第4話 二人で買い物

 時々、チサと二人で買い物に出かける。


 市町村合併を繰り返して市を名乗るこの中途半端な田舎には、日本全国に展開する大型ショッピングモールですら車で三十分以上の距離にしかないわけだが、別にわざわざそんなところへ行くほどの用でもない。



「えー、と。お醤油……、お醤油……」



 チサは呟きながら歩いて、「あっ、ここ」と小さく発して立ち止まった。



「普段使ってるお醤油、これですよね?」


「ああ。その青いラベルのだ。あー、でも、一リットル入りのがあればそっちを買いたいかな」



 あくまで日用品、食料品の買い出し。



「一リットル…………あ、ありました。ん……しょっ」



 商品棚の最下段に置かれた大きな醤油ボトルを持ち上げて、カゴへ入れてくれた。



「チサの家って、醤油の味はうちと同じか?」



 醤油一つ取っても味は結構違うものだ。特にこの辺りの地域は一般的な塩っぽい醤油に対して甘い醤油というものも人気があり、どちらを好むかは家庭によって変わる。うちは甘い派。



「えーっと、うちも甘い醤油だったんですけれど……」


「ん?」



 チサは小さな背をくいっと伸ばして、最上段の棚へ懸命に手を伸ばした。……ここで俺が取ってやるのは簡単なのだけれど、以前それをやると不満そうにされたので、今ではこういうことは全て『背が伸びたことを確認する儀式』なのだと思うようにしている。なんか見てると癒やされるし。大きく育て、チサ。



「お刺身とかに直接使うときはこれでした。新鮮なお醤油って美味しいですよ」



 手に持った小型の醤油ボトルには『開封後も九十日間新鮮なまま! 新開発の密閉ボトル』と書いてある。



「へえ。そういや醤油って開封直後と使い切る直前じゃ、味変わってるよな」


「はいっ。これはずっと最初の味なんです。あと押した分だけ出るから注ぎやすくて」



 ――と、まあ、こうして日常の買い物に行くと、サッカーバカの俺たちにしては珍しくサッカーとは一切関係のない会話を広げることができる。


 選手としての寺本千智。


 女の子としてのチサ。


 俺はどちらも大切にしたい。



「じゃあ、それも買おうか。家で使ってたものとか俺の知らないオススメとか、どんどん教えてくれよ」


「はっ、はい!」



 ちなみにこういう会話、以前だったら『ありがとうございます!』と返事が来た。しかし、そういうのは他人行儀すぎる。『同じ家に住む家族なんだから、礼を言われるようなことじゃないよ』と何度か伝えて今に至った。


 まだ畏まった感じだけれど、少しずつ変わっていくチサを見ていると幸せな気分になれる。



「あ……」



 そして一つ、チサの行動で気になっていることがあった。


 うちはスポーツドリンクをよく飲む。チサと心乃美の通う川舞学園中等部では水筒にスポーツドリンクを入れることを許可しているし、練習日であれば二人は帰宅せずにそのまま練習に参加するからミネラルをしっかり補充できたほうがいい。最近は糖分と甘さが控えめになっているスポーツドリンクが多いからカロリーは低い。


 ただ、二人とも徒歩でここまで来ているわけで、二リットル入りのスポーツドリンクを数本買うと買い出しはハードな筋トレに変わる。


 だから飲み物は、親父が車を出せる日にまとめて購入するわけだ。


 しかしチサはペットボトルドリンクのコーナーに来ると、必ず立ち止まる。



「飲みたいものぐらい、ちゃんと言ってくれよ。毎回見てしまうぐらい、好きなんだろ?」


「あ………………。……バレちゃいました?」



 視線を上げてこっちを見ながら、少し恥ずかしそうに振る舞う。可愛い。娘だったら抱きしめてる。お父さん嫌い! って言われても抱きしめてる。チサはそういうの言わなさそうだし。



「実は私、炭酸が好きなんです」


「へえ。あんまりイメージにないな」



 刺激的なものは嫌いそうな印象があった。



「で、どれが好きなんだ?」


「コクコーラとミツゴサイダーなんですけど……、どっちがいいかいつも悩むんです」


「なんで一つしか買わないことになってるんだ? 両方買えばいいのに」


「あ、えっと。『炭酸ばっかり飲まないように』――って、お母さんがいつも一本だけ買ってくれてたので。それに甘いものでカロリーを取っていたら、背は伸びませんから」


「まあ、カルシウム入り炭酸飲料とかプロテイン配合の炭酸飲料とか、聞いたことないな」



 開発して販売すれば、それなりに売れそうな気もするけれど。味が厳しいのかな。



「でも、チサって結構食べるよな。肉も魚も好きで野菜も残さない。ご飯もおかわりするし、心乃美と変わらないぐらいの食べっぷりでいつも感心してるんだ」


「へ?」


「朝昼晩の三食でしっかり栄養は取れてるから、炭酸飲料のカロリーぐらいどうってことないんじゃないか?」



 何気なく口にした言葉で、チサは急に黙り込んだ。


 ん? と思って表情に目をやると、ムゥッとしながら目に涙を滲ませている。



「……買いません」


「えっ、でも…………ほら、遠慮することはないぞ?」


「買いませんっ!」


「な、ど、どうした?」



 ああ、どうやら俺は完全に失言したらしい。余計な一言を言ってしまったのだろう。ほんと悪い癖だ。



「――だって……。だって…………っ」


「だ、だって?」


「ふ、ふふ、太ったんです! 中学生になって一ヶ月しか経ってないのに、一キロも太ったんです!!」



 お、おぅ…………。それは…………。


 つい『体ぶつけられた時に負けなくてすむな!』なんて思ってしまった自分を軽蔑する。いくら脳みそサッカーボールぐるぐるでもそこまでデリカシーを欠いてはいないと信じていた。声に出さなかったことだけしか評価できるところが無い。



「だって……。少し背が伸びたと言っても、私、小さいですし。それで心乃美先輩と同じ量食べてたら、そりゃ太ります…………。…………心乃美先輩は全部胸に栄養が行ってる気がするし」



 最後のほう、ぼそぼそと言ってたけどちゃんと聞こえてたぞ?


 まあ我が妹の胸は母親似というかなんというか、中学生にしては立派すぎる発達を見せている。胸でボールをトラップしたらどうなるのか気にかかるぐらいだ。弾むのか、吸収するのか。結衣ぐらいならそう大差なく自然とげふんげふん。……本人の耳に入れば社会的にも物理的にも抹殺されそうなことは考えないでおこう。大きく育て、結衣。



「あ、あー……。じゃ、じゃー俺が飲むから、一応、買っておこうかなー。たまにはコクコーラも飲みたいしなぁー」



 棒読みで言いながら、コクコーラとミツゴサイダーの1.5リットル入りペットボトルをそれぞれ一つずつ、ひょいひょいとカゴへ入れた。重さ三キロのダンベルが完成だ。


 手持ちの袋は二つある。


 分けて入れて左右均等になるようにしようかな。いや、大入りの醤油も買ってるから均等は無理か。



「そっ、それなら別に、いいですけどっ。その、啓太さん、優しいですから」



 そう言ってくれるのは嬉しいけど、本当に優しい人間は最初の失言からやらかさない気がするよ。

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