第2話 調子

 試合が始まる前に、相手の監督(一応、代行。ベンチでは老人男性が野球のバットを杖代わりにして座っている)である、梨原深冬みふたんと握手を交わす。これはまあ、お決まりの儀式みたいなもんだ。

 ――但し、個人的にも怨み辛みはあるわけで、平常心ではいられない。


「よろしく。最高の舞台でリベンジできて嬉しいよ」


 余裕を表現しながらこちらから挑発すると、みふたんも不敵に笑った。


「返り討ちされて泣くには、最高の場所よね」


 相変わらずの強気。――だが策は打った。勝つのは俺たちだ。

 ウォーミングアップをしていると、ソフィの声で背番号と名前、ポジションが読み上げられて、主審がフィールドの中央へ歩いて行く。

 ちなみに今日は多湖たごコーチが一人で同伴しているが、主にバス運転手の役割で主審も副審も両チームと関係のない人が務めている。

 主審はJFA(日本サッカー協会)で二級のライセンスを持っているそうだ。二級というのは地域サッカー協会が主催する試合を裁くことのできる資格で、有資格者は三千六百人程度。

 JFAが主催する試合を裁く一級が二百人ちょっとしかいないことを考えると、グッと身近な存在だと言える。また、女子一級という女子サッカー専用の資格もある。こっちは五十人程度だ。



 キックオフの笛が鳴ってチサがボールを蹴ると、そのパスを受けた果林が一旦結衣へボールを渡す。

 相手の陣地へはキックオフ後にしか侵入できないから、こうして少し後ろへボールを戻してから、攻撃陣が一気に相手陣地へ進むわけだ。


「――やっぱりマンツーマンか」


 戦況は以前と同じ。奏を除いた全員にマークが付いて、こちらのミスを誘うプレスをかけてくる。

 さて、じゃあここから――、と新しい戦術への変更を指示しようとした、瞬間。

 家族と関係者程度しか見に来ていないはずのメインスタンドが「わっ」と鳴った。高い位置で鳴った音は良く響く。


「おいおい――」


 チサがこの前の試合と同じように……。いや、それ以上と思えるぐらいに動いてマークを強引に引き剥がし、サイドバックの位置にいる七海からパスを引き出した。

 確かに今日は4ー1ー2ー3の2に入っているから、そういう気の利いた『ボールを受けに下がる』役割も必要だが――。

 異常なのは、パスを受けた瞬間のプレーだった。

 ボールを軽く引いたと思えば突然後ろ足でドンと浮かし、自分の後方へ高く飛ばした。後ろから追っていた相手選手は突然の出来事に付いていけず、狙って実行したチサは直ぐさま振り向いて浮いたボールに追いつくと、そのままドリブルを開始。

 このトリッキーなプレーにオルフェスの選手が総じて『何が起こったのか』と出遅れる。全員をマンマークする戦術は一対一を原則としているから、チサに付いたマークが剥がれてチサがフリーになった瞬間、誰が止めに向かうかで混乱したわけだ。

 そのままグングン直進。途轍もない推進力を見せて一気にゴール前までボールを運んだ。

 ……どうやったのか、あとで教えてもらおう。

 最終的には相手のゴール前、ペナルティーエリアまでチサがドリブルで運んで勢いを保ったまま強いシュート。

 ゴールキーパーの手で弾かれたボールが勢いよく果林の前へ転がるも、果林がトラップしきれずにボールを失うロスト。この攻撃はここで終わった。


 相手を一瞬で置き去りにするテクニックと、そのあとのドリブルスピード――。

 ドリブルしながら走るというのは難しく、速く走ろうとすれば大きく蹴り出してボールに触れる回数を減らすしかないのだが、チサは恐ろしいリズム感で、ボールへ触れる回数を全く減らすことなくグングン前へ進んで行った。

 今のプレーを見れば、チサが常人離れした選手であるということが、誰の目にも明らかになるだろう。

 異次元と言ってもいい。

 灼髪の雪姫ストロベリー・スノウ――。俺が海を渡る頃に呼ばれたような『西の天才』とか、よくあるわかりやすい呼び名ならともかく、なんでそんな異名が付いたのかと常々思っていたが……。

 赤い髪に雪のような肌――なんて理由じゃなさそうだ。

 フィールドの緑に映える灼髪は苺のように目立ち、プレーは淡雪の如く繊細で滑らか。今なら異名の理由もよくわかる。


 ――――じゃあ、紺碧の狐アズール・フォックスと呼ばれた結衣は?


 どうにも、俺の目には結衣のスケールがどんどん小さくなっているように映る。

 U15ガールズに関わった直後は――。いや、前回のオルフェス戦まで、俺はチーム一の実力者を結衣だと感じていたのだが。

 昨日は完全にチサの試合で、今日も同じようになりそう。チサが結衣の役割を奪うほど活躍しているということもあるが……。成長の勢いが違いすぎるのだろうか。


「このまま行けるんじゃないですか!?」


 新人で出場資格のない一ノ瀬いちのせ有紀ゆきが言い、控えに回ってもらった千頭ちかみ由奈ゆなが、うんうんと頷く。


「……そうだな」


 新しい戦術は、リスクも大きい。

 不慣れという問題があり、昨日上手くいったから今日も同じように上手く機能するとは、限らない。

 何より、うちが用意した対策はそれ一つしかないわけで。

 手の内を見せるタイミングは遅ければ遅いほど、相手が対応する時間を奪えて好都合だ。


「失点する恐れがなければ、このまま続けるのも手、か――」


 監督ならではの悩みだ。悪手を打ちたくない。

 だが、もしも自分が選手でこのフィールドに立っていたら、どうしただろうか。

 ポジションは結衣やチサと同じところだと仮定して――。

 奏と同じぐらいまでポジションを下げて、ボールを受け、サイドバックに追い越してもらってそこへパスを出すとかが無難で成功率が高い――か?

 なんにしても技一発で一人抜いてしまおうという発想には、ならないな。自陣で失敗したら大惨事だ。

 そう考えると、成功したからいいものの、チサのプレーは必要以上のリスクを冒していたとも考えられる。俺ならきっと、できる自信があっても、やらない。自陣の深い位置は冒険をする場所じゃない。


「出し惜しみして失点したら、それこそ打つ手がなくなる――か」


 相手の蹴ったボールがタッチラインを割り、レポロ側のスローイン――というタイミングで「奏を下げろ!」とフィールドの中へ合図を送った。

 選手が移動して4-1-2-3を3-4-3に変える。

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