第6話 AKKAチャレンジ

 家についてすぐキッチンへ行き、手を洗い、買ったものをそれぞれの収納場所へ入れていく。


 うちにきてまだ一ヶ月だが、チサはほとんど全ての置き場所を記憶している。これはこっちであれはあっちで……などと指示を出す必要がない。


 時計を見ても、まだ夕飯を作るには少し早そうだった。うちは親父の帰宅が普通のサラリーマンと比べて遅いから、食べるのは後回しで、風呂に入るとか宿題を終わらせるとか、そういったことが先に回ってくる。



「チサ、ちょっと練習に付き合ってくれないか?」



 こうして俺から誘うことは、今までなかった。



「今からですか?」



 チサが不思議そうにちょこんと小首を傾げて疑問を表す。そこへ――



「ああ。教えてもらいたいことがあるんだ。頼む」



 と伝えると、瞬時に疑問が驚きへと変わった。



「わっ、私がケイタさんに教えるんですか!? ――えっと…………何を?」



 大きな目を見開いて驚き逆に問いかけてきた彼女に一言、「AKKAアッカ」とだけ答えた。




 庭に出て、まずは手本を見せてもらう。



「AKKAって、これのことですよね」



 足下のボールをトンと浮かせて、膝の外で押しだし、同じ足で逆側へ返した。――そのまま落とすことなく更に逆の足で受け止めて、トントンとリフティングを数回続ける。


 ほんと、この圧倒的なテクニックを見せられては感嘆するほかない。偶然の成功じゃなくて当然の如く成功させられるんだから、浮き球の扱いに関しては間違いなく俺より上だと断言できてしまう。


 この技術があれば今すぐフリースタイルフットボールで稼ぐことができそうなものだが……。ちっこくて可愛いJC女子中学生の魅せる足技なんて、動画投稿サイトで人気になれるんじゃなかろうか。見目もいいし、アイドル扱いされても不思議じゃない。


 チサは中学一年生にして既に『お金』という大人でも難解であろう問題と向き合っている。


 女の子の低身長症治療は、身長が百四十五センチ程度に達すればその後は保険が効かなくなる。更に治療を続けたければ年間三百万円が必要――。


 保険適用内で治療を終えるのが自然な流れなのだが、治療費さえ支払うことができれば解決を図れる問題でもあり、本人が稼いで本人が支払えるなら――なんてことをどうしても考えてしまう。


 かといって全世界に顔を晒すなんて、俺が軽い気持ちで提案するわけにもいかない。サッカーは多くの国で共通理解があり、わかりやすく凄い動画っていうのは言語の壁を越えて一気に拡散する可能性もある。


 ……というかJCだと明かさなければJS《女子小学生》に見えるから、ロリコンホイホイ動画の完成だ。やめておこう。チサの身が危うい。



「名前があったことも知らなかったので、何を教え……伝えたらいいのか」


「いやいや、言い直さなくていいから。チサに教えて欲しいんだ」



 留学してフィジカルで負けたことが悔しくて沢山練習に励んだけれど、怪我で帰ってきたら今度は技術で負ける相手に出会うなんて。想定外にもほどがある。


 神様は何を考えて俺とチサを出会わせたのだろうか。オーバートレーニングの治癒に休養が必要なのに、こんな子と一緒に生活していたら体が疼いて仕方がない。もっと上手くなりたいという衝動に幾度となく駆られる。



「えっとな。膝の外側で『ちょん』って押し出すだろ。あの加減がいまいちわからないんだよ」



 俺はチサの真似をしてみるが、やはり膝に当てたところで遠くへ――コントロール外へ――弾いてしまった。



「ボールを扱うのに膝って、あんまり使わないからさ」



 膝の外側ってのは自分でボールを扱っている間はもちろん、ボールを受ける難しい動作でも意図的に使おうと思うことが少ない。


 まず走っていれば膝は激しく動いているし、足首のように関節を柔らかく使ってボールの勢いを吸収することも難しい。そして跳ねたボールは自分の外側へ転がっていくからコントロール外になってしまう。


 当たってしまう、そこしか当てるところが無かった。そういった消極的な理由で使うことはあっても、わざわざ積極的に膝の外側を使う必要は思いつかない。


 ……と、思っていたのだけれど。



「そうなんですか?」



 疑問符を貼り付けたような表情で返されてしまった。


 どうもチサはそういう『普通』とか『普通じゃない』という感覚そのものが欠落しているようだ。


 しかし正しいのは彼女だろう。


 そもそもサッカーというものは手を制限された不自由な競技だ。使えるものがあってそれが結果に結びつくなら、膝でもなんでも使えたほうがお得である。使ってはいけないなんて更なる制限を課す必要はない。



「いや、訂正するよ。俺はあまり使えてないんだ」



 ここで変に普通を押しつけることでチサの可能性を狭めたくない。俺の場合はできることが限られていたから、より実践的なプレーの精度を上げるために取捨選択をしてきたし、そのためには色んなことを知る必要があった。でも、色んなことを知らないほうがいい場合もある。


 テクニカルな選手がのびのびプレーすると『ファンタジスタ』だとか『魔法使い』だとか、現実離れしたものを形容する言葉で称えられる。言葉のとおりそういった選手は皆、本当に現実離れしているんだ。誰かの枠に押し込めては勿体ない。



「んー……。なんというか、こう。ちょんって触れてポンッとですね。そしたら跳ね返ってくるんで、あとはトントントンと」



 …………、ただこの説明下手だけはどうにかしてほしいかな。ちょんっと触れてポンでできるなら苦労しねえよなわけです。



「なあ、チサはどうしてこういうプレーを覚えたんだ?」


「覚えたと言うより、瀬崎さんと一緒のチームでやりたくてただ必死だったので……。できることは全部やらないと、絶対追いつけないですから」



 チサの憧れる先輩、瀬崎結衣。前に彼女はチサについて『お互いに飛び級していたから、一年ずつズレて続けていた』と言っていた。


 周りが年上の大きい選手ばかりで、常に周囲を確認しないとプレーをするのが怖い。他方、憧れの人と一緒にプレーするためには恐怖心を克服して更なる飛び級をも目指す。



「そっか――。そりゃ上手くなるよな」


 正直、ただただ感心した。


 矛盾を抱えたまま只管に努力し続けるというのは、それこそ普通じゃない。普通はそこで迷ったり、挫折したりする。


 誰よりも努力すれば誰よりも上手くなるなんてことは、ないんだ。


 ポジションや戦術、果ては時代によっても求められる力の種類やバランスは変わる。多分サッカーが長い歴史を持ちその間飽きられずにいるのは、そういう不変とは真逆の、時代によって異なるスポーツと思えるほどの変化が起きているからこそだろう。飽きている暇がない。


『過去の名選手が現代に生まれていたら』というのはサッカー好きでは定番の妄想ネタである。この過去というのは十年や二十年ではなく、たった数年を指すこともあるんだ。本当にサッカーという競技は戦術も選手に求められる能力も恐ろしいスピードで移り変わっていく。


 もちろん努力しない選手が上がっていけるほど甘くないのは事実だが、だからこそ努力の種類には気をつけなければならない。できないことをできるようになるのか、できることを伸ばすのか、全く新しいことへチャレンジするのか――。


 一言に練習と言っても内容は多種多様で、道のりはまるで複雑怪奇な迷路。


 プロよりテクニックはあるのに、プロになれない。テクニックはないけどプロになれた。そんな話は腐るほどある。何が正しいのかなんてきっと、誰にもわからない。


 その中でチサは、壁に何度もぶち当たりながらも迷わずに結衣の背中を追って、同じピッチに立ち同じぐらいの目映い輝きを放っている。


 脇目を振らずに目標をしっかり見続ける力こそ天から与えられたものなどではなく、チサが自分の中から引きずり出した才能なのだろう。

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