第14話 筋肉の深淵をのぞく時、筋肉の深淵もまたこちらをのぞいているのだ

 トレーニングルームには、様々な器具が用意されている。


 普通のジムでも置いてありそうな物から、明らかに高額な医療機器、一方で百円均一でも売っているような身近な工業製品や温もりのある手作りの道具まで、本当に幅が広い。



「先生、良い人。でも、私がもっと早く伝えておけば良かった……ね」


「チサや結衣に守備がド下手だとか、女子チームだけで戦うことが賢明だとか、そういうことをいきなり言い出していた頃に比べたら――。俺は、今のソフィのほうが思慮深くて好きだけどな」


「そ……そう……ね。…………ありがとう」



 あの後、俺のスマートフォンに心乃美このみからメッセージが届いた。学校帰りにチサと一緒に病院へ寄るそうだ。


 以前チサに「病院でトレーニングの管理をしてもらっている」と伝えたら、惹きつけられるように興味を示していたから、それが理由だろう。


 ソフィに対しては強がったけれど、チサの治療について自分がいかに軽く考えていたかを突き付けられて、少なからず気落ちしてはいる。そして簡単に気持ちを持ち直せるなら、苦労はしない。


 それでも椅子に座って下を向いて、周りに心配をかけるわけにもいかないし――と、形だけでも前を向いた。


 瞬間、目の前にやたら筋肉質の男が立ちはだかる。



「啓太くん、どうしたの? なにかあったのかな?」



 まだ四月なのに、早くも半袖からムッキムキの腕を覗かせる男性。しかし眼鏡をかけた顔は優しげで温和。



「出たな。筋トレ魔神!」



 俺はわざとらしく、三分間で限界が訪れるヒーローのようなポーズを取る。



「酷いな。――でも、うん、メンタルは筋肉に響くからね。前を向くのは良いことだ。膨らむよ」



 この人の言っていることは解るようで解らない。というより、解るようになっちゃ終わりだ、と脳が警笛を鳴らしている。



「今日も体幹ですか?」


「毎日体幹だよ?」



 膝の強化は重要だが、最も重要なのはバランスだそうだ。


 体幹は人体の軸となる両肩と左右の骨盤に線を引いた四角形の部分。特にその内部にあるインナーマッスルを指すことが多い。まさに体の軸である。ここをしっかりしておかなければ、腕や足の筋肉がいくらあっても軸がぶれて逆に振り回されてしまう。しかし体幹がしっかりしていれば今持っている筋肉を最大限有効に、自由自在に扱えるようになる。


 鍛えられる筋肉はより深く小さなところになるから、オーバートレーニングの症状を回避するためにも、大きな筋肉に強い負荷を与えるより有用なのだろう。



「ほんと、鎧みたいな筋肉ですね」



 この筋トレ魔神、いつでもボディービルの大会に出られそうな仕上がりをしている。



「筋肉は最強の装備だからね」


「いつかゲームの装備品に、筋肉が加わる日がくれば良いですね」



 そんなゲームは嫌だけど。いや、格闘ゲームはすでにかなりのムキムキマッチョか。



「お兄ちゃん!」



 トレーニングルームと待合室を繋ぐ短い通路のほうから、心乃美の声がして振り向く。


 心乃美は大きく手を振って、チサは慣れない場所だからか伏し目がちにキョロキョロ辺りを見回している。……パスコースでも探しているのだろうか。



「むっ、出たな筋トレ魔神!」


「心乃美ちゃんまで……それ、流行ってるの?」



 流行ってたまるか。優男やさおとこ風のおっとりした口調で鬼のようなトレーニングを課してくるから、陰でこっそりそう呼んでいるだけだ。もう影ではないけど。



「まあ、いいか。人のことを筋トレ魔神なんて呼ぶぐらいだから、覚悟は出来ているだろうし。今日は普段の倍の強度で――」


「いえ、伊藤さん! すみませんっす!」



 ビッと腰の横に手を当てて、俺は頭を下げた。さっきから頭下げてばっかりだ。

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