第21話 FS

 近くの、なんて言ったけれど、車で四十分ほどかかった。


 田舎の移動時間は長いんだ。むしろ一時間は覚悟していたから、これでも相当早い。


 …………気のせいか、赤信号に一度も引っかかっていないのだけれど……。深く考えないようにしたほうが良さそうだ。偶然が重ねればそういうこともある…………はず。


 やはり、自動開閉ドアにも拘わらず、はち切れんばかりの肉体をスーツに収めた運転手がエスコートするように降車を促した。


 こういうのは慣れないけれど、嫌な感じが微塵もしないのは、プロの成せる技なのだろう。


 受付で代金を払うこともなくスケートリンクの傍まで辿り着く。……ここ、見学だけでも料金かかった気がするんだけどね……。あとでちゃんと払っておこう。



「ほらっ、あそこ!」



 チサが指差すと、楕円形リンクの最も遠い対角線側で、細身の女の子がジャンプをして、二回ほど回ってから着地した。



「マジでやってんのな」



 チサの話を聞いた当初は、ちょっとピンと来なかった。


 ストライカー気質の少女がサッカーと平行で『フィギュアスケート』をやっているなんて。



「……バカらしい。フィギュアスケートなんて、滑って回って飛んでるだけじゃない。採点競技だし。純粋に速さを競うスピードスケートなら、まだわかるけど」



 悪態をつく結衣に対して、チサが複雑な表情を見せる。なんだかなあ。結衣ってのは、不器用なやつだ。



「スケート靴、借りてきたよ!」



 そこへソフィがレンタル靴を持ってやってきた。


 しかし――



「あの、でも私、お金持ってきていませんし」


「私だって持ってきてないわ」



 チサは軽く手を振って、瀬崎はツンとした態度で断ろうとする。



「ここまで連れてきたのは、ソフィとケイタだよ。細かいことは私たちに任せて、二人は遠慮なく楽しんできたらいいね!」


「そうだぞ。二人は遠慮なく――――って、おい。それだと俺も二人の分を割り勘する感じじゃないか?」


「冗談だよ。三人とも、気にしないで楽しんできて」



 気にしないで……と言われてもなあ。でもここで俺が断ったら、結衣とチサも断るしかなくなってしまうわけで。



「……いいのか?」


「うん!」


「ソフィはどうするんだ」


「滑れると思う?」


「いや……わかった」



 しかし俺だって、スケートができないわけじゃないけれど、もし滑って転倒でもしたら怪我に響きそうだ。変な回復は順調とは言え、変なねじりかたをすればアウトだろう。



「んん……。俺は怪我してるからさ。チサと結衣で楽しんでこいよ」



 言うとチサは、「ほんとに良いんですか?」と申し訳なさげに。結衣も最初は「興味ないわ」なんて言っていたけれど、チサがちょっと強めに誘うと「仕方ないわね」なんて言って、スケート靴に履き替えた。


 めんどくさ可愛い奴よのお。



「ちょっ、チサ! まだ離さないでよ!?」


「大丈夫ですよ」



 どうもチサは経験者のようで、安定感がある。


 一方の結衣は、間違いなく初心者だ。震える足にへっぴり腰で後輩の腕にしがみつく瀬崎せざき結衣の姿というのは、中々新鮮で貴重なように思える。


 そして一枝いちえだ果林かりんのほうへ目をやると、俺達の存在には気付いていないようで、指導者らしき大人と会話を交わしては何度も滑って、ダンスのような動きを加えて、飛ぶ。


 スケートリンクにかよっているわけでもないし、フィギュアスケートの練習風景なんて、そう見るものでもない。だからか、物珍しい感覚で見てしまう。


 すると突然、飛んだ果林が着地――着氷――に失敗して、ゴタンッ! と鈍い音と共に蹲ってしまった。


 俺の目の前にいたチサと結衣も、心配そうに遠くの果林を見遣る。


 ――だが果林は、何事もなかったかのように立ち上がって、再び滑り始める。そしてまた、飛ぶ。



「…………どうだ結衣。今のを見てもまだ、フィギュアスケートなんて――って、言えるか?」



 思うに、スポーツなんてものは全部、例外なく、痛かったり辛かったりするものだ。採点競技だからとか、そういうのは関係ない。


 結衣は表情を曇らせて、チサに問う。



「チサ……。なんで果林はサッカーをしているの? フィギュアスケートとサッカーなんて、全然違う競技じゃない」



 確かに共通点はそうない。精々、下半身の力が重要なスポーツと言えるぐらいだろうか。だがその下半身の力さえ、どう見たって使い方が違う。



「私と果林ちゃんは、同じ学校なんですけど……。サッカーを始める前に『チームスポーツがやりたい』――って、言っていました。フィギュアは物心付く前からやっていたみたいで、両親はサッカーに反対したそうです。だから今も、チームの練習日はサッカーをやって、夜になるとリンクが閉まるまでフィギュアの練習――。サッカーが休みの日はずっとフィギュアの練習――という感じです。本人は、もうちょっとサッカーの日を増やしたいって、言っていますけれど」


「それじゃ休む暇がないじゃない! 無茶よ!」



 ……それをお前が言うのか? 週七日練習に参加して、個人練習までしているのに。


 というか、こいつら全員要注意だ。俺がコーチをしていてオーバートレーニングになんてなられたら、悔やんでも悔やみきれない。


 チサは一枝果林のほうを見て、呟く。



「そういえば一度も、休みたいとか遊びたいとか、そういう言葉は聞いたことがないですね」



 再び結衣は、黙りこくる。


 ――――一枝果林という少女は、サッカーに関して言えば爆発的な瞬発力で得点を奪う以外に、これといった長所がない。小学生相手にはそれだけで絶対的な武器となったようだけれど、中学に入ってからもそれだけの選手というわけには、いかないだろう。


 小学生と中学生じゃ、守備の強度が全く違うんだ。


 現に、はじめて一枝果林という選手を見たあの小学生同士のミニゲームでは、彼女は異常な輝きを放っていた。だがU15ガールズに加わって以来は一度も、あの時ほどの活躍を見ていない。


 結衣に問う。



「あの足があれば、もっとドリブルに活かせるのに――とか、思うだろ? ちょっとポジショニングが変われば見違えるのに――とか」


「…………思うわ。あれは私にはない。ううん、違う。ほとんどの選手に備わっていない絶対的な武器よ。活かしきれないのを見ると、イライラする」



 思えばチサや果林に比べると、結衣には『わかりやすい身体的特徴』がない。


 足は少し速いかなという程度でジャンプ力も目立たず、右利き。身長も普通で、体格は細め。スタミナもそれほどではない。脚力で相手を置き去りにすることも無尽蔵に動き続けることも、空中戦で有利に戦うことも、できない。


 ……俺もそうだけれど、こういう立場から見ると、身体能力という面で絶対的な武器を持つ選手は羨ましく思えるものだ。同時に、もし自分にその武器があれば……と思うと、酷くもどかしくもなる。



「チサ、果林がサッカーを始めたのはいつ頃だ?」


「小学校で……六年生になってからです」



 プロフィールシートにもそう記載されていた。


 チサの話しぶりから察するに、他のチームに所属していた可能性もないだろう。


 もう一度、結衣に向く。



「果林のサッカー歴は、まだ一年と少ししかないんだ。その上、サッカー一本に絞れているわけでもない。ただ、サッカーとフィギュアスケート両方の練習量を合わせると相当なものだろう。……それでも俺は、果林がサボっている姿も、タイミングの合っていないパスを走らずに見送る姿も、一度も見たことがない。いつでも全力で追いつこうとしている。――結衣は、そういう選手が嫌いか?」



 ここに来た目的は、結衣に果林の姿を見せることだった。


 チサから話を聞いて、言葉で語るよりも実際に目で見てもらったほうが良いと判断したんだ。


 そうした俺でさえ正直、生で練習を見ると驚きを隠せない。


 氷なんて、どう考えたって芝や土とは比べものにならない固さだ。そこでジャンプして転倒する痛みというのは想像が及ばない。



「――嫌いなわけ、ないじゃない」



 結衣の表情は、それほど明るくない。むしろ悔いているような、そんな顔だ。


 でも果林に負けていられないという思いで体がうずいているのは、こちらにも伝わってくる。すぐにでも練習に戻りたいだろう。



「ま、今日はこれだけで収穫だ。折角だからスケート楽しんでいけよ。クロストレーニングって言ってな、色んなスポーツの動きを取り入れることはプラスに繋がるんだ」



 と、まあ、落ち着いて言ったつもりだ。


 けれど、俺も練習がしたくてウズウズしている。しかし転ぶわけにいかないし――。ああ、もどかしいなもう!



「ケイターっ」



 呼ばれて後ろを振り向くと、ソフィが長靴のようなものを持って立っていた。



「これ、滑らない靴ね!」


「おお! これなら俺も! ………………って、それ、意味あるか? 普通に歩くのと変わらなくないか?」


「百聞は一見に如かずね」


「そうか……、じゃあ、まあ」



 俺は滑らない長靴を履いて、慎重にリンクへ足を踏み入れた。


 …………まあ、確かに滑らない。歩ける。むしろ走れそうな靴だ。素晴らしい安定感。


 でも…………なんか………クロストレーニングとは違うような…………。


 仕方ないから、俺は氷の上を悠々と歩いて結衣に近付いた。


 優しすぎて一度も結衣から手を離そうとしないチサに変わって手を取り、五秒に一回ぐらいのペースで手を離して、いじめてやる。



「ちょっ、バカ! わわ――っ、離さないでっ!」


「ずっと手を掴んでたって滑れるようにはならないぞ」


「わ――わかってるけど!! だって――っ、きゃ!」



 いのう。いのう。


 その成果もあって、一時間で結衣はある程度滑れるようになったのだが、リンクを降りた瞬間に泣きそうな顔でバチンと頬を叩かれたことは一生忘れられないだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る