第9話 意外と硬い

 帰宅するとチサが「お帰りなさいっ」と出迎えてくれる。シャワーを浴びた直後のようで、まだ灼髪が濡れている。


「カバン持ちます!」

「一番疲れてる後輩に、持たせるもんなんてないよ」


 言ってリビングへ向かって、一度ソファに腰を落とした。


「ちょっ、お兄ちゃん邪魔!」


 心乃美がバスタオルに包まれている。なんで服を着る手間を惜しむかなぁ……。チサより先に出てきている様子なのに、これだ。

 髪も濡らしっぱなし。肌の手入れをするのなら髪の手入れもしっかりしたほうがいいだろうに。


「早く服着てこい。風邪引くぞ」

「……仕方ないなぁ」

「なんで渋々なんだよ……。髪にも悪いだろ」

「あっ、そういえばそうだよね! お兄ちゃんありがと!」


 ……ほんと、こいつの思考はよくわからん。

 ソファの横で「ドライヤー使いますね」と言ってから、チサがスイッチを入れる。ちなみにこの言葉は許可をもらっているわけではなくて、今から騒音出ますよ、の合図だ。――ということに、最近ようやく気付いた。

 一つ一つ律儀に許可を取る子だなぁ、と思っていたけれど、多くの場合は単なる『お知らせ』である。

 ちなみにうちのドライヤーは冬にリビング、夏場は洗面台に置かれる。脱衣所の洗面台に置くのが一番だとは思うのだけど、冬場は北側の脱衣所が寒くなってしまうので暖かいリビングへ移動。今は冬の名残でリビングに置かれたままだ。そろそろ移動させようかな。

 リビングではコンセントの位置が悪くて、ドライヤーのケーブルがソファまで届かない。だからソファの横で乾かすことになる。延長コードでも買ってきたら解決するんだろうけれど、なんとなく昔からこのまんま。

 いつも正座しながら髪を乾かすチサは、こじんまりとしていて可愛い。

 しかし今日は、珍しく片膝を立てていた。

 ブォォォォォと鳴るドライヤーが止められたところで、不思議に思って問う。


「――足、痛いのか?」


 足に痛みがあると、正座ができなくなる。ありがちな話だ。


「あー……。はい。ちょっとだけ」

「とんでもなく走ってたからな。どれ、どこが痛い?」


 俺はチサの正面で屈んで、細い足首に触れる。


「いっ――」

「……足首、か?」


 足首だとすれば好ましくない。怪我である可能性が高く、重症化しやすい。


「いえっ」

「じゃあ、まさか膝……?」


 膝も好ましくない。いや痛んで好ましいところなんて一つも無いんだけど。

 足首や膝、それに股関節や腰回りといったところはサッカーで痛めやすい箇所であり、同時に重症化のケースも多くある危険部位だ。


「いえ、……痛むのは、ふくらはぎとももの裏で……」

「じゃあ筋肉系――。筋肉痛かな」


 よく考えてみると、足首や膝だとしたら歩行でも痛みが出るはずで、もっと早く気付けそうなものである。

 試合が終わってからもミーティングにオルフェス戦の観戦、バス移動――。そこで俺もソフィも、いや多分、誰が見ても足首を痛がっていれば伝えてくるはずだ。

 そういう報告がないってことは、チサが痛がる素振りを誰も見ていないのだろう。

 一応軽く足首と膝に触れて様子を伺ったが、表情が苦痛に歪むとか、そういうことはない。

 ただ――


「……意外と、足首は硬いんだな」

「柔らかいと思われがちなんですけど、昔から足首だけは硬くて」


 足首は柔らかければ良いというものでもない。例えば陸上選手は硬い人が多いそうだ。足首が柔らかいと地面に振り下ろした足の衝撃をそこで吸収してしまって、次の一歩への反発が得られないとかなんとか。

 果林や奏に隠れがちだけど、チサの足の速さというのも中々のものがある。ドンッと地面を蹴って急加速するのではなく、いつの間にかヌルッと最高速に達していてるタイプだ。

 今日もそれを活かした得点があった。

 ボールテクニックに影響しない程度に硬いというのは、正にサッカーをするために最高の足首だろう。

 まじまじと見ていると、服を着た妹が――


「あーっ、お兄ちゃんがエロい顔してるーっ」


 なんて大声で言った。


「んなわけあるか!! めちゃめちゃサッカーのこと考えてたわ!!」


 全力で否定したはいいものの、まあ、年頃の女の子の足にずっと触ってるというのは良くないな――、と手を離す。


「変な痛みがあったら、すぐに言ってくれよ」

「はい。でもただの筋肉痛だと思うので、大丈夫ですよ」


 そう答えたチサはそのままスッと立ち上がって、キッチンへ向かった。

 この様子ならそれほど心配しなくても大丈夫そうか。

 一息吐いて俺もキッチンへ行き、二人で夕飯の調理に取りかかる。

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