第8話 縁起の悪い

 話を聞けば、倉並姉妹のご両親はお母さんがバンド活動をしていて、お父さんが音大卒業とのことだった。娘二人も楽器ができるのだから、音楽一家と呼んで差し支えないだろう。



「また来いよ! 今度はデスボイスも聴かせてやるから!」



 なんてお母さんが口にすると、お父さんが「ちょっ。しゃべり方!」と指摘する。デスボイスって…………。どうもお母さんのほうは、かなりハードな曲を演奏するバンドで活躍していたようだ。



「悪いな、こんな遅くまでお邪魔して」



 玄関を出て門のところまで送り出してくれた姉妹に言って、さて、これはもうあの時のことを謝らないとどうしようもないな……なんて思っていた。


 しかし美波は「は? まだまだ帰しませんよ」なんて言う。ちょっと悪っぽいけど根は良い子な口ぶりが段々可愛く思えてきた。


 ただ、帰しませんよの意味がわからずに七海を見ると、「折角なので、最後まで見ていってください」と口にする。こっちの優しい感じも安心できて好きだ。



「二人とも、なんで楽器持ってるの?」



 ソフィが不思議そうに首を傾げる。



「これは……重りかな。ただ歩くよりはいいと思って」



 なるほどねぇ、と、ある程度得心しつつも、彼女たちが楽器を背負って散歩するだけのことに俺たちを付き合わせるとも思えない。


 ケースに仕舞った楽器を背負う姉妹の後を五分ほど歩いたところで、地元で少し名の知れた神社の前まで到着した。


 すると二人が立ち止まって「「ここです」」と声を揃える。



「ここって……。確か、めちゃくちゃ縁起悪いって噂ある神社だよ……な?」



 神社の名前は覚えていない。けれど噂と境内に繋がる階段はよく知っている。


 恋愛成就を祈願する神社なのだが、山の中にあるものだから、とんでもなく長い階段を上り続ける必要がある。


 その名も『信仰への試練』。――要するに、この長い階段を登り遂げた者には良いことがありますよ、という意味だと思うのだが。


 ここからが良くない噂だ。


 どうにもこの果てしない階段を本当に登り切る人間というのは、人並み以上に嫉妬や欲が深かったり、愛情が変な形にこじれていたりするらしい。『何かよっぽどの問題がないとこんな階段登らないよね』ということだ。


 だからだろうか。ここに行けばストーカー化するだとか、想い人の恋人に不幸を招くための藁人形が置かれているだとか――。悪い話は枚挙にいとまがない。



「姉ちゃん、先に行くよ」



 言うと七海が楽器を置いて、タッタッタッと軽やかに階段を駆け上り始めた。



「おい――っ」


「楽器背負っていくのかと思って、ビックリしたよ」



 俺とソフィが次々に言葉を発すると、七海は空笑いを浮かべた。



「漫画で見て真似したことはあるんですけれど、背中がこすれて痛すぎたんですよ」


「あー、まあ、そりゃそうか」



 走るだけでも上下に揺さぶられそうなのに、階段を上ればそりゃあもうガッシガシ背中がこすれるだろう。痛そうなのは想像に難くない。


 それにしてもこの階段は――。楽器を背負っていなくても、階段ダッシュなんて結構なハードトレーニングだ。今の俺がこの練習をしたら、ましろ先生から激しく叱咤されることだろう。見放されても不思議じゃない。



「七海は行かなくていいのか? 置いてかれてると思うんだが」



 先に行った美波を心配しながら問うと、七海は少し声を詰まらせて、物憂げに階段を見上げた。



「美波、私よりずっと足が遅かったんですよ」


「そうなのか?」



 今は同じぐらいだと思うけど。



「中学駅伝でも最初は私のほうがタイムが出て、美波はこっそりこの練習を始めてたんです。楽器だって、私のほうが先に上手くなる。だから美波って、いつも私より厳しい状況に身を置くんです。当然のことみたいに……。そんなの、双子なのに不公平ですよね」



 ――現時点で見比べていると、倉並姉妹の脚力にそれほどわかりやすい優劣はない。楽器なんて素人目には、二人ともとんでもなく上手いようにしか映らなかった。


 でも『ずっと遅かった』と言うならば……。少なくとも過去において姉妹の差はハッキリしていて、それが今、かなり埋まっているということになる。


 器用な人間と不器用な人間。センスの有無。運動神経の善し悪し。そういうものを覆すのはいつだって努力だ。



「優しいお姉ちゃんは、たまには負けてあげなかったのか?」



 果てない階段をダッシュで駆け上る――。こんな無茶苦茶なことをする前に、止めることはしなかったのか。最悪、足が動かなくなって階段を降りられなくなっても不思議はない。



「無理ですよ。私が手を抜いて勝たせたって、すぐに見抜かれます。――そうすることでどれだけ妹が傷つくかも、わかっちゃいますし。双子って、そういうものなんです」


「……そうか」


「私たちは別に、プロのサッカー選手を目指しているわけではないです。たまたま面白いと思って、二人で一緒にプレーできたのがサッカーだっただけで……。小学生の頃も、五年生で一度やめちゃいましたし。駅伝だって誘われたら出るつもりです」



 全ての選手がプロを目指すわけじゃない。そんな当たり前のことも、ずっとプロを目指してきた俺は――頭のどこかで、否定していたのかもしれない。



「そんな感じでやっているから、結衣さんみたいになろうというのは失礼なんだと思います。…………でも、全力を出さないで負けを認められる性格というわけでもないんですよ。結衣さんにも、双子同士の間でも。――だからお姉ちゃんとして、絶対に手は抜けません。必ず私が先に帰ってきますから、見ていてくださいね!」



 言うと七海は背負った楽器を地面に置いて、小さく「せーのっ」と階段を駆け上り始めてしまった。



「ねえケイタ。日本の神社って、よくトレーニングに使われるの?」


「まさか。教会をトレーニングに使う奴はそういないだろ。大差ないよ」



 とは言え、こういう延々と続く坂や階段は神社特有かもしれない。



「だいたいここは信仰の試練だとか呼ばれてる、多分、日本有数の長い階段だ。数百段で済めばいいが……こんなの、ほとんど登山だぞ」


「数百…………」



 言葉が続いて聞こえてこず、しばらくの間、俺たちはシンと静まった。ソフィが絶句する姿を初めて見た気がする。


 俺たちが見上げた階段の先は暗澹あんたんとしていて、まるで人を吸い込んでしまいそうなぐらいに不気味だ。


 美波の姿は既に見えず、七海の背中も闇に溶けていく。



「と、途中で諦めて戻ってくるね。きっと!」


「そんな雰囲気じゃなかったぞ」


「……そう、だね」



 俺たちの会話はここで一旦途切れて、黙って二人の帰りを待った。


 そういえば男子チームとの試合前、結衣がやった二十メートルダッシュの半端じゃない繰り返しをU15ガールズの全員がやることになった時、釘屋くぎやかなでに次いで倉並七海、倉並美波の二人が明らかに他を引き離した回数、速度を落とさずにやり遂げた。


 駅伝をしていたという経歴だけで納得して深く考えなかったけれど、裏ではこれほどの練習を積んでいたということだ。――まったく。自分の想像力が足りなさすぎて呆れる。


 サイドの守護者サイドバックは守備の選手だが、フィールドを縦に走って攻撃に参加する場合もある。中央の守備と違ってどっしり構えているわけにはいかない『とにかく走るポジション』だ。そこに二人を起用した理由には当然、スタミナとスピード、脚力の良さがある。


 もう一度階段を見上げても、月明かりも薄い中では鳥居も本殿も見えやしない。見上げるたびに言葉を失ってしまう。



「……なんで、コーチがいるの」



 黙して倉並姉妹の帰りを待つ俺とソフィに、聞き慣れた声が届いた。

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