第4話 かわいい後輩

 瀬崎結衣が二十メートルダッシュを繰り返す姿を、ジーッと観察する。声をかけるにしても、止まってくれないとかけようがない。俺はダッシュできないわけで。


 そして眺めていると、ふと気付いた違和感。


 ――瀬崎の髪、濡烏ぬれがらすか。


 髪が青色に輝いている。


 濡烏は最高に濃い『漆黒の髪色』を表すが、髪というのは黒すぎると光に当たって青く見えることがある。濡れれば艶が出てミステリアスな雰囲気にもなり、その独特な奥深さで欧州では羨まれることも多い髪色だ。


 昼間の日差しを浴びながら激しく汗に濡れた髪は、はっきり青いと確認できた。



「はあっ、――はぁっ、はぁ……っ」



 それから何分が経ったか、瀬崎は二十メートルダッシュを何度も何度も繰り返して、髪を乱し息を上げ、汗を滴らせて、ようやく止まる。


 その姿は鬼気迫るようでもあり、悲痛にも見える。ただ、どちらにせよ体力を大きく消耗し精神と肉体を追い込んでいることに、変わりは無い。



「何本目だ?」


「百十二本」



 男子顔負けだな……。


 そして答えるとすぐ、再び動き出そうとする。



「何本やる気だ」


「百五十」


「……シャトルランみたいにタイム計ってるわけじゃないから、根性があれば無理な数字じゃないけど……。全体練習やった後だぞ。このあとは女子チームの練習もあるんだ。大体、無茶のしすぎはそのまま体に跳ね返ってくるからな」



 経験者はかく語る、といったところだろうか。



「……ねえ、あなたの目から見て、私ってどう見えるか、訊いてもいい? やっぱり……無様で笑えたり、するの?」


「そんなわけあるかよ」



 こいつは勝ち気なんだか卑屈なんだか。まったく――。



「いたっ」



 何気なく、多分、妹――心乃美このみ――にやるようにして、瀬崎結衣の額に軽くデコピンを見舞った。


 俺が瀬崎のことを、無様だと笑いながら接しているとちょっとでも思われてたなんて、腹が立つ。



「お前は、よく頑張ってると思うよ。確かに、ちょっと可哀想だって気もするけどな。――色んな意味で」


「可哀想……ね。それで、色んな意味――って?」


「勘違いするなよ。女子だからって意味じゃない。……それは確かなんだが……。なんというか、俺にもよくわからん。ただ、瀬崎のことを見ていると悪い意味で自分に似ているな……って。そう思っただけだ。だから可哀想だと思ってしまうんだろう」


「あなたに似ていて可哀想なんて、意味がわからないわ」



 言ったとおり、俺にもよくわからないんだ。


 ただ妙な既視感を覚えるのは、彼女の勝ち気な性格の裏に潜んだ悲壮な感情が、見え隠れしているからだと思う。


 どうしようもないほど高い壁にぶち当たっているのに、それを回避しようとせず、真正面から乗り越えようとしているような――。一言で言えば不器用な性格だ。そういうところが自分に似ていて、放っておけない。


 ――じゃあ今、瀬崎にどういう言葉をかけたらいいのか。


 俺は壁にぶち当たって正面から乗り越えようとして、挫折した。正しい答えなんて持ち合わせていない。


 しばらく悩んでいると不意に、瀬崎を人影が包み込んだ。



「結衣ちゃん、大丈夫?」


「男子の言うことを一々真に受けていたら、この先持たないぞ」



 俺の後ろに、背の高い二人が並んでいた。



「先輩……」



 手島和歌に守内真奈。一人でダッシュを繰り返す後輩を心配して、止めに来たのだろう。



「気が済まないなら、結衣がぶっ倒れるまで一緒に走ってやる!」



 …………おーい。


 守内真奈は短髪に凜々しい顔つきを、にかっと笑って崩した。満面の笑みでまだ走らせるとか鬼や、鬼軍曹やで。


 しかしぶっ倒れるまでって……。このあとも練習があるってことを忘れてないか?



「私も付き合うから、ね」



 手島和歌も、こいつはこいつで菩薩のような顔をしながら止める気は一つもないのな。


 どうやら瀬崎は頼もしい――ちょっと頼もしすぎる先輩を味方に付けているようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る