第6話 才能

 試合を終えた選手達は一旦ベンチの周りで汗を拭って、それから俺とソフィの声かけに応じて集合した。


 今はベンチ横の空いたスペースで座っている。一言で言って雰囲気は暗い。



 昨日、一昨日は快勝だった。


 二試合とも完璧だったとは言わない。攻撃に重きを置いている代償のように失点もした。しかし多少の反省点はあれど結果さえ良ければ、そう易々とチームの雰囲気が崩れることはない。


 だが今日は完敗を喫してしまった。それも弱点を突かれて良いところを消され、無得点。この結果と内容ではどうしても重たい空気になってしまう。


 特に……。彼女たちにとってこれは、練習試合を含めて最初の敗戦だ。



「みんな! 決勝トーナメント進出おめでとう!」



 空気を変えようとしたのか、ソフィが声を張った。それでも決勝トーナメント進出という成果を喜ぶ姿は見られない。


 守備陣はミスから失点。


 中盤は釘屋奏をフリーにさせてもらいながら、なにもできず。


 最前線では不調の一枝果林を中心に、個人の技術が高くないところを露呈してしまった。これまでは中盤の結衣とチサが勢いを付けてどうにかなっていたのだが。



 良かったところが見当たらない。そりゃ、前を向く気になれないのもわかる。


 でも気持ちを切り替えないと次へ進めない。大会にはまだ先があるんだ。俺は『今日の結果は悪かったが、次は必ず勝てる』というような言葉をかけようとした。


 しかし瞬間、前のほうに座っていたサイドバックの双子から姉の倉並くらなみ七海ななみが立ち上がって二歩、三歩と前に出ると振り返って他の選手達に対面した。


 バッと、勢いよく頭を下げる。



「今日はすみませんでした!!」



 本来なら特定の選手が責任を感じてこうして謝るというのは、良い面も悪い面もあり正解とは限らない。というか、やらせたくないし見たくもない。


 だから『サッカーはチームスポーツであり責任は全選手そして指導者にもある』ということを、しっかり伝えるべきだ。


 ……しかし俺は、彼女の言動を少しの間だけ見守ることにした。


 倉並七海と、倉並美波。彼女たちは小学生時代をレポロで過ごしていない。他所のクラブチームで小学生時代を過ごして、中学に入ってから一年間はサッカーから遠ざかり、陸上の長距離走――駅伝――の選手になっていたそうだ。サッカーは走るスポーツだから走る競技との親和性が高いのだろう。サッカーと陸上の掛け持ちというケースは中学生ぐらいまでなら結構多い。


 しかしレポロがU15ガールズ(女子チーム)を立ち上げることを知って、陸上を離れてこのチームに参加した。


 本人達が中央よりサイド、攻撃より守備が得意だと言っていたこと。そして駅伝の練習をしていた彼女たちにはスタミナがあり、激しい上下動が求められるサイドバックには適していると考えて抜擢した。走り負けないというのはサイドバックの必須条件である。



「その…………、私たち…………」



 立ち上がったはいいけれど、視線が下がっている。


 自分の責任だと言いたいのだろう。


 でも、そんなことはない。


 試合前に言ったとおり、負けてもいい試合はない。だが、そもそも勝利絶対主義を掲げているわけではない。前者は気概の問題で後者はチームのあり方の問題だ。勝つ気概は全員で持ちながら、勝利だけを全てとはしたくない。


 小学生で勝利至上主義を掲げるチームもあり、実際にそういうチームは結果も出しやすい。


 ハッキリ言えば小学生や中学生で『一つのものに人生をかけて打ち込む人間』なんてそういないんだ。でもそこに勝利至上主義を掲げて厳しい練習を課すと、『一つのものに打ち込んでいる気分』になれる。


 これを指導者が導いていると見るか、大人の価値観を押しつけていると見るかは、非常に難しい問題になる。もし指導者をどちらかの派閥に分けて正しさを主張し合ったら乱闘に発展しかねない。指導者って灰汁あくの強い人間が多いからなぁ……。


 例えば厳しい練習を課して選手が故障したとする。それを『厳しい練習に耐えきれなかった選手の限界』と見るか『選手の特性に合う練習をさせなかった指導者の責任』と見るかでも意見は割れるんだ。


 個人的には、オーバートレーニング症候群なんて厄介なものになっているわけで、勝利至上主義で猛練習を課すチームにはしたくない。


 サッカーは沢山ある競技スポーツの中の一つであって全てじゃない。いつか人生を賭けて何かに挑戦する日が来たときに、レポロでの経験がいしずえになればいい。楽しい思い出になっていれば嬉しい。


 気楽すぎるかもしれないけれど、俺が思うのはその程度だ。


 たった一度の敗戦、それもリーグ戦で決勝トーナメント進出を果たしておきながら個人が謝ることなんて、ない。



『私たち――』と言ったあと、七海は口を噤んでしまった。


 他に言いたいことがあるなら、と待ったのだけれど。単なる謝罪であれば仲裁に入ったほうがいい。一旦話を止めるべきだ。


 ……しかし俺より先に、今度は双子の妹――倉並くらなみ美波みなみが立ち上がった。



「あの。ちょっといいすか? ――たぶん七海は、自分のせいだと思ってるんですよ」



 どこか他人事のような言いぶり。



「みっ、美波だって似たようなものだったでしょ!?」


「うちらの実力じゃ、こんなもんでしょ」


「そ――そうやっていつも逃げて、サッカーの練習しないから!」


「練習しても才能は変わんないっしょ。私たちが今更ボール蹴って、結衣みたいになれると思う? 無駄だって。無理無理」



 …………と、よく考えてみると失点に繋がるミスを犯したのは謝った姉のほうではなく、妹の美波だ。


 自分が致命的なミスをやらかしたわけではないのに謝ってしまう姉と、やらかしたけど開き直る妹。この二人、容姿や体力はそっくりなのにプレースタイルと性格が全然違うんだよな……。


 ただ、ちょっと勘違いしているようだから訂正しておこう。



「美波、練習しても才能が変わらないってのは違うぞ」


「…………どういう意味ですか?」



 ギッと睨むような視線を送られる。


 なんというか、ちょっとヤンキーっぽいんだよこの子。反抗期だし、そう珍しくもないんだろうけれど。なんでかなぁ。身長百八十センチぐらいの黒人選手(同い年)に睨まれてももう慣れちゃってビビらなかったのに、女の子に睨まれるとすっごい怖い。結局は慣れの問題なのかな。女の子慣れしたいなぁ。


 だが身がすくむ気持ちを悟られるわけにもいかず、俺は背筋と表情を正してコーチらしい振る舞いを心がけた。



「地道な努力こそが能力を解き放つ鍵になる――――。才能ってのは、天に与えられるものじゃない。自分で、自分の内側からどうにかして引きずり出すものなんだ」


「……内側から?」



 抗弁に熱を込める。



「ああ。そして自分の中にどんなものが眠っているかなんて、引きずり出してみないと誰にもわからない。努力する前から諦めたら、自分の中にある何を諦めたのかすらわからないままだぞ」



 だが美波は「ふーん」と薄くぼやいてから、言葉へ繋いだ。



「じゃあ私たちが努力したら、結衣やチサと同じように上手くなれるんですか?」



 結衣やチサ――。二つ名付きで天才と称される二人だ。彼女たちのような選手は憧れや目標の対象になりやすい。だが――



「それは無理だな」



 断言した俺の斜め横で、ソフィが目を見開いて驚いた。


 すぐに傍まで寄ってきて耳元にささやく。



「ケイタ、もうちょっとオブラートに包んだほうが……」



 お前がそれを言うのか、とツッコみたいところだが。こっちは真剣だ。


 あくまで真面目に美波へ…………いや、倉並姉妹、そしてこれを聞いている全ての選手に声を張って伝える。



「憧れる、真似をする、影響を受ける――。そういうのは結構だ。刺激になる。でも決して、自分が誰かと同じになんて、なれると思うな」



 それから倉並姉妹は黙り込み、しばらく経って審判の務めを果たしたコーチ二人が「バス来てるぞ」と伝えてきて、そのままの空気で全員が帰りのバスへ乗り込んだ。


 重苦しさを電動ドアで密閉したバスは分け隔てなく全員を揺らしながら道を進み、何度も右左折を繰り返しながらレポロのグラウンドへ向かう。


 その間もソフィは一所懸命に選手を和まそうとしていたけれど、雰囲気は良くならないまま。


 ムードメイカーの心乃美や、気合注入が得意なキャプテンの守内真奈でさえ、普段通りに振る舞ってはいるものの……。周囲の気持ちを明るく持ち上げるような役割は果たしていない。


 心乃美はそんなに練習熱心というほどでもないし何を考えているかわからないが、真奈は三年生になっても男子と一緒に練習するほどの努力家だから、練習しても才能が変わらないという発言は受け入れがたいのかもしれない。


 …………俺と同じで。



『才能があるね』と言われることがいつしか嫌になっていた。ただ頑張って練習することだけを選んできたのに、その努力を一言で否定された気分になるからだ。


 しかし今ではその練習にも制限がかかり、チームから離れ、こうして彼女たちのコーチや監督代行をしている。


 努力できるものなら、したい。


 きっと俺は――。自分への苛立ちから、ああやって不躾で押しつけがましい言葉を放ってしまったのだろう。


 だが困ったことに、間違ったことを言ったつもりもない。簡単に撤回していいとも思わない。


 窓から流れる景色を見ながら深く溜め息を吐く。中途、ガラスに映り込む自分の顔へ「暑苦しい、嫌なやつだな」と呟いた。



 これまで努力を武器だと考えてきた。そう信じて疑わなかった。でもそれは、努力したらその分、多少なりとも報われてきたから……なのかもしれない。


 もしどれだけ努力しても報われなかったのなら、俺は腐らずに頑張ることができたのだろうか。


 そう考えると彼女たちの才能に対する悩みというのは、俺が想像するよりも遙かに深いのかもしれない。

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