第10話 ノックアウト
フットプロムをはじめて十五分ほどが経った。その間、俺は一度もドリブル突破を許すことなく、チサの右足を延々と封じ続けていた。
「どうした。もう七点目だぞ」
チサは上手い。
フェイントも多彩で、ブラジル人が好む跨ぎフェイント『シザーズ』は素早く、全身を使って右に行くと見せかけて左へ抜くような『ボディフェイク』を小刻みに仕掛けてくる。
更に、蹴ると見せかけて逆へ切り返し、軸足の裏にボールを通す『クライフターン』――どの動きにもキレがある。
でも俺は、黒人も白人も、南米もアメリカもアフリカもヨーロッパももちろんアジアも、世界中から分け
「はい、八点」
もう一つ、チサは右足にこだわりすぎている。
左足は補助だと言っていた通りに実行してくれているから、後ろにある三角コーンへのコースが切りやすい。
小学生まではそれで通用したのかもしれない。しかしU15ガールズのフットサルでは、三年生の守内真奈に封じられていた。やはり、このまま右足に拘り続けることはチサのためにならないだろう。
俺は散々ボールを奪って、チサの使ったフェイントやボールコントロールをより高いレベルで実行してみせ、十二歳の心を屈辱的なまでに
「九点目――。これじゃ張り合いがないな」
「お兄ちゃん。ちょっとは手加減ってのをさ」
「バカ言うな。逆足だけにこだわってる子供に負けて
なんだかもう、戦っている間に、勝敗やプライドが優先になってしまっていた。サッカーボールを蹴って久しぶりに胸が高鳴っている。
「なあチサ、
チサは荒くなった呼吸を隠すこともできずに、汗を芝生に
闘志が萎えていないのは流石と言いたいところだけど、やはり対戦してみると解る。
右足の使い方が僅かにぎこちなく、その所為でプレーに一瞬の遅れが生じる。
端的に言えば、一つ一つのプレーにキレがあっても断片的であり繋がりが悪い。これはドリブルを仕掛けるなら致命的な欠点だ。
どちらが勝っても最後となる十回目。俺は、チサのパスをポンと返した。
「私のこと、なんにも知らないのに――っ」
そう呟かれた瞬間、だった。
守るために間合いを詰めた俺の前で、チサはボールに
更にそのまま膝の外側で、空中のボールを横へ押し出した。
この動きは見たことがある。
――
跳ね上げたボールに素早く二回以上触れる、浮き球のテクニック。技の技術を競う『フリースタイルフットボール』や、フットプロム・パナノックアウト、そしてフットサルのような少人数で対戦する『ストリートサッカー』で見られる大技だ。
種類は多種多様だが、チサのやっているものは足の外側で真上に跳ね上げたボールを一瞬で外側へ押し出し――視線を外側へ誘い出す。次のワンタッチで逆方向、内側へ抜き去ればやられたほうは置き去り。
しかし見たことがあるフェイントを使われたところで、ボールの行き先を見切れば問題はない。
外側へ押し出したボールは次の動作で必ず内側に切り返してくる。
特にチサは、ボールを高い位置まで上げてしまったから、もう一度跳ね上げて俺の『頭上』を通してくる可能性が高い――。
俺はそう思って、思い込んで、チサより早く逆方向へ重心を移動させた。
ドンッ――!
しかしボールは上を通らず、股下の芝生から低い音が鳴る。
AKKAで頭上を通すと見せかけて、チサは俺の両足の間へボールを叩き付ける、完璧な
瞬時、ただでさえ小さな背を更に屈めて脇を通り過ぎていく。
「速――っ」
そのままもう一度ボールに触れて、コーンを一つ倒された。
「や――――――っ!! やった! 一回倒しましたよ! あと十回やりましょう! 逆転します!!」
本気かよ……。
自分の肩口の辺りまで上げたボールを、関節の柔らかさで無理矢理上から叩いた。
いや、しかし――――。
「あ、えっと、その必要はだな……」
「あー、これ、お兄ちゃんの負けだねえ」
チサがやったのは、フットプロムで『ナツメグ』と呼ばれる行為だ。
相手の股下を抜いたボールにもう一度触れてコーンを倒すと、それまでの得失点に拘わらず一発で勝者となる。
オランダ流のパナノックアウトにも似たルールがあり、そもそも『パナ』とは股抜きのことを指す。股抜き一発でノックアウトになることを名前で示しているのだ。
とにかくサッカーにおいて股下を抜かれるというのは、右にも左にも動けない、やったほうには最高でやられたほうには最悪の、屈辱的な決着になる。股抜きばかりを狙うと試合が荒れることもあるぐらいだ。
「私が勝ったら、十回やる約束ですよ!」
しかし彼女のギラギラした目を見ると、ルールの説明など……そういうのはもう、後回しで構わないように思えてきた。
「――――そうだな。やるか!」
「はいっ!」
今は、この天才プレイヤーとの対戦を楽しんだほうが良い。
そう感じて、また彼女との勝負を繰り広げた。
右足にこだわらなくなったチサは、見違えるほど滑らかなボールタッチと俊敏な動きで、本当に逆転するつもりで勝負を挑んでくる。
……それが嬉しいし、楽しい。
「バカだねえ、二人とも」
脇で見守る心乃美の、溜息交じりに呟いた言葉が耳に入った。
けれど、バカで結構。
楽しい時間を体力が尽き果てるまで味わうのは、最高だ。
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