第4話 JSと天性
「――おっ、あの子上手いな」
小学六年生のミニゲームを見始めるとすぐに一人、群を抜いて上手い選手が目に止まった。
身長こそないものの、味方のパスを受けるとワンタッチで対面の相手を
キーパーとの駆け引きも落ち着いていて、フィニッシュ(シュート)の精度は抜群。
最初のワンタッチで完全に一人置き去りにしたところも併せて考えると、判断の正確性と速度に長けているのだろう。
つまり、技術だけじゃなく頭も良い選手だ。
…………たまに、サッカーをやっていると『ヘディングでバカになっているんじゃないか』と思われることがある。
けれど現実は、サッカーと頭脳は切っても切れない関係にあるんだ。頭の悪い選手が良い判断をすることは難しいし、監督の戦術を理解出来ない選手が居座れるポジションなんてのは一つもない。
「しかし…………。正直、これじゃ普通の子は相手にならないな。差がありすぎる」
俺は呆れ半分で独り言を呟く。
青いビブス(ベストのような形をした、主に紅白戦で使う判別用ゼッケン)に白字で描かれた背番号『10』が、夕明かりを受けて輝いて見えた。
サッカーにおいて10番というのは、『司令塔』『エース』などチームの中心選手を指すことが多く、特別な番号と言える。
まあビブスなんてものは指定された色で、あとはサイズさえ合っていれば選ばずに着るものだから、たまたま今日手に取ったものが10番だっただけだろうけれど。
好きな背番号やカッコイイ背番号、憧れの選手と同じ背番号……。そういうのを選んでいると悪戯に練習時間を消耗し、漏れなくコーチに怒られる。よくある話だ。俺もやった。
「これだけできる女の子がいれば、心強いかもな」
男の子よりも幾分長い髪はナチュラルな赤味を帯びていて肌は白い。と言っても日本人の範疇の白さであって、目鼻立ちの良い顔だけど目が青いとか鼻が凄く高いというわけではなく、日本人だと思う。地毛が黒くない子というのはたまにいるし、多分それだろう。
軽い身のこなしからも柔らかく女の子感が滲み出していて、何より、ゴールを決めた後に見せる小さなガッツポーズと嬉しそうにはにかんだ表情が女の子らしい可愛げに満ちていた。
「
小学生のサッカーは基本的に男女混成だ。
まだ身体能力に差が少なく、むしろ女子のほうが高いこともある。少なくとも平均身長は、この時期に限っては女子のほうが少しだけ高い。
そして今見ている限り、小学六年生チームの中で一番上手いのは彼女だ。
サッカーをやっているのは男の子が圧倒的に多いから、確率的に言えば分母が違う。けれどこういうこと――一番上手いのが女子選手――は、この年代ではしばしばあると聞く。
「中学でもサッカーを続けてくれれば、女子チームとしては貴重な戦力になる。…………でも、女の子かあ。勿体ない」
俺は小さな声で本音を吐露した。
本当に勿体ない。
彼女は一ヶ月後、もしくは一年後、そして三年後、このグラウンドにいない可能性が高い。
より強いクラブチームに行くというポジティブな理由ではなく、単純にサッカーを辞めてしまうということで、だ。
他に夢中になれることを見つけてそこでの活躍を目指したり、何かしらもっと楽しめるものがあって辞めていくのなら何一つ問題がない。
親父やコーチ達だって、ここでの経験がその礎になれたらと思って、指導に励んでいるはず。
……けれどこの場合は『サッカーが好きではなくなった』というネガティブな理由が多くなる。
中学三年間で多くの女子選手は、どう足掻いても
練習や才能よりも身体的成長の差が要因となって、レギュラーの座を奪われる。
その悔しさに多くの女子選手がサッカーの楽しみを見失ってしまう。
だから
身体的成長の優劣とサッカーの練習に強い結びつきがあれば、努力した分報われるのだけれど……。
一応、適度な運動をしたほうが背は伸びるだろう。でも、例え運動をしていなくても殆どの男子は勝手に、ぐんぐん成長する。
遺伝と性別が一番の要素で、次いで挙げられるのは栄養や睡眠じゃないだろうか。練習すれば背が伸びるなんてことは、あっても微々たるもの。少なくとも遺伝や性別の要素を覆せるほどの差は生まれない。
目の前で躍動する彼女にも同じことが待ち受けている。中学以降もサッカーを続けるとして、生まれつき用意されてしまった理不尽極まりない壁とはどうしても対峙することになってしまう。
「その受け皿として女子チームなんだろうけど。……男子とは一緒にプレーできないっていう挫折感を味わうことに、変わりはないかもしれないからなあ。他に女子選手は見当たらないし」
男女分け隔てなく同じような練習着を着ているわけで、正直に言って、遠くからでは判別が難しいこともあるかもしれない。
もっと女性らしさが出ているか例えば長髪であったりすれば、少しは判りやすいのだけれど。
パッと見る限りでは、六年生全体を見渡しても、そういう子は見当たらなかった。
「女の子一人の環境で頑張ってるなら、よほどサッカーが好きなんだろうな」
俺は目を細くしてぼやき、彼女の姿を追う。
足元にボールが吸い付くようなプレースタイルは、天生のものという気がする。
ボールタッチが右足に偏ってはいるけれど、それで上手ければ、少なくとも現時点では大した問題にならないだろう。
練習だけではどうにもならない天生の差、才能の差というものは、否定が難しい。彼女と同じプレーを努力すれば誰もが出来るようになるということは、きっと、ない。
「……まあ、それを言うと性別差も、それこそ努力でどうにもできない天生のもの……か」
親父が俺を巻き込んででも女子チームを発足させる理由が、ちょっとだけわかった気がする。この才能が潰れていくのは、見たくない。むしろ、どこまで伸びるのか育ててみたくなる。
「すみません! 遅れました!」
俺が赤髪の少女に視線と思考を奪われていると不意に、後ろから高い声が鳴った。
基礎練習をすっ飛ばしてミニゲームにだけ参加しに来たのか、それとも基礎練習を終えてから何らかの理由で一時離脱して再合流しているのか、俺には伺い知ることができない。
ただ声の持ち主は、監督に頭を下げてからすぐに背番号14の青ビブスを着て、ポニーテールを揺らしながらグラウンドへ入っていった。
すると審判を務めるコーチの指示で選手交代が行われ、彼女は紅白戦のピッチに立つ。
「……なんだ、あいつ。遅れてきてトップに入るのかよ。肝が据わってるな」
当然のように敵陣ゴール前へ行き、
何はともあれ、女子選手が一人じゃないことに俺は軽く安堵した。
一人で乗り越えられない壁も、二人いれば乗り越えられることがある。彼女達が中学以降もサッカーを続けるのか、続けるとして通常の男女混成チームを選ぶのか女子チームを選ぶのか、それは解らない。
けれど、どちらにせよ一人よりは二人のほうが心強いだろう。
試合と直接関係のないことに思索を巡らせていると、遅れて入ってきた二人目の女子選手――14番のポニーテール――に対して、相手チームの二人が『マーク』に付いた。
マークは相手選手を自由にさせないために、その選手にピッタリ張り付いて守るプレーだ。それを続けることをマーキングと言うが、まあ、合法ストーキングのようなものだとも言える。相手が嫌がることを目的とするのだから、やられたほうはたまったものじゃない。
しかし一人に対して二人でマークするということは、他の部分で数的不利が発生する。
「ってことは、上手いのか」
最初から警戒されるレベル。それもビブスの色は青で、同じチームに最も上手い10番の女の子がいるにも拘わらず、だ。
俺は期待を隠しきれず前のめりになり、食い入って注目する。
結果、彼女達は、俺の想像を遙かに上回るプレーを見せてくれた。
10番の選手がボールを受けると即座に対面の相手を躱して抜き去り、14番との間にパスコースを作り出す。
蹴ったボールが正確にコースをなぞると、14番は桁外れの瞬発力で二人のマークを置き去りにしてゴールキーパーと一対一になり、冷静にゴールへボールを流し込んだ。
二人が揃うまで10番はドリブラーかと思っていたが、どうやら後方からのパスを受けてワンタッチで対面の相手を躱し、効果的なラストパスを送る技術に長けているように見える。
その後も何本もの決定的なラストパスを、どんな位置からでも供給し続けた。
つまるところ彼女はドリブラーというよりも、広い視野を持った『攻撃万能型のパサー』と呼ぶべきかもしれない。
そして14番はスピードに長け、マークを振り切ってフリーになるのが異常に上手い『ストライカー』、点取り屋だ。
ボールを蹴る技術は10番程ではない。だが強いパスに追いつき一瞬で相手を置き去りにする脚力は特筆できる。まるで『どんなパスにでも追いついてみせる』と意思表示するような動きは、パスを出す側として心強いことこの上ないだろう。
――結局二人で得点を量産し、青ビブスのチームを大勝に導いた。
「あの二人、チームを別けたほうが良かったんじゃないか……」
圧倒的すぎる。二人揃うと破格、別格、もはやチート級。
将来を考えれば、女子選手だからという理由で二人のことが心配だ。けれど今この場においては、相手チームの選手のほうがメンタル的に心配になってくる。女の子にボッロボロにされてんじゃん……。
しかし俺は、それとはまた別の、大きな疑問を抱えた。
「あんなに上手い選手が、なんでまだ同学年とプレーしているんだ……?」
ほとんどのスポーツがそうであるように、サッカーも年齢だけで区分けするものではない。群を抜いて上手ければ年上の選手に混ざってプレーすることになるはずだ。
身を置くレベルを上げることで、更なる成長を促すことが出来る。
ひょっとしてまだ五年生で、六年生の試合に参加しているのか?
――しかしすぐ、別の可能性に気付いた。
「中学生の部には、居場所がないのかもしれないな……」
目の前で大活躍を見せてくれた二人の選手は、間違いなく中学生と一緒にプレーできる技術を持っている。
しかし二人とも同学年の中でも、小柄だ。
女子だから中学生に混ざる権利がないというわけではない。中学サッカーが女子選手の出場を認めていないわけでもないはずだ。
だが、今は三月。
体格も何もかもが変わり始めている一学年上の男子選手の中へ彼女達を放り込むことは、危険を伴う。
中学一年生の男子は、その一年でぐんと背が伸びるんだ。サッカーがコンタクトスポーツであり接触が避けられない以上、この点を軽んじることは出来ない。
プロであれば自己責任でもあるし、体格が劣っていても戦える力があることを示す選手も多くいる。
でも地域の少年サッカークラブに所属する小学生に『自己責任』なんて絶対に言えないし、親御さんだって簡単には許可しないだろう。
――女の子なら、尚更だ。
「ほんと、勿体ないなあ」
グラウンドの中で、彼女達は弾けるような笑顔を見せた。
複雑な感情を抱えながらも俺は、その景色を微笑ましく眺めてしまう。
すると突然、後ろからバン――ッと頭を叩かれた。
「痛っ――た。……って、
振り向くと、小学生の頃に世話になったコーチの多湖さんが筒状に丸めた紙を片手に……怒っているような笑いを堪えているような、なんとも言えない微妙な表情で仁王立ちしていた。
「親御さんから『女子小学生ばかりをジーッと見てるニヤけ顔の男があそこに』……って通報されたんだが。――サッカー辞めて変質者に鞍替えか? ん?」
「え……」
なんだその通報は。心外にも程がある。
「俺、ただ練習見てただけですよ」
「もうすぐ高校生だろ!? なんで女子小学生見てニヤけてんだよ!」
「ニヤけてはないですよ!!」
「いーや、そこはこの目で確認した」
――――しまった。彼女達のプレーに魅入っている間に、いつの間にか俺は頬が緩んでいたらしい。
だって将来ある選手のプレーって、見てて楽しいじゃないですか!
なんて言ったところで、この状況じゃなあ。確かに彼女達ばかり見ていたし。
……あれ? 俺、いつの間にか、顔がにやけるほど楽しんでたのか。
「いいから、今日は大人しく帰れ! 通報してくれた親御さんには、あとでちゃんと説明しとくから。――ロリコン疑惑なんてかけられたら、ここで指導できなくなるぞ」
「ここで指導……って、じゃあ全部知ってるんじゃないですか」
心遣いは有り難いけれど、ならばサッカーを辞めて変質者に鞍替え云々はいらなかったような気がする。
怪我を機にサッカーを辞めるかどうかは本気で悩んでいるけれど、無闇な誹謗中傷には抗議したいところだ。教え子と指導者が三年ぶりに再開したというのに酷い話だよ、全く。
「わかりましたよ。俺だって暇じゃないんです。帰ります」
「おう。帰れ帰れ」
くっそ。コーチの行動が(余計な一言を除けば)正しいとはいえ、親御さんから変質者として見られていたなんて精神的ダメージがでかい。
泣いてもいいだろうか。いいんじゃないかな。だって俺、真剣に彼女達の将来を想って愁いていたんだよ?
結局俺は、ほとんど彼女達の印象だけを頭に残して、最大の目的であった中学生の部(U15 男女混成チーム)に至っては一切見ずに家路へ付くこととなった。
親御さん達の厳しい視線に晒されながら……。
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