第9話 コーチとコーチ

 結局、明らかに無理をしている瀬崎せざき結衣ゆいを除いた全員――クリアした四人を含め――が、二十メートルダッシュを精力的に繰り返した。


 彼女たちが履く土グラウンド用のスパイクには細かい突起があり、グラウンドに小さな凸凹を作る。俺はそうして荒れたグラウンドを丁寧にブラシでならして、終えると今度はボールを磨きはじめる。



「無理しないでいいよ。私がやるから」



 心配そうな顔で、ソフィが俺のすぐ横に座った。



「……ごめんなさい。ケイタが無理してるって……わかってて、止めること出来なかった」


「半端になるよりは、止めてくれないで良かったと思ってるよ」


「そう……かな」



 哀しそうな顔を見ると胸が痛む。


 ソフィの立場が、一番複雑なのかもしれない。俺が無理や無茶をしがちな人間だと知っているのに、それを目の前で見ていて止めることが出来なかった。


 選手たちのコーチであると同時に俺の監視役でもあり、それはつまり選手の成長を願いつつ俺の無茶を止めなければならない。相反する二つの狭間で心が何度も揺れ動いたことだろう。


 ――それに、プレー中に何度かソフィの不安げな表情を確認した俺は、『まだ止めるな』と目で意思表示をした。彼女は、その想いを受け取ってくれただけで……悪いのは俺だ。



「俺のほうこそ……、ごめん。実を言うと、ソフィなら止めないだろうって、わかっててお願いしたんだ」


「…………うん。だってみんな、すごい頑張ってて、す――っごく、楽しそうだったから。……もちろん、ケイタもね」



 ソフィはそう言って笑ってくれた。その表情一つだけでも、いくらか罪が軽くなったような気がする。


 俺より年上に感じる見た目の彼女に、少しだけ、甘えたくなった。



「コーチっていうのは、厄介な仕事だな。あいつらが成長する糧になれるなら多少の無理は――って、思ってしまった」



 今まで俺に指導してくれたコーチや監督も、同じような想いを抱いていたのだろうか。


 ……そんなこと、考えたこともなかった。



「ケイタ――?」


「いや。ちょっと考え事。……今日のことで、少しは発破をかけられていたら良いんだけどな」



 実を言うと、今でもまだ不安だ。


 差を見せ付けられて、その時は大丈夫でも、家に帰ってから思い返しジワジワと真綿を締め付けられるように自信をなくしていって……。最終的に心が折れる。そういうことはありえる。


 ……考えすぎだろうか。


 第一、俺は男子選手の中じゃフィジカルで劣るけれど、それでもできる限り鍛えてはいる。彼女達からすれば反則ものだ。


 それでも、ハッキリとした目標のなかったU15ガールズに、最初にして大きな意味のある試合を用意できた。そしてそれを発表し、彼女達が勝利への意思を固めた瞬間に、この機会を合わせたいと思った。鉄は熱いうちに打て――ってやつだ。



「ケイタと勝負している選手の中に、闘志のない人は一人もいなかったように見えたよ。ケイタが自分に厳しいの知ってたけど、今日は選手にも厳しい鬼コーチだったね」


「鬼、か……。でも、彼女たちに俺の基準を押し付けてしまっていないか、それが良いことなのか悪いことなのか、わからないな」



 あのあと俺は、レポロの『練習後は楽しく試合を!』という、絶対遵守の不文律のようなものを破って彼女達に約束通り走らせ、更に体の効果的な使いかたとトレーニングの方法、その重要性について、できる限りの指導を行った。


 監督――親父も事務所の外から見守っていたから、やろうと思えばいくらでも口を挟めたはずだ。それをしなかったということは、少なくとも、断固反対というわけではないのだろう。


 けれど俺やソフィが女子チームのコーチをやるのは、あくまで監督や他のコーチ達が見守る中で、という話だ。それなのにチームの不文律を破るほど出しゃばって良いものだろうか……? とも考えてしまう。



「俺は、中学時代をここで過ごしていないんだ。日本の外に出て――技術だけじゃ通用しない奴らに沢山出会って、『日本人は選手よりもパフォーマーに向いてる』なんて揶揄されたことさえあった。全ての外国人が体格に優れているわけじゃないけれど、でも、やっぱり体の使い方が違う。俺より小さくて細い奴にも当たり負けしてしまった。厳しく体を当てられることそのものに、俺は慣れてなかったんだ」



 本当にサッカーというのは国柄が現れるもので、日本はドリブル突破がしやすい環境のように思える。少なくとも『殺す気で奪ってこい』とはそうそう言われない。逆にイギリス――イングランドのサッカーはドリブルを絶対に許さないぐらい潰しにかかってくる。殺すつもりで奪いに来るのが常識だ。



「……ケイタが身を置いている世界は、厳しいよ。プレミアリーグはラグビーみたいなタックルもあるし、中々審判が笛を吹かない。それはアカデミーだって……。同じじゃなくても、傾向はあると思う。……でも彼女達は、日本でプレーする日本人の、女子選手だから……」



 よくリーグの優劣を語る論争があるけれど、優劣と言うよりも種類が違うと考えたほうが適切かもしれない。戦術の違いやプレースピードの違い、ファール基準――。国やリーグによって様々で、その差は違うスポーツと呼べるほど大きくなることもある。アジアの東端とヨーロッパの西端では、同じ島国でも文化や環境が違うのは当然だ。


 そこに男女差が加わればもう、本当に別物である。



「…………そうだな。わかってる。彼女達にそこまでを求める気はないし、女子チームには女子チームの戦い方があるんじゃないかなって、考えてるよ。その戦い方はきっと――俺にとっても意味のあるものなんじゃないかって気もしてる。まだ答えは、わからないんだけどな」



 フィジカルは圧倒的に男子選手有利。


 十二歳の女の子が残りの生涯をかけて伸びる身長と、十二歳男子が十三歳までのたった一年間で伸びる身長はほとんど同じだそうだ。


 女性ホルモンと男性ホルモン、筋肉の付きかただって違う。


 それでなくとも、このチームにはチサ、果林、奏といった女子選手の中でも殊更に小さな選手がいる。そしてこの三人は恐らく……スターティングメンバーから外せない。


 こういうチーム状況と自分の身体的特徴が重なって感じるわけだ。だから……どうしても、気持ちが入ってしまう。



「女子サッカーは男子に比べると、一試合の走行距離が短いね。だからスペースが空くし、体を寄せるプレーも男子サッカーよりは少なく感じるよ。ドリブルの上手い選手が三人、四人と相手を抜き去るシーンは男子に比べて多いのかも――」



 ソフィの観戦知識は侮れない。なにより俺は、女子サッカーというものをまだ、それほど多く見ていない。


 自分に関係がないと思っていて、関係のないものに興味を抱くほどの余裕はなかったんだ。



「三人、四人と……ね。うちだと、結衣とチサが可能性高いか」


「うんっ。二人の技術レベルは飛び抜けてるよ! パパにも見てもらいたいぐらい! ……ただ、もし相手が二人を封じられるなら、このチームは一気に攻め手を失うことになるね。それに練習試合の相手は、男子チームだから……」



 俺は彼女達に守備――それも体を張った守備を伝えようとしているけれど、実のところディフェンス陣に関して言えば、ゴールキーパーの手島和歌、センターバックの守内真奈、そして心乃美――。三選手とも男子に対して見劣りするわけではない。


 心乃美以外の二人に関して言えば上背もある。約束通り三年生の男子が参加せずに二年生以下の男子が相手ならば――それなりどころか、かなり通用しそうだ。


 それでも――。



「はあ……。ちょっと難しい喧嘩売っちゃったかな」



 いつかソフィが言ってたな。現代サッカーに守備の必要がないポジションなんて一つも無い――って。どれだけ後ろが堅くても前のほうがスルスル突破を許すザルのような守備だと、何度も何度もピンチを迎えていずれ崩壊する。


 どれだけ考えても『絶対に勝てる』と自信を持つことのできる戦い方が、思い浮かばない。


 確実な勝ち筋が見えないというのは、こうも暗然とするものか……。



 一年生は、この間まで小学生だった連中だ。正直に言って怖くはない。


 ただ二年生に関して言えば、練習を見ていても格段にレベルが上がっている。体も大きくなり、彼らの中には三年生を押しのけてポジションを掴む選手もいるだろう。上手さに強さが混ざりはじめた、かなり厳しい相手――という印象だ。


 それに、背番号だけで言えば、瀬崎結衣よりも小さな数となる二十番台が中心メンバーとなるだろう。


 あくまで親父や他のコーチの見立てとはいえ、あれだけテクニックのある結衣よりもスタメンに近い番号を得た選手は、間違いなく強敵だ。


 勝負事に絶対なんてものが存在しないということは勿論理解している。


 それでも、この試合で彼女達から自信や尊厳を奪い去ることは出来ない。


 率直に言って負けた後のリスクが大きすぎる。最悪、無様なほどに大敗してしまったら――。


 想像するだけで、身がすくむ思いだ。



「監督業をやっている人が、こんなにももどかしい気持ちで選手を見ているのかと思うと……。ものの見方が変わるよ」


「――そうだね。これがチェスなら、駒は決められた制限内で思い通りに動いてくれる。先手と後手があるだけでお互いの戦力に差はないよ。でも、サッカーはそうじゃないから……」



 話の内容がやけに具体的だ。


 彼女もチームを勝たせたいという気持ちは同じ。色々と考えている最中なんだろう。


 俺は転がっているボールを一つ拾って、見慣れた模様を眺める。



「駒は個性的で十人十色。それも疲労やコンディション次第で動きが変わる。毎度全く同じ動きをする駒なんてのは、一つとして無い。――――ははっ、全く、難しいよな」



 言って、俺は空笑いをした。


 しかしソフィにはそう見えなかったようで、



「難しいけど、ケイタ楽しそう」



 内心を見透かされた気分になって、今度こそ本気の空笑いをした。


 もちろん戦術を考えて意図した通りに動いてくれるというのは、一つの理想型だ。けれど、この年代にそこまでを期待して型に嵌りすぎたプレーを押し付けるわけにはいかないだろう。


 選手の『考える力』を奪うような勝ち方を、少なくとも俺は、したくない。


 でも、負けてほしくない。


 勝たせてやりたい。――いや、勝ってほしい。自信と尊厳を失うようなことにはさせたくない。


 …………もどかしいな。

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