第10話 親子①

 全てのボールを磨き終えると、ソフィがそれらを大きな袋にまとめ入れる。次いで俺はその袋を動かそうと、引っ張った。


 瞬間、



「あ、れ――?」


「大丈夫!?」



 ボールなんて一つ四百五十グラム程度。まとめたところで大した重さにはならないし、丈夫な布でできているから引き摺るだけなのだが――――。急な目眩の後、全身の力が抜けた。今になって気付いたけれど、膝にも少し違和感がある。



「……やっぱ、無理は身体にくるな」



 脱力感に抵抗する術もなく、再び天を仰いで土の上で仰向けになった。さっきは強がれたけど今はそういう場面じゃない。支えきれない体の重さは地面に預けてしまったほうがいい。



「もう! ケイタはお人好しすぎるよ! ……やっぱり止めるべきだった!」


「いや――。ものすごく言い辛いんだけど、実は金曜日に、チサとも対戦しちゃって」


「……バカなの? …………それとも、チサトがそんなに可愛い?」


「ああ、可愛いよ。あんなに才能に溢れた選手、可愛くないはずがない」


「…………本当にバカなんだね」


「なんでそうなる?」



 言いながらつい、勢いで身体を起こした。しかしどうにも力が入らない。



「無理したらダメ!」


「……ごめん。――――はぁ。何してるんだろう、俺」



 とっかえひっかえ、十二人の年下の女の子を相手にボールキープからのシュート。


 実のところシュートを決めてしまえば一呼吸置くことができるから、休みたくて沢山決めたということもある。それでも三十分で三十本。……万全でもキツい部類の練習だ。



「ある程度のトレーニングはできてるけど、こういう無理の仕方をすることになるとはなあ」



 夕暮れの空を見上げて、俺はまた土の上で仰向けになった。


 せめて芝生なら、もうちょっと寝心地が良いのだけど。沢山の選手が練習することで厳しく踏み固められた土のグラウンドというのは、僅かもクッション性がない。日本の土は芝の育成に向かないと言うが、そりゃこれだけ堅けりゃ根付くのも難しかろう。


 チサと勝負したときも、今も、最近は天ばかり仰いでいる気がする。でも空を見上げると自分の悩みがちっぽけに思えて、悪くない気分だ。少なくとも自室にカーテンを閉めて引きこもっているよりはずっと良い。その頃に比べたら随分マシな状態になったと思える。



「今度、一緒に病院行こう。私もドクターの意見聞きたいから」


「今日のこと、オーナーに報告するのか?」


「しないわけにいかないよ。もちろん、ドクターの意見も併せて……」


「そうだな…………。病院の予約日はまだ先だけど、明日にでも行ってみるか」



 こういう時には高校が通信制課程だと都合が付いて助かる。


 通信制高校卒業のプロ選手も多いらしいけど、確かに一つのことへ専念するには良い環境だろう。しっかり単位を取れば高校卒業、大学受験の資格は得られるわけだし。



「うん。早い方が良いね!」



 それから結局、全ての備品整理をソフィに任せて、俺は事務所の応接用ソファで横になりながら目眩や脱力感が収まるのを待った。



 ――オーバートレーニング症候群。



 慢性疲労の状態が続き、運動のパフォーマンスが著しく低下。更に精神面でも活力を得られなくなる……。


 真面目な人ほどなりやすいと言われたけれど、そんなに真面目かなあ、俺。本当に真面目な人は医者の言うことに従ってきっちり休むような気がする。頑固で融通が利かなくて暴走気味で自己管理がなっていないことを真面目と呼ぶのは違うだろう。むしろ単細胞とか不器用とか無鉄砲とか、そういう風に呼ばれたほうがしっくりくる。


 ソフィは隣で心配し続けていたが、しばらくすると黒塗りの『ヤクザさんのお嬢さんなのかな?』と思ってしまう豪奢なセダン車に迎えられて帰って行った。


 最後まで不安そうな顔をしていたのが頭から離れない。



 そして事務所の中には、監督――親父と、俺。二人だけになった。



「親父は帰らないの?」


「一人で帰れるのか?」


「……ありがと」



 家の夕食に関しては、しっかり準備してきたし、俺がいなくてもきっとチサがやってくれている。心乃美このみだって最低限身の回りのことぐらいはできるし、後輩思いでもあるようだ。


 ただ、心乃美は俺の症状を知っていて、チサにも隠していない。今日の俺が相当な無理をしていたことは多分、二人なら気付いているだろう。心配させていたら悪い。


 ――そういえば今日のチサは異常に気合いが入っていた。普段はそう守備が上手い選手ではないのにあっさりやられてしまったのは、あの気迫があったからだろうな。迷い無く奪い取りに来る選手というのは怖いものだ。


 俺はポケットからスマートフォンを取り出して、二人へ宛ててメッセージを打った。大丈夫、心配ない、先に夕飯食べていてくれ――というような内容だ。



「親父……さ」



 そしてもう一人、心配してくれている人に、俺は訊きたいことがあった。



「どうした」


「なんで俺に、女子チームのコーチなんてやらせたんだ?」

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