第7話 みんながサッカーバカなわけじゃない
なんの変哲もない一軒家。
話を聞いた感じでは豪奢な家なのかなと思ったのだが、特段の変わりはない。あえて言うならば比較的新しいほう――というぐらいだろうか。二台分の屋根付き車庫があって、自転車が二つ置かれていて、庭はそれほど大きくない二階建て。
例えて言うならば埼玉の春日部にある有名サラリーマン宅をちょっと大きくした感じだ。あと三十二年のローンが残ってるんだっけ? 完済した頃にあのスーパー幼稚園児と赤ちゃんは何歳か…………。頑張れ、ヒロシ……っ!! 負けるな、ヒロシ……ッ!!
「なあソフィ」
「ん?」
「初めて行く家の呼び鈴って、なんで押しづらいんだろうな。結衣のときは勝手に事情まで訊きにいったのに」
「私が押せば良いの?」
察しが良くて助かる。
「頼みます」
気後れしているんだろう。結衣の住む施設へ行ったときは、自分の行動が正しいと信じていたけれど、今は自分を疑っている。
「仕方ないね」
ピンポーッンと電子チャイムが鳴ると、十秒ほどしてガチャリと玄関ドアが開けられる。中にいた七海が「こんばんわ。どうぞ、入ってください」と俺たちを招いてくれた。
言われるまま玄関へ入り、靴を脱ぎ、揃える。
「みんな、地下にいますから」
「家に地下があるのか……」
外観は普通の民家でも中身が違うようだ。あとはロボットでも格納していたら立派な秘密基地だな。
軽く気後れした俺の横で、ソフィが「何を気にしてるの?」と小首を傾げる。そのまま二の句を継いだ。
「家の庭を練習場にするのと、変わらないね!」
「いやいやいや、地下掘るのと庭にポール立てて防球ネットで囲むのじゃ、違いすぎるだろ」
地下は設計段階から専門家が組み込まねばならないけれど、庭は後から変更可能。なんならうちの練習場は、ほとんど家族総出で作り上げたお手製だ。
しかし七海は乾いた笑いを浮かべて、「同じようなものだと思いますけれど……」と言う。そうだろうか? 地下のほうが遙かに難易度が高いというか、素人には無理だ。
「そうだよ! 家にプールがあるのと変わらないね!」
まあソフィの家が一番特殊なのは想像に難くないわけだが。……お前の家、プールぐらいじゃすまないだろ? あとプールのある家なんて日本では超が付くほど珍しい。格付けをするなら一番上だ。金持ちの象徴みたいなもんだ。
七海が
ガラス貼りの防音扉を開けると、一気に音がクリアになる。
中では美波が楽器――四弦のエレキベースを肩からぶら下げていた。
「……姉ちゃん、遅かったね。配達かなにか――――? …………ゲっ」
「ゲ、ってなんだよ」
「なんでコーチがここにいるんですか!」
「七海に招待されたんだよ。もちろんソフィも一緒にな」
後ろからついてきたソフィが「お招きされました!」とすっごい楽しそうに言う。見た目は大人、心は子供、その名も――っ。
「ねーちゃん?」
ジトッと姉を睨む美波の、更に後ろ側。
ドラムと…………サックス? 管楽器の種類にはあまり詳しくないからよくわからない。とにかくドラム用の椅子にお母さんが座って、サックスのような管楽器をお父さんが持っていた。
どちらかというと、双子はお母さん似だろうか。
「美波、折角来てくれたお客さんにその態度はないでしょ」
声の調子で言えばお母さんはやや尖っていて厳しめ。美波のほうに近い印象だ。
それをお父さんが「まあまあ」となだめて、楽器を一旦置き、俺たちをソファに座らせる。地下室は半分スタジオ、半分お茶の間のような雰囲気だ。ソファとソファテーブルに加えて立派なテレビも置かれている。
最初から用意してあったらしいお茶と茶菓子を前に、「どうぞ。ゆっくりしていってくださいね」と優しく言われる。どうやら七海のおっとり加減は父親譲りのようだ。
「お父さん達は知ってたんだ。なんでお茶があるのか気になってたけど。っていうか、私だけ知らなかったんだ」
「美波が知ったら反対するか
「誰が逃げ出すって!?」
食ってかかる娘にお父さんはたじろいで、手を前に出してぶんぶんと振った。頑張れ、ヒロシ(仮)……ッ!
いやまあ、かなりのイケメンで優しそうで生活感溢れる面持ち。ヒロシとはだいぶ印象が違うんだけど。…………なんだろう、どこか共通してるような気もする。
「親として、娘を預けるコーチとも会っておきたかったんだよ。いつも送り迎えできないから、会う機会がないだろ?」
そういえば
もう中学生になっているということもあって、送り迎えの割合というのは少なくとも小学生選手に比べれば割合が減っている。けれど、自転車とは言え女子中学生が夜道を行くというのはやはり親心として避けたいのだろう。可能な限り迎えに来るという親御さんが多い。
「はじめまして、
「ソフィ・チェルシーです! サッカーの母国から来ました!」
おいおい。その説明で通じるのはサッカーやってる人間だけだぞ。ブラジルだと勘違いされたらどうする気だ。
……だが俺の心配を他所に「へえ。イングランドなんて遠いところから……」とお父さんが言う。ちゃんと通じていた。
続けて得心がいった顔でポンと手を叩き、「じゃあ母さん。折角だから――」とドラムの前に座り続ける奥さんへ向けて何かを伝えた。
「オッケー。いつでもいいぜ」
……ぜ?
男勝りというか、面白いお母さんだ。髪は長くて赤っぽく染められている。チサの苺色とは違っていかにも染め上げたビビッドな赤だ。髪色に負けず表情にも力強さがあり、とても中学生の娘がいるようには思えないほど若く見える。
二人は視線を合わせて、同時に頷いた。
仲の良い夫婦。――いや、仲の良い家族なんだろうな。
七海は俺たちから離れてエレキギターを首からさげ、美波も「納得いかないなぁ」なんて頭を掻きながら左手をネックに添えた。
そこから急にお母さんのドラムでリズムが刻まれて、『ビートルズ』の楽曲が奏でられる。肌にビリビリとした圧を感じるぐらいの音量だ。
――なるほど。これは普通の民家じゃ無理だ。地下室ならでは、か。
家族でバンド活動をしているというのは、少なくとも日本では珍しいだろう。口調の厳しい美波が淡々とベースを鳴らして、優しい語り口の七海がエレキギターを情熱的に弾く姿というのは、姉妹の人物像に奥行きを与えてくれた。
素人の耳には相当上手く感じる。手元がたどたどしいとか、そういうことは一つも見て取れない。これだけの演奏ができる裏にある練習量というものは、バカにならないだろう。
――――俺、こいつらのサッカーに触れるところだけを見て、全部を知ったような口で説教したんだ。……恥ずかしいな。
反省しながらも目の前で楽器に触れる二人を見ると、煌めいて映った。
そこから更に演奏が続く。
ソフィの出身を聞いて『クイーン』や『ローリングストーンズ』といった歴史的有名バンドの、サッカーバカの俺にすら少しは耳馴染みのある曲が流れた。
プロの試合では地元出身の有名アーティストの曲を応援歌として合唱するチームも沢山あって、サッカーをしていると自然と覚えてしまう曲もあるほどに音楽とサッカーは融合している。
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