第8話 バランスと手応え

 ハーフタイムを終えて後半が始まっても、チームの勢いは衰えなかった。

 特にチサが絶好調で、倉並姉妹と一緒に中盤を形成していると表現できてしまうぐらい低い位置へポジションを取りに下がりつつ、前線にも果敢に飛び出す。一人二役の働きだ。

 これによって七海と美波は攻撃面の不足をチサに委ねることができるから、かなりプレーしやすくなっているだろう。

 チサが自分でボールを持つと、ドリブルとパスどちらもいけて、更にパスを出してからはサボることなく一気に相手ディフェンスの裏を狙う。まるで結衣や果林が動かない選手に見えてしまうぐらいの運動量は、圧巻の一言だ。

 戦況は残り五分。2-0でレポロが勝っている。どちらもチサの得点。


「あの……」


 一ノ瀬有紀に声をかけられる。


「チサちゃんって、いつもあんなに圧倒的なんですか?」

「今日は絶好調だな。正に最強、チサ無双だ」


 ほんと、敵じゃなくてよかった。あんなのが敵にいたら『ええい、連邦軍のモビルスーツは化け物か!』と言ったマスクマンの気持ちが痛いぐらい理解できていたことだろう。あんたも十分化け物だよ、と思ったものではあるが。


「いえ、でも……」


 有紀が言いづらそうにしているのを感じ取った俺は、「ん?」と一音に疑問を表して言葉を引き出す。


「チサちゃんの走行量、多分とっくに十キロ超えてますよ。プロでもあんなに走れる選手滅多にいないのに、中学一年生で走れるなんて――」


 プロの試合は前後半合わせて九十分あって、男子選手の中では十キロというのが標準的な数字だ。

 陸上の一万メートルに相当する量をボール蹴ってジャンプして方向転換しながら走っているのだから、かなりの化け物ぶりがうかがえる。


「……確かに。よく考えてみたら、男子選手でもあそこまでは走れないな」


 入れ込みすぎ、の言葉がまた脳裏を過った。

 興奮状態で疲れを感じなくなることは、程度の差はあれど珍しくないことだ。もしも身体的疲労を全く感じないほどの興奮状態になっているとすれば、怪我の危険度が増していく。

 だが三年生で控えに回ってもらった千頭由奈は、同じく三年生の多々良春ともう交代してしまったし、まさか有紀とチサを交代させるわけにはいかない。途中加入の有紀に今大会の出場権は無いんだ。


「あと五分、か――」


 俺はサイドでプレーする千頭由奈を近くまで呼び寄せて、伝令役とする。


「チサに『これ以上動くな』って伝えてくれ。明日もあるんだから、二点差付けたここで無理をさせることはない」

「わかりました!」


 それからすぐにチサへ伝わったはず――なのだが。


「……変わらないな」

「変わりませんね」


 相変わらず激しく動いて、二人分の仕事を超高次元でやってのける。

 表情はどんどん鬼気迫るようになり、普段の温厚な印象から遠く離れていった。ストロベリー・スノウという愛らしさのある二つ名が、霞んでいくように感じる。

 試合終了の笛が鳴ると、レポロの選手が一斉に地面へ座り込んだ。

 勝つには勝ったが、慣れない戦術で戦う緊張が疲労感を増したのだろう。……これ、明日の試合大丈夫か?

 そう思った瞬間、遠くで雷鳴が響いた。

 サッカーのように広大なフィールドでは周りに高いものがなく、落雷が選手を直撃する可能性がある。実際にこれで死者も出ている。


「試合が終わってからでよかった」


 一人言を呟いて選手達がフィールドから戻ってくるのを見守り、最後にゴールキーパーの手島和歌がタッチラインを超えたところで「全員揃ったか?」と一応の確認に問う。

 しっかり十一人、戻ってきている。


「雨は降りそうにないんだけどな」


 予報では降水確率が十パーセントほどあった。降っても小雨ということで、気象衛星さえバグっていなければ、精々通り雨の程度で済むとは思うのだが。

 たまにゲリラ豪雨なんてこともあるからな……。

 曇天と言うほどでもない程度の雲がかかった空を見上げていると、結衣の声が耳に入ってきた。


「チサ、無理しすぎよ!」

「……すみません」

「別に、謝ることではないのだけれど……」


 チサは二人分動いたからなぁ。俺からもちょっと言っておいたほうが良いのかもしれない。

 逆に結衣は運動量が少なくなって疲れなかっただろうけれど、バランスというものがある。

 特にこの二人は攻撃特化型で似通った特性を持ちながら、利き足が違うから、左右にバランスよく分けることができる。加えて頭の良さも持ち合わせていて、片方が下がれば片方が上がるなどの分担も上手い。相性は最高に良いだろう。

 しかし今日はチサが下がってチサが上がり、チサばかりが動いてしまった。

 結衣としては、先回りして動く後輩とのバランスを取ると、どうしても運動量が減った――というところだろう。つまり、活躍をしたのも奮戦ふんせんしたのもチサだけど、バランスを欠いた原因もチサにあるということだ。


「明日の決勝に疲れが残ったら大変よ」


 ――珍しく、チサが『憧れの瀬崎さん』に言葉を返さず、無言で下を向いた。

 それだけ疲れてるってことだろう。汗の量もとんでもない。察して、結衣も返答を求めずに他の場所へ移動していった。

 チサと仲の良い果林は、無言でその様子を眺めていた。――――少し怒っているようにも見える…………か?

 そんな様子を観察していると、立ち去った結衣と入れ替わりで、七海と美波がチサの傍へやってきた。


「大丈夫? ごめんね、私たちがあんまり上手くないから――」と自虐気味に七海が心配したが、チサは「大丈夫ですよ」と簡潔に答える。

 いつもなら『いえいえいえっ、そんなことないですよ!』という感じになるところだと思うのだが、これ、ほんとに疲れてるな。

 試合中は集中していてアドレナリンもドバドバ出て、疲れも痛みもわからないことがある。しかし試合が終わってしまうと脳内が正常になって、一気にそれらを感じるようになってしまう。サッカーに限らずスポーツでは……。いや、例えば仕事や勉強だって、集中が切れると一気に疲れを感じるというようなことは、ままあることだろう。

 ということで、俺が代弁する。


「そんなことないぞ。強い相手に快勝したんだ。二人とも、よくやったな」


 伝えると、七海と美波が顔を見合わせて、ものすっごく嬉しそうな表情で笑った。

 結衣やチサのようにできたとは、言えない。それは二人もわかっているだろう。でも二人は中盤で動き回って広い範囲をカバーして、チサの運動量と組み合わさり、三重奏のような状態を創出した。

 カバー範囲の広い中盤ってのは、攻撃の選手にとって厄介なものだ。その上、駅伝と階段ダッシュで鍛えた脚力で、後半投入された相手選手にも全く走り負けなかった。

 相手が本気で嫌がっていたことに、二人は気付いていただろう。だからこそ、手応えを得られたはずだ。


「サイドバックとボランチ、どっちのほうが楽しかった?」


 希望ポジションを把握するためにも、この機会に訪ねておこう。

 七海は「私は任されたポジションを――」と言ったが、隣で美波が「んーっ」とうなって、思いがけない言葉を発した。


「偽サイドバックっていうのを覚えたら、サイドと中盤、どっちもできるんですよね?」

「まあ、そうだけど……」

「じゃあそれ! それやれるようになりたい!! あっ、いや、なりたいです!!」


 レポロは、雑用のほとんど全てを指導者がやる一方で、礼節には厳しい。二人は四月から通い始めていることもあってまだ敬語が馴染んでいないけれど、俺としては正式な指導者ほど上の立場というわけでもなく、大人に使われるのと全く同じ敬語を使われてしまうと気分が浮ついて足下をすくわれそうな気がするわけで。

 正直なところを言うと、美波ぐらいのしゃべり方が結構居心地よかったりする。……にらんだりされなければ。


「偽サイドバックは、とんでもなく難しい役割だぞ?」


 念のため脅しておいたが、二人の目に迷いはない。

 きらめいた視線を真っ直ぐに送られて「「はいっ!!」」と声まで揃えられると、あんまり感情表現が豊かだとは思えない俺も自然と笑顔がこぼれた。

 反則なんだよなぁ、そういう目。有無も言えず嬉しい気分にさせられてしまう。

 結衣やチサのように――ではない、二人だけの目標地点が生まれたんだな。これからの成長が楽しみだ。

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