるとちょっと困ってしまう。本音では喜べるメンタルが欲しいんだけど、今は嬉しいより気恥ずかしいという感情が勝ってしまうわけで。

 近付けられた目を直視できず、ふいと逸らして下へ――。

 すると違和感に気付いた。


「そういや、スパイクも買わないといけないか」

「あー。それもやっぱり、親と相談ですねえ……」

「でもレガースとソックスは、ちゃんと持ってるんだな」


 練習用のスパイクはあるけれど、すね当てレガースとソックスはない。このパターンは新しくサッカーを始めた選手に多いことだ。とりあえずスパイクを買ってあとは後回しというのは、理解できる。

 しかし彼女は逆だ。これは珍しい。


「えへへっ。実は、学校で瀬崎さんに訊いたんです。『サッカーの練習に最低限必要なものを教えてください!』って」


 ……同級生なのに、敬称付けに敬語なんだ。あいつ学校で周りから距離置かれてないか……? 陰口も叩かれていたし、学校での人間関係が心配になってきたぞ。サッカー以外でコミュニケーション取れないタイプなのかな。


「結衣に、ねぇ……。で、なんて返ってきたんだ?」


 問うと、彼女は指で喉に触れて、結衣の声色を真似た。


「『練習だけなら運動靴でも大丈夫。服も動きやすければ、体操服でも構わないわ。――但し、レガースだけは必ず買いなさい。あとソックスもね。じゃないと、――地獄を見るわよ』…………と」

「あー、それすね当てレガース着けないで地獄見た人の体験談だわ」


 苦笑いするしかない。

 武蔵坊弁慶が泣いちゃうところを固いスパイクで思い切り蹴られたら、誰でも泣く羽目になる。俺も何回かやられて全て涙が出た。

 いや、やられたも何もレガース付けてないのが悪いんだけど。泣くほど痛かろうが意図的じゃない限り簡単にはファールにならないし、自業自得だというのは共通認識だから心配もそれほどしてもらえない。

 痛みに悶絶して蹲っているのが邪魔だったのか、そのままフィールドからポイッと放り出されたこともある。酷い話だ。


「そんな痛いんですか!?」

「ああ。マジでしばらく動けなくなるぞ。酷いと内出血もブワって広がるし。レガースを付けてても大きさが合わなかったりソックスの中でズレてしまうことがあるから、そこも注意な」

「はぇーっ」


 あとはまあ、本当は運動靴じゃなくてスパイクが好ましいんだけど、結衣の意見にも一理ある。

 レポロのグラウンドは土だから、底に天然芝用の大きな突起スタッドが付いたスパイクは原則禁止している。

 大きな突起スタッドで踏まれると力がピンポイントに加わるから、最悪の場合、爪を激しく割ったり、足の甲を骨折したりもする。

 大抵のスパイクは甲の部分にある程度の厚みを持たせているから、そこで衝撃を和らげるんだ。それでも割れるときは割れるし、折れるときは折れるけど。

 だが土のグラウンドや人工芝で使う『小さな突起スタッドが沢山付いたトレーニング用シューズ』や『底がフラットな屋内外兼用のフットサルシューズ』なら、圧は分散され危険が軽減される。

 フットサルシューズに至っては、普通の靴と同じぐらいに安全と言えるだろう。

 ウインドブレーカーは季節的にそろそろ必要なくなってくるし、試合に出ないなら普通にカーディガンを羽織ったって構わない。

 練習着も必要に応じて買えばいいだけだ。

 まあ練習着に関しては、普通の服では単純に汗でべたつくし、生地が透けてしまえば女子選手としては大問題である。何より耐久性の問題があるから、そう遠くなく買うことになるだろうけど。


「さすが結衣、とでも言えばいいのか。的確なアドバイスだな」


 思わず首を縦に振りながら納得してしまった。


「ほんとですよね! 助かりましたよーっ。お小遣いの残りが二千円しかなかったんですけど、瀬崎さんのおかげでなんとかなりました!」


 彼女はそう言うと同時に、最後のボールを磨き終えた。

 小遣いの残りをほとんど全て、サッカー用品に費やした――ってことか。想像以上に強い意思を持って練習に参加していたようだ。


「ありがとな。助かったよ」


 手伝ってくれたおかげで早く進んだし、会話もできて一石二鳥。いや、それ以上だった。


「いえいえ。どういたしましてです」


 ふとグラウンドの入り口のほうを見ると、自転車が二台置かれていた。

 俺はプレハブ事務所の横に置いているから、一つは手島和歌のものだとして――。もう一つは、有紀の自転車かな。

 通学用の自転車というのはどれも似通っていて、誰のものか見分けが難しい。


「暗いから、帰りは気をつけてな。慣れてない道は特に」


 田舎道には街灯が少なく、暗い。加えて今日が練習初参加の彼女は、道のりにも慣れていない可能性がある。

 心配と感謝を込めて言った言葉に、有紀は可愛らしく敬礼するようなポーズを取って「はいっ」と返してくれた。

 元気があって素直な、良い子だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る