第5話 非日常的な日常
買い出しの帰り、チサは「私も持ちます」と言ってペットボトルを二つに分けた内の片方を持ってくれた。もちろん醤油と別に入れた、軽いほうの袋を渡したが。それでも二キロ弱はあるか。少し重そうにしている。
「今度からは自転車にするか?」
「私はゆっくり歩くのも好きですよ。落ち着いた気持ちになれるので――。特に夕方は、景色が綺麗ですから」
寺本千智という女の子は、試合中のクセが日常にまで浸食しているのか、普段から周囲を全方位把握するかのようにキョロキョロと落ち着かない様子を見せることも多い。しかし言われてみると、こうしてゆっくり歩いている時にはそういう素振りが見られなくなる。
「チサって、試合中に色んなところ見てるよな」
「そうですか?」
「よく首を振って、ピッチの状況を把握してるというか」
「あー……。あれはその、周りが見えてないと怖いので……。私の場合、強引に来られると弱いですから」
なるほどね。その気持ちはよくわかる。
「確かに、見えてないところから荒っぽいプレーに見舞われると怖いよな」
「啓太さんもですか?」
サッカーにおいて飛び級は珍しくない。俺やチサや結衣がそうであったように、一学年、時には二学年以上離れた選手と一緒にプレーすることもある。
十代前半で大人の中に放り込まれたという話すら耳にしたことがあるし、それを聞いても『へえそうなんだ』ぐらいにしか思わなかったのだから、多分、俺を含めてサッカー関係者はみんな感覚が麻痺している。
体格に恵まれているなら幸運だが、そうでなければ技術だけで飛び級したところで圧倒的なフィジカル差を武器――いや凶器のように使われて、潰されてしまう。
だが、そこにこそメリットがあると語る指導者も多い。
今のチサのように周囲をよく把握して荒っぽいプレーをかわせなければ、生き残っていけないからだ。自然と状況把握が身につく。つまり環境がそういう選手を作り上げるってことだ。程度の問題はあるけれど。
「ああ。特に留学中は本当に怖かったよ。あっちじゃボールは『殺すつもりで奪え』って教えられるから」
「ころっ…………、それは怖いですね」
「選手も本気で実行する。正直かなりヤバい。超怖いぞ」
田舎道をゆっくり歩くのが好きだというチサと結局、サッカーの話をしてしまう。でもなぜか、一つも違和感がない。
彼女は瀬崎結衣という先輩に恋い焦がれるような感情を見せているが、実のところ、それだけの気持ちでここまでの努力はできないだろう。本人はそれほど自覚が無いようだけど、サッカーという競技そのものへもかなりの熱量を持っている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます