第5話 モノクローム

「この試合で負けても決勝トーナメントへは行けるが、負けていい試合なんてものはない。全部勝って一位通過を決めるぞ!」



 俺はそう伝えて、選手達をピッチへ送り出した。


 全員が熱い目をしていた。十分に士気は高まっている。不安はない。



 レポロのフォーメーションは、三戦続けて4―1―2―3。


 守備から(ゴールキーパーを除いて)ディフェンダー4人、守備的中盤1人、攻撃的中盤2人、フォワードが3人ということになる。


 対するFCオルフェスは、オーソドックスな4―4―2で挑んでくるようだ。



 試合開始の笛が吹かれると、レポロはボールを持つ時間が多くなるよう努めて主導権を握りに行く。


 これは支配的ポゼッションサッカーと呼ばれるもので、堅守速攻カウンターサッカーと対になる真逆の戦術だ。自陣ゴール前で堅守するのではなく、攻撃の時間を増やし守る時間を減らすことで試合を優位に進める。


 ボールは一つしかないのだから、攻めている間は点を取られようがない。攻撃は最大の防御だ。


 ポゼッションサッカーをする上で特に重要となるのは、中盤と守備陣のパス能力。ボールをミスなく効果的に動かして、奪われることなく保持する必要があるからだ。最前線トップならともかく中盤より後ろでボールを失えばカウンターの餌食になってしまう。



 レポロは中盤に瀬崎結衣と寺本千智を配置し、守備陣も中央を固める三年生の守内もりうち真奈まなと二年生の久瑠沢くるざわ心乃美このみが足下の技術に長けている。この四名を軸としてボールを奪われないサッカーを展開できる。


 決して結衣とチサの二人だけで成立するわけではない。俺達に負ける要素は、ほとんどないように思えた。


 しかし――。



「かなりプレッシャーかけてくるね」



 ソフィが言ったとおり、オルフェスの選手はどんどん前へ前へとボールを奪いにプレス(ボールを持った選手へ近づいてパスコースを消しながらプレッシャーを与える)をかけてくる。



「あれじゃ4―4―2っていうより4―2―4だな」



 基本的にフォーメーションというのは『守備陣形』を指す。


 4―4―2だからと言って前線の二人だけで必ず攻撃を完結させるなんてことはなく、実際には中盤、特に両サイドの選手は前目に出て、4―2―4や2―4―4とも表せる形に変化するんだ。


 攻撃は決められた戦術に加えてある程度の自由さやアドリブ・閃きを加えることで相手を混乱に陥れるわけで、対する守備は逆に『乱されない必要』がある。そこでそれぞれの選手がどこを守ればいいかを明確にしたものがフォーメーションだ。



 しかし今は、レポロのディフェンス陣がボールを持っていて、オルフェスは守っている状況……。


 なのに前線の人数を増やして攻撃時のような陣形を取るというのは、かなり強気と言えるだろう。こちらがボールを繋いで攻撃に出れば、オルフェスの選手は前へ出ているから守備が手薄になっている。



「相手は中盤が二人しかいない。こっちは結衣、チサ、かなでで三人いるんだ。数的優位を簡単に作らせてくれるのは好都合――」



 喋っている間に、センターバックの心乃美が左サイドバックの倉並くらなみ美波みなみへパスを出した。


 すると美波に対して、待ち構えていたかのようなタイミングの強いプレスがかかる。



「あっ……」



 マズい、と思った瞬間、美波がボールを奪われてしまう。


 そのまま四人の相手攻撃陣にボールを押し込まれて、失点――。



「修正する必要があるな」



 一度頭の中で思ったことをつぶやきに変えて、すぐ、俺は大声で「ボールを中盤に集めるんだ!!」と指示を出した。


 中盤は数的有利。四人のディフェンス陣に四人でプレスをかけられて失点するより、三人の中盤に二人の守備で対応してくれている中盤にパスを出してボールを支配するのは間違いじゃないはず。



「やっぱそうくるよねー。普通は」



 オルフェス側のベンチから離れて、梨原深冬が語りかけてきた。


 ――本当は監督やコーチってのはベンチの前に書かれたラインの内側、『テクニカルエリア』と呼ばれる場所までしか出ちゃいけないんだけれど。今日のようにプロの試合で使われるわけではない場所での試合となると、そもそもテクニカルエリアを示すラインが描かれていなかったりする。


 示されていないものを守れと言われても困るわけで、お互いのベンチはかなり近いということもあり審判も特に咎める気は無さそうだ。プロでもテクニカルエリアを出ちゃう監督、沢山いるし。


 見ると結衣より少し小さいか変わらないぐらいの身長だけど、負けているからかそれ以上に彼女の存在が大きく感じられた。



「あのサイドバックちゃんはボールを持つのが苦手。あんた達の攻撃は常に中央突破だからねー」


「それが才能に頼ったサッカーだって言いたいのか?」



 俺が言い返すと、「誰?」とソフィが訊いてくる。



「わーお! 近くで見るとやっぱり綺麗だねー。お人形さんみたい。――あ、私は梨原深冬。オルフェスの指揮を執っているの。年下だし、深冬でも、みふでも、みふたんでも、どう呼んでもらっても良いわよ」



 顔を近づけられながらまくし立てるように喋られて、ソフィは珍しくムッと眉尻を上げて憤りを露わにした。



「じゃあ――みふたんは、自分のベンチにいなくていいの?」



 ……ソフィのやつ、まさかのみふたん選びやがった。怒ってるからかな。



「私は試合中に指示出したくない派だしー。結果見えてるしー」



 言われて、ソフィが頬を膨らませる。みふたんには悪いが、うちのソフィたんは選手に負けず劣らずの負けず嫌いでねえ。


 ――っと。


 あまり話ばかりしているわけにもいかないから、俺は二人の火花散るにらめっこを放ってピッチに注目した。



 結衣から守備的中盤ボランチ釘屋くぎやかなでにボールが渡り、奏は中央の低い位置で前を向いた。


 しかし奏がボールを受けても、誰もプレスに来ない。相手の前線である四人の攻撃陣がゆっくり自陣へ戻ってくるだけである。


 他方、結衣とチサには常に一人ずつ、相手中盤の選手がマンマーク(一対一)で付きまとっている。だからこそ結衣は無理にボールをキープするよりも後ろの奏へボールを戻したのだろうが……。



「まずいよ。カナデ、迷ってる……」



 睨めっこを終えた(勝敗は知らないが)ソフィが言う。



「そりゃそうだろうねー」



 そこへみふたんが勝手な相槌を打って、上機嫌で語り出した。



「サッカーはね、一対一で勝てない人にチャンスなんか訪れないの。あの子は守備じゃ勝つかもしれないけど、攻撃じゃ勝てない子だ。攻撃は全部、才能頼りだね」



 ……確かに、奏は攻撃が拙い。しかしその足りない攻撃力を結衣とチサが十二分に補うのが、レポロU15ガールズの戦い方だ。


 選手はパズルのピースに似て、長所と短所が凸凹になっている。それらをうまくひとまとまりに仕上げたものがチーム。


 結衣やチサはボールを持てば最高のプレー見せる天才だ。……ボールを持てば。



「ボールを扱う天才にはボールを持たせなければ良いだけだよねー。あはっ、ほん――と、単純で助かるよ」



 いくらボールを扱う天才であっても、マンマークでガッツリ対応されるとそもそもパスを受けることが難しくなってしまう。そこで『パスの質』も問われることになるわけだ。



「うん。言いたいことは大体言い終えたかな。…………じゃ、またねーっ♪」



 勝手に会話を終了して、みふたんは上機嫌で自分のベンチへ戻っていった。


 それからも特に指示を出すことはなく、ベンチに座って悠然たる態度で試合を観察している。


 その姿は貫禄すら漂い、とても年下に見えない。どんな経緯で監督をやっているのかはわからないけれど経験の面で大きな差を感じる。



「……オルフェスの中盤二人、体格が良いし、なにより守備が上手いな。結衣とチサを自由にさせてない」



 奏は迷った末、結衣にパスを出した。だが本当に、ただ足元へ向けただけの素直すぎるパスだ。


 これまでの試合なら、これで十分だった。


 しかし結衣をマンマークしていた相手選手がこのボールを狙い、結衣は持ち前のテクニックを発揮できず――いや、発揮するより手前の段階で、奪われてしまう。



「カナデはパスが上手くないから……。ケイタ、この試合、マズいよ」



 味方のパスというのは、ある程度の信頼の上で成り立っているものだ。成功に成功を重ねてゴールを得るのだから成功を疑うわけにはいかない。


 だがオルフェスは奏のパスを信用しない。いやむしろ、必ずミスが出るという逆の方向へ信用している。



「ああ。……マズいな、完全に研究されてるぞ」



 四人のディフェンス陣全員にプレスが来るのは、両サイドバックの倉並姉妹からボールを奪うためだろう。


 中央で守備の要センターバックを務める二人に比べると、サイドの守護者サイドバックである二人は技術が高くない。狙い所にするならボールを失いやすい選手が鉄則。だからこの点は戦術的に理解が及ぶ。


 だが奏にマークが付かないのは……?


 結衣やチサより技術で劣る奏のところでボールを奪えば、速攻に移りやすいはずなのに。これでは『奏に預ければ安全』だと教えてくれているようなもの――。



「……まさか」


「あんまり考えたくないけれど、オルフェスはカナデのことを『攻撃では怖くない選手』だと思って最初から捨ててる…………かも。パスをカットできればいいから、カナデ本人にマークをつける必要がないんだよ」



 サッカーの守備では数的優位が原則だ。


 例えば相手がフォワード一人のワントップなら、センターバックが二人で対応する。フォワード二人のツートップなら、守備的中盤ボランチかサイドバックから一人を借りて三人で。


 スリートップなら、二人のセンターバックと両サイドのサイドバックの計四人で――。


 よほどの力量差があったり負けていて攻めなければならない状況なら話は別だけど、常に相手より一人以上多い状況を創出するのが基本だ。



 しかし現状、オルフェスは四人の攻撃陣をピタリと前線に張り付かせている。こうなるとレポロは守備の数的優位を作ることが難しい。


 ただ、サッカーは退場者が出ない限り十一人対十一人。同じ駒の数で争うスポーツだ。


 前線に人数をかける代償としてオルフェスは守備の数的有利を失う――はず、なのだが。そこで奏を捨てることによって、うまく自分たちの優位性を保っている。


 つまり互いのフォーメーションを組み合わせると、



 レポロ   4―1―2―3


 オルフェス 4―0―2―4



 レポロ○ オルフェス●


  ○●   ○●


 ○●  ○●  ●

   ○    ○

 ○●  ○●  ●


  ○●   ○●



 こうなる。


 過去の二試合から4-1-2-3の1である奏に攻撃能力が無いと知って、意図的に無視し、攻撃で数的同数を作りつつ守備の数的優位を保つ。


 形だけを見ると奏を加えた五人の守備陣と見ることもできるが、奏はパスに自信がないからこそ少しでも結衣かチサに近寄ってボールを渡そうとする。自然、ポジションは前へ移動して守備への切り替えとポジションの戻しが遅れてしまう。


 ……この組み合わせは俺達にとって、あまりに不利だ。


 再び奏のパスがカットされると、そのまま勢いで押し込まれて二点目を奪われ、最後はセンターバックの二人にも迷いが出てしまい連携ミスが発生して三点目。


 前半を0―3で折り返すこととなった。


 ハーフタイムを迎え、ベンチの周りへ集まってくる選手の表情を伺うと――。


 倉並くらなみ姉妹と釘屋奏は意気を落とし、明らかに自信を失っているように見える。特に奏は表情が暗い。


 わざとボールを持たされてミスを待たれるなんて、マンマークで一対一を仕掛けられて負けるより遙かに屈辱的だ。


 相手ベンチをチラリと見ると、笑顔でみふたんが選手達を迎えていた。選手達の表情も明るく闘志が漲っているように見える。前半で自身を付けさせてしまったな……。



 俺は気を取り直して、後半に向けて新たな指示を出す。


 サッカーは前後半に分かれた起承転結のある競技。今は相手が先手を打ってきた状況だから、次はこちらの番だ。



「フォーメーションを変えるぞ。結衣がボランチに下がって4―4―2。相手も4―4―2を基本としているから、逆にこっちが全員をマンマークするんだ。そうすれば綺麗な鏡合わせになる。力比べで負けることはない。中学サッカーで大量得点はそう珍しくないからな。まだ十分に逆転できるぞ!!」


 選手達に言って、力量では勝っていることを強調した。


 実際、彼女達の力があればそう簡単に負けはしないんだ。


 だが三点差……。確かに育成年代のサッカーは大量得点大量失点が珍しくない。たった数試合で百を越える得点を記録するチームが出てくることすらある。それだけチーム毎の力量差が激しいということだ。


 しかしオルフェスは間違いなく強い。そこまでの力量差はない。


 サッカーは極端に点の入りにくいスポーツであり、一試合の平均得点はだいたい二程度だ。三点差というのは相当厄介な差である。プロならひっくり返す可能性は五パーセントもないだろう。



 それでも彼女達なら逆転できると、本気で信じている。


 レポロは混成チームの基本フォーメーションが4―4―2で、そこでプレーする結衣や守内真奈、ゴールキーパーの手島てしま和歌わかといった二、三年生の中心選手には慣れもある。


 今は参加していなくても、去年までは混成チームにいたという選手も何人かいる。

 男子チームとの試合でも後半は4―4―2で戦って勝ったんだ。自信を取り戻すには最善だろう。


 ――――だが後半が始まってすぐ、俺は愕然とさせられた。



「な……っ! くそっ、読まれてたか」



 後半が始まると、相手のフォーメーションは5―4―1に変化していた。


 三点差を付けて五人のディフェンス陣。その前では四人の中盤が横に連なって、ディフェンスと合わせて二枚の壁を形成……。守備に重点を置いた完全な『逃げ切り態勢』。ガチガチの堅守だ。


 これではマンマークができない。してしまうと1―4―5という異常な攻撃偏重状態になってしまう。



 そんな練習は一度もしていない。


 練習していないことは、できない。



 サッカーにおける戦術は無限に存在すると言える。しかしFCレポロU15ガールズは立ち上げから僅か一ヶ月の急造チーム。選手たちが大凡を理解して実行できる戦術というのは、片手で数えて指が余る程度しかない。


 そのまま選手達は混乱し続け、相手の固い守備を崩すことができず0―3のままで終戦の笛を聞くこととなった。

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