第3話 過去の姿

 親父が帰宅したのは、午後十時を過ぎていた。


 遅くなる理由が座談会と称した飲み会の場合もあるから、あまり遅くなりすぎるとチサだって寝ているわけだが、今日は残業であり帰宅時間もだいたい目安がついているから――と、二人で帰宅を待った。


 車のドアが閉まる音を聞いてとたとたと玄関まで歩くチサの後ろ姿を見送って、しばらくすると、チサと親父がリビングへやってくる。



「啓太。この中に二年前のU12チーム、最後の地方大会から全国大会までの映像が入っている」



 渡されたのは一枚のSDカード。512GBギガバイトって……。全試合を一枚に収めればこれぐらいになる――――か? よくわからない。こういうのはソフィの得意分野だ。



「瀬崎だけを撮ったわけじゃないが、チームの中心だったからな。十分にわかるはずだ」


「ありがと、親父」



 簡潔に返した後、すぐに「瀬崎さんの映像ですか!?」とチサがテンションを上げた。


 ――心乃美に言われてからずっと考えていたけれど、一緒に住んでいる以上、チサに隠せる話でもない。


 ここは一緒に見て、視点を増やしたほうがより確実だ。


 親父からはすでに『可能性はある』と回答を得ている。併せて『慎重に見たほうがいい』とも。


 単純な不調。


 選手として壁に当たっている。


 自ら背負った十字架背番号12の重さ。


 早合点をしてそういった全ての可能性を捨ててはならない、ということのようだ。


 実際のところオーバートレーニング症候群の診断は、専門の医療機関での診察に加えてかなり細かい検査が必要となる。俺たちにできるのは、疑いをどれほど強く持つかというまでだ。


 だが疑いを元に、練習に制限をかけることは可能である。単純に『疲れすぎだから休め』と伝えるだけでいい。


 納得させるには時間がかかるかもしれない。けれど、そこは俺とソフィが意地でも飲み込ませる。


 そうすれば症候群などという名前が付いて治療に月日を要するようになる前の段階で…………重症化を止めることが叶う。


 幸いなことに、うちのテレビにはSDカードから映像を再生する機能があった。テレビの横側を探ると差し込み口があり、俺はそこに受け取ったばかりの親指大カードを差し込む。


 画面に【読み込み中】と表示された。


 テレビの前にはこたつ兼用のリビングテーブル。


 その前で正座しながらも足の指をそわそわさせて映像出力を待つ、チサ。



「……めっちゃ楽しそうだな」


「はいっ! だって、瀬崎さんの映像ですよ!?」



 この子にとって結衣はアイドルか何かだろうか。普段の氷属性っぽい言動と俺の中のキャピキャピしたアイドル像が怖いぐらい溶け合わないんだけど……。



「映像を見るのは久しぶりか?」


「いえ! 当然スマートフォンにたくさん入ってるので、毎晩!」


「そ、そうか」



 当然なんだ。毎晩……。


 とても同じフィールドで戦う仲間へ向けるものとは思えない熱量だ。


 ――まあ、憧れってのはそういうものか。


 俺だって好きな選手のプレー集をいくつも保存している。毎晩は見ないし正座もしないけど。



「おっ、再生できるぞ」



 日付順にずらりと動画が並ぶ。とりあえず一番最初の、最も古い動画を再生してみた。ファイル名には『地方大会初戦』と記されている。



「あ、その試合は瀬崎さん出ていませんよ」


「そうなのか?」



 訊ねた瞬間、テレビのスピーカーから歓声のようなものザワッと沸き立って聴こえた。地方大会のリーグ戦、最初の試合。無関係の純粋な観客などそういるはずもなく、選手の家族や他チームの選手が見ていた程度のことだろう。


 それでもザワついた音というのは独特で、俺の視線をチサからテレビ画面へ引き戻すには十分だった。


 画面の中ではひときわ体躯の小さな選手が、左足で器用にドリブルをして、するすると相手選手の間を突破。そのまま弧を描くシュートを放ってゴールネットを揺らした。



「チサが出てたのか」



 話には聞いていたけれど、一年前のチサはとんでもなく小さい。今も小柄だけれど、この一年で本当に急峻を立てて成長したのだとわかる。



「私はこの試合と三試合目。あとは準々決勝の三つだけです。一日にリーグ戦を四試合やって、翌日が決勝トーナメント三試合だったので」



 そういや俺の時もそうだった気がする。改めて考えてみると無茶苦茶な日程だな……。二日で七試合って。全部本気でやってたら壊れるぞ。



「結衣と一緒にプレーしたのか?」


「……私は、瀬崎さんのターンオーバー要員みたいな感じだったので」


「あー……。なるほどなぁ」



 切ない話だ。


 同じ選手を試合に出し続ければ疲労が蓄積してしまい、パフォーマンスが低下する。怪我の危険性も高くなる。だからターンオーバーと言って、補欠選手を出すことでスタメン選手の披露回復を図る。プロでも日程が厳しければよく使う手だ。


 ましてや小学生の試合というのは時間が短いこともあって、一日に複数試合というのが全く珍しくない。


 選手の出場機会を均等化することもできるし、ターンオーバーはむしろ推奨されてもいいぐらいの行為。


 瀬崎結衣ユイに憧れて追いつこうとした寺本千智チサは、利き足が違っても担える役割が近似している。代役には打って付けであり、共存させて二人を同時に疲れさせる必要はなかったのだろう。


 憧れて似せようとしたあまり、同じピッチに立てないなんて……。



「――にしても、チサってこの頃からすっげえ上手いんだな。さっきのゴールなんて三人抜いて余裕のないところからカーブかけたシュート……。普通、あそこは無理に打ってしまうだろ」



 俺が小学五年生の頃にあれをできたかと考えると、ちょっと厳しい気がする。強引に強い直線軌道のシュートを打って、入ればラッキー。もしキーパーが弾いてくれても押し込むチャンスがあると考えただろう。


 一撃で確実に仕留める方向に考えて即座に実行できるというのは、率直に言って感嘆するしかない。



「私は力がないので、こう、カーブをかけて狙わないとキャッチされちゃうんです」

「そうか――。工夫してるんだな」



 技術は努力で引き出した才能ではあるが、それでも引き出そうと思って希望通りに出てくるものではない。そういう意味ではチサは恵まれていたかもしれない。


 けれど、体格では大きなハンデを抱えている。


 極端に小さな体躯で放つシュートは、例え芯を捉えていても威力は高がしれている。ならば威力ではなくコースを狙う方向へ――と成長したわけだ。


 ハンデすら成長の糧に変える。この子は、どこまでも上手くなれるタイプだな。



「じゃあ、結衣ならどうしたと思う?」


「瀬崎さんならキーパーまで抜いちゃいますよ」



 マジか……。瀬崎さん半端ないな。今度握手してもらおう。


 んー。でもどこまでもドリブルで切り込んでいく印象は、現時点ではチサのほうに強くある。結衣は結構パスを出したがるし、シュートも女子にしては少し遠目から決めきれるタイプだから無理にドリブルをする必要がない――ということだろうか。


 それとも。



「チサ。この地方大会で結衣のベストな試合はどれだった?」


「決勝戦です!! ハットトリックしてます!!」



 力強い即答。これ全試合完全に覚えてるわ、絶対。


 ベンチで試合を見ていたのだろうから、ある程度記憶していると期待をかけてみたのだけど……、それ以上だった。



「えー……。あ、これか」



 期待と不安をい交ぜにして、リモコンの再生ボタンを押す。

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