第3話 はじめての大会

 五月三日。


 ゴールデンウィークを迎えたこの日、FCレポロU15ガールズは初めての大会参加を果たし、同じく初めての対外試合を行うこととなった。




 大会には計八チームがエントリーしていて、まずは四チームずつに分かれて総当たりの予選リーグがおこなわれる。


 そして予選リーグの上位二チームが決勝トーナメントへ出場――。


 これはW杯ワールドカップなどで採用されている方式と同じだ。選手達にとっても馴染みがあるだろう。




「一日一試合ずつ進行して、決勝トーナメントは次の土日……か。できれば優勝したいところだな」




 育成年代では一日に二試合を課せられたり、最初からトーナメント戦という場合が多々ある。


 しかし中学生に当たるU15カテゴリーのサッカーは、前後半で計六十分。二試合すると百二十分にもなる。プロの試合が前後半で九十分であることをかんがみれば、はっきり言って無茶苦茶だ。


 サッカーは限られた時間の中で全力を発揮するスポーツだから、彼女たちは六十分の中で全ての力を使い切ることが理想となる。自分の中の燃料タンクが空になるまで体もメンタルも燃やし尽くすんだ。


 それが一日二試合の計百二十分に代わってしまうと、ペース配分が完全に変わってしまう。六十分で燃料タンクを空になんてとてもできなくなる。そうして変なペース配分を覚えてしまえば、必ず悪影響が出る。


 プロでも週に三回試合をすれば「体が壊れる」と訴える選手が出てくるんだ。六十分というのは成長に合わせた時間だから「六十分なら連日やっても大丈夫だ」なんて理屈は成り立たないだろう。彼女たちはまだ中学生で大人のプロ選手ほど体力はない。


 ……っていうか、プロの選手は試合後にマイナス何十度の冷凍装置……いや冷却装置に入ったりしてマグロみたいな思いをしながら回復を促していることさえあるわけで。それに対して彼女たちはシャワールームがあるところで試合をすればそれを使うこともあるという程度で、回復用の最先端装置とかそういうのとは縁が無い。


 だからこの大会のように三日連続で戦わなければならない時点で、それなりの無茶なのだが……。




 学生は、あくまで学業が優先。




 限りある休日を有効活用すると、どうしてもこういう形になってしまう。簡単に解決できることではないから、仕方がないだろう。


 むしろ一日に複数試合することを避けてくれ、リーグ戦まで組んでもらえたのは純粋にありがたいと思える。


 選手にとって本気の試合というのは貴重な経験だ。色々なチームと当たる機会を設ければより豊かな成長が見込める。ガチンコの試合って楽しいしね。




 FCレポロからは俺やソフィとは別に、コーチが二人、審判として同行した。


 サッカーの主審は選手並かそれ以上に走り、試合を成立させるためには更に二人の副審が必要になる。


 これを全て外部から招聘していては大会運営が難しくなってしまう。JFA(日本サッカー協会)の主催試合ならともかく、今回のような地方で開かれる大会はJFAの認める公式戦にもカウントされず運営費用も地元の中小企業がスポンサーだったりするから、そう多く確保できない。


 コーチが余っているチームであれば審判としてコーチを派遣し、大会運営に積極参加する。当然自チームの判定に携わることはないが、こういう協力によって大会が成り立つことはそう珍しくない。


 そんな中で監督代行を命じられて指揮を託された俺は、会場の掲示板に張り出された大会概要とリーグ戦の組み合わせ表をジーッと見ていた。




「三日間の連戦をどう戦い抜くか……。なにせ十二人しかいないからなぁ」




 連戦の疲労は無視できないし、相手が攻撃的になって荒れた試合になったりしたら……と、思いつく限りのシチュエーションを頭に浮かべて作戦を練る。急場に慌てふためくような事態は避けたい。


 隣には、同じく監督代行を託されたソフィの姿がある。


 彼女とはイギリスからの縁で、同い年。そして俺が所属するアカデミーチームのオーナー令嬢だ。金髪碧眼で外国人らしい目鼻立ちの整い方をしているから、明かさなければ二十歳前後に見えても不思議じゃない。というか見える。


 サッカー経験はないが物事を見抜く力に優れ、熱量も人一倍。


 最初は『なんで未経験者と一緒にコーチをやることになったのか』なんて嘆いたこともあったけれど、今では心強いパートナーだ。




「――――なんか、物足りないね」


「どうした?」




 会場に到着して試合が近付いてくると、段々、彼女の口数は減ってきていた。


 さらには不満でもあるのか怪訝な表情まで見せはじめた。普段が快活でエネルギッシュなだけに珍しく感じる。




「観客はいないのかな?」


「いないだろうけど。……そんなこと気にしてたのか」


「一人もいないの?」


「そこまで正確にはわからないけど。……ま、見に来るのは精々、家族か暇な同業者ぐらいのもんだ。選手だってそういうもんだと理解して参加してる」




 返答に納得がいかないようで、ソフィは口を尖らせて不満を露わにした。




「そんなんじゃ張り合いがないよ! 選手は皆で育てていくものなのに……」




 言いたいことはわからないでもない。


 これは公式戦ではなくとも、公式戦で使われるものと同じ広さのグラウンドを使用しているし、審判を務める人間も全て(うちのコーチ達も)JFAのライセンス所持者だ。しっかり大会と名乗っているし、優勝すれば表彰式があり記念品の小さなトロフィーとメダルまで用意されていると聞く。


 運営には地元の中小企業がスポンサーになってくれているわけだから、つまり多少、告知もされている。店の中に告知ポスターを貼ってもらったりするんだ。




 ――とは言え、関係者以外の観客はいない。




 スポンサー企業の人間ですら、運営のために参加する人はいても、純粋に選手や試合を見に訪れることは多分、ない。


 散歩中に通りがかったような人でさえ、中々足を止めてはくれない。




『我が街から名選手を輩出したい』


『地元のトップチームで活躍するかもしれない選手の成長を、皆で見守る』




 日本人にとって、そういう感覚はあまり馴染みが無いんだ。


 高校の全国大会ともなれば話は別だが、女子中学生の公式でもない地方大会では僅かも関心さえ持たれないのが普通である。まあサッカーではなくJC《女子中学生》を見に来る人間はいるのかもしれないが。


 ……そうやって疑うと色んな人が怪しく見えるから、あまり考えないほうがいいな。誰かのお父さんやお兄さんを疑ってしまったら失礼極まりない。『JS《女子小学生》をニヤニヤした顔で見てる変質者』という一つも救いのない疑いをかけられた経験のある俺だからこそできる配慮だ。ふふん、これが経験というものだよ。……前科じゃないよ?




「納得いかないのか?」


「いかないよ!!」




 だからそういう日本の現状にサッカーの母国で生まれ育ったソフィが違和感を持つのは、当たり前なのかもしれない。


 なにしろU15というカテゴリーは小学生とは違って、かなりプロやトップリーグに近づく年代だ。高校生ともなれば実際にそういった舞台で躍動する選手が現れることもある。


 その原石探しができるのだから、コアなサッカーファンにとっては非常に興味深いとカテゴリーと言えるだろう。


 女子サッカーではU15カテゴリーから直接日本代表へ呼ばれた選手もいる。となれば原石どころか宝石探しだ。




 しかし日本のサッカー文化は開発途上国みたいなもの。老若男女がサッカーを見るわけでもないし、この辺りの感覚をサッカーの母国と比べられては立つ瀬が無い。


 付け加えるならば、まず『地元のトップチーム』というものが……。この辺りには女子のトップチームがないんだ。


 トップチームもない地域で育成年代に興味を持つというのは難しい話だろう。




「日本じゃ、家族が来るだけマシだよ。でも家族が見に来るってのは、いいことだろ?」


「もちろん…………それも大事だけれど……」




 やっぱり納得がいかないのか、今度は残念そうにしている。




「どうにかできないかな?」




 そう言われても、こればかりは――。




「こういうのは年月をかけて土台を築くものだと思う。続けていればいつか、通りがかる人が立ち止まって眺めてくれたりして、少しは観客も増えるかもしれない。継続は力なり、だ。今すぐどうこうできる問題ではないよ」


「……そう、だね」




 眉尻が下がって渋々という風だが、ようやく納得してくれたようだ。




「それより今は、目の前の試合だ。予選は三試合しかない。初戦に勝てば決勝トーナメント進出がグッと近付くけれど……もし初戦で負ければ、厳しい予選リーグになる。これはW杯とかでも、よく言われるよな」


「――うん。初戦で負けた全出場国が予選敗退した年もあるよ」




 さすがに詳しいな。こういう細かい知識は俺より上だ。――っていうか、マジかそれ。初戦敗退のジンクス怖すぎるだろ。


 ただまあ、W杯にまつわる話はかなり有名なところで、こういう四チーム総当たり戦だと誰もが初戦に気を遣うものである。


 対戦相手だって、初戦にかける意気込みは高いはず。




「全部勝つから、問題ないわ」




 不意に後ろから、瀬崎せざき結衣ゆいの声が聞こえた。


 振り向くと選手達が揃っている。真新しい桜色のユニフォームが眩い。


 次いで「が、頑張ります!」と背番号10を背負ったチサが、自分に言い聞かせるように言った。




 瀬崎結衣と寺本てらもと千智ちさと


 ――レポロが誇る二人の天才選手。


 紺碧の狐アズール・フォックスとか灼髪の雪姫ストロベリー・スノウなんて大層な二つ名まで通っていると聞くし、この二人がいればそう簡単に負けはしないだろう。




 ……………………………………………………いやね、正直に言えば『余裕で全部勝つ』と思うよ。


 だってお前らチート級じゃん。


 ドリブルもパスもシュートも全てが高次元で、左利きと右利きだから左右に並べられて、師弟関係のように連携も完璧? これが将棋だったら大駒である飛車角が最初から竜に成って、ついでに桂馬のごとく駒を飛び越せるようなものである。威力も戦術の幅もまるで変わる。


 だいたいこの二人は女子選手だからレポロにとどまっているというだけで、仮に男子選手だったらもっと上の――例えばJクラブのユースチームとかに入ったり、ひょっとしたら日本に留まっているかも怪しいところだ。




 女子にもJクラブのユースチームや、なでしこリーグ加盟チームの下部組織は存在する。けれど、その数は男子の比ではなく少ない。


 実際のところ、この田舎からでは親元を離れない限り、そう簡単に上なんて目指せない。


 結衣は特殊な事情を抱えているから、そういう選択をすることがより難しいだろう。


 他方、チサにも同じことが言える。


 彼女は実際に親元を離れたけれど、瀬崎結衣に憧れてサッカーを続けているわけで。きっと、誘われたとしても他のチームへの移籍は考えない。


 二人が田舎の一チームに揃っていることはレポロの視点から見れば運命的な奇跡だが、対戦相手にとってはさぞ悪夢だろう。


 さしずめ、双頭の竜――と言ったところか。

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