第2話 おいしい

 FCレポロという同じクラブチームの中で女子選手と男子選手が対立し、試合を行う。


 これが女子チームにとっては十一人制で行う、初めての試合となった。


 そんな環境でガチガチの戦いを繰り広げさせたのだから、振り返って考えてみると彼女達には無茶をさせたな――と、反省するところもある。



 ただ、そうすることでとりあえずの決着は得た。


 俺の不安を吹き飛ばすように女子選手達は見事な力を示し、勝利を手にした。最初は男子チームのほうに油断があったようにも思う。女子を相手に本気を出す必要なんかない――という、悪い方向へ働いた自尊心だ。


 だが段々と女子選手に負けたくないという気持ちが芽生えたのか、試合が進むにつれ男子チームがどんどん本気になっていき、最後は必死の形相で体格差を活かしたパワープレーまで使って挑んできた。


 その上で勝って力を示したのだから目的は果たしたと言えるだろう。



 女子だから弱い――。


 女子は女子チームだけでやっていればいい――。



 そんな一方的な考え方は間違いだってことに戦いながら気付いてもらえたというのは、両者にとって好ましい結果だ。


 女子選手の尊厳を守ることもできただろう。



 ――試合から一夜明けて、俺はその結果を自分の目で確認するべく、夕方の練習グラウンドに足を運んでいた。


 辺りを見渡すと男女混成チーム(通常のU15チーム)の選手が集まりはじめ、基礎練習へ向けて準備運動程度に各々が動いている状況だった。



結衣ゆい、調子はどうだ?」



 その中で、女子チームの中心選手にして騒動の発端ともなった(なってしまった)瀬崎せざき結衣ゆいは、誰とも連むことなく一人で柔軟体操をしていた。



「どうって……。別に何も変わらないけれど」



 一瞬耳をピクリと動かし瞳孔の開いた目を向けてきたが、すぐにいつも通りの、冷静でどこか他人行儀な口調になる。



「そうか。疲れが残っているなら休養したほうが……とも思ったんだが」


「あなたは何をしに来たの?」


「ん、いや。別に」



 俺は心配性なのだろう。


 昨日の試合を経て結衣を取り巻く環境に変化があったか、この目で確認しなければどうにも落ち着けなかった。


 しかしプライドの高い結衣に『心配して』なんて言うと、逆に怒られそうな気もする。



「なんだ。心配して来てくれたのかと思ったのに」



 ……あれ?


 案外、心配されたかったのか。


 こいつは自信家で勝ち気だけど、時々ものすごくネガティブになったりする。


 まあ昨日あれだけの試合を繰り広げたわけで、まだ疲労が抜けきっていないのだろう。疲れていると気持ちを持ち上げるのが難しくなるんだ。



「あー、うん。心配してだな」


「嘘臭い」


「本当だって」


「別に、どっちでもいいんですけどね」


「何なんだお前は」



 よくわからん。


 ついでに言えば、タメ口なのか敬語なのかもそろそろハッキリしてほしい。どっちでもいいから。



「男子チームに勝ったんだ。それも三年生のキャプテンまで参加させて。――もっと胸を張っても良いんじゃないか」


「別に。私一人で勝ったわけじゃないですし。……それより、折角いるなら手伝ってもらえないかしら。怪我人でも背中を押すぐらいできるわよね」


「ん? まあ、そりゃ構わないけど」



 言われて俺は、結衣の背中に触れた。


 怪我人……か。


『オーバートレーニング症候群』は蓄積疲労が抜けなくなり、体が思うように動かず頭は回らずメンタルはうつ状態。そうしてパフォーマンスが著しく低下する症状だ。俺の場合はそこに靱帯の損傷も加わったわけだが、靱帯に関しては順調に回復している。


 最近はうつっぽさも抜けてきた。彼女たちの試合を見て心に熱く滾るものを感じて、今は休んでいるけれど自分の中にはまだ滾るだけの熱が残っているのだと自信が持てるようになった。


 だからまあ、U15ガールズのおかげもあって回復は至極順調なわけで、背中を押すぐらいなんてことない。



 しかし――こうしてみると、改めて小さい。


 体格は女子選手の中で標準的。俺は男子選手の言う『ぶつかったら怖い』という気持ちも理解できる。


 だが逆の視点となって女子選手の立場になると、ぶつかったら怖いは『ぶつかられたら怖い』になるのだろう。


 この体躯で男子選手とガチな試合をして勝ちきったのだから、恐れ入る。



「いっ……も、もうちょっと軽く!」


「そんなに強かったか?」



 いきなりググイと押し込むわけにもいかないから、遠慮気味に押したんだけどな。



「じゃあ、ちょっと弱めに」


「いっ――ぅぅん――っ」



 あ、こいつ今、痛いって言いかけて飲み込んだ。



「……結衣。さてはお前、体硬いだろ」



 指摘すると、結衣は声を荒げた。



「チサと比べないでよ!? あの子の柔らかさは異常なんだから! ちゃんと骨が入ってるのか疑わしいぐらいよ!?」



 そこは疑ってやるな。人として。無脊椎動物じゃないんだから。


 だが、実際にプレーを見ているとチサの柔軟性にはとてつもないものを感じる。


 この二人は(チサが結衣に憧れ真似をしているから)プレースタイルが似ているけれど、細かく比較すると結構違うもんだ。


 例えば結衣のドリブルは機敏で、キュッキュッと鋭く、キレの良さで抜き去るタイプ。


 対するチサは狭いスペースでもヌルヌルと抜けていく細かさが武器だ。


 ヌルヌル……やっぱりタコみたいだな。念の為、家に帰ったら骨が入ってるか確認してみようか。



「比べてない――っていうか、チサのストレッチに付き合ったことはないよ。プレーが柔らかく見えても体は硬いってのも時々聞く話だし、実際にどれぐらい柔らかいのかまでは俺じゃわからん」


「一緒に住んでるのに?」


「一緒に住んでるからってストレッチまで一緒にやると思ってるのか? 一応その……女の子だからな。うちには心乃美もいるし、俺の出番はないよ」


「でも、折角あなたという手本がいるのに、チサが放っておくわけ……」


 言うとおり、放っておかれていないのは確かだ。


 チサは暇があれば庭でボールを蹴っているし、俺だってその姿を見れば体が疼く。負荷の軽い練習は二人でやることもある。


 ………………で、いつの間にか一対一で試合してる。真剣に。怪我のことを忘れて。アホなんだろうか俺。



「一応、自主練は一緒にやってるよ。ミニゲームとか……。あとは軽い筋トレの類いだな」


「……へえ。可愛いJCとストレッチなんて、滅多にない美味しいシチュエーションじゃないの? それを放置できるなんて、顔に似合わずしっかりしてるのね。ちょっと意外」


「お前は俺をどんな人間だと思ってるんだ。そして俺はどんな顔だ。大体、それを言うなら今のこれは何だ」



 まくし立てるように反論した。


 確かに女の子の背中に触る機会なんて滅多に……いや妹を除けば皆無だ。


 でもストレッチはあくまで練習の一環だろう。美味しいなんて思いながらやったら失礼だ。あと危ない。


 だが結衣は後ろを振り向いて、綺麗な瞳を潤ませた。



「美味しく…………ないの?」



 濡烏の髪が碧く煌めき、奥にある目はまるで宝石のようで、得も言われぬ魅力を含んでいる。



「…………その質問はズルいだろ」



 俺は視線を逸らして答えた。本当に、見つめ合うと吸い込まれてしまいそうなんだ。


 それに『美味しい』なんて答えたら『コーチのくせに選手を異性として見ている』みたいな文句を言われそうだし、サッカーにかかわっている時間に選手をそんな風に見るというのは本心から嫌だ。


 かと言ってハッキリ『美味しくない』なんて答えたら失礼極まりない。



「――ぷっ。ふふっ、冗談に決まってるでしょ」



 結衣は前を向き直して吹き出した。


 後ろから背中を押す俺が表情を伺うことはできないが、声は弾むように軽やかでボリュームも上がり、楽しそうに笑っていることは確信できる。



「でも、私は美味しいと思っているわよ。…………私ね、あなたに憧れてサッカーを続けていたの。矢野さんから聞いたんでしょ?」



 矢野さんは彼女が暮らす児童養護施設の職員だ。彼女にとっては母親代わり……なのだろうか。それとも寮母のような存在か。


 少なくとも、幼い頃から知っていて信頼がおける相手、ではあるだろう。



「ああ、聞いた。意外だったよ」


「遠く感じていた憧れの選手ひとが、海を渡ってもっと遠くなって…………二度と縁が無いかな、なんて思っていたら、いつの間にかこんなに近くにいる。――どう? 美味しいでしょ?」


「んー、憧れなんて言われると背中がむず痒いな」


「痒いなら爪を立てて思いっきり引掻いてあげるわよ?」


「血が出るわ!」



 こいつには一発叩かれたことがあるからな。本気でやりそうで怖い。



「あー、そういや背中って言えば……」



 それから俺は、女子チーム『FCレポロ アンダー15ガールズ』にでの背番号について、希望があるかを訊ねてみた。


 同じ背番号を二人の選手が同時に付けられない以上、全てが希望通りになるわけじゃない。守備陣から小さい番号を埋めていくセオリーにも則りたいと考えている。強制ではないから則る必要はないんだけど、そのほうが解りやすい。


 何より、背番号を決めるのは選手ではない。


 いくらチームの中心選手だからといって特別扱いはできないし、するつもりもない。



「やっぱり10番か?」



 だからこれは、単なる意志確認。


 このチームでエースナンバーの10を背負うなら彼女、瀬崎結衣に他ならないだろう。そこに異論を唱える選手は……チサと仲の良い一枝果林ぐらいか。


 いや、その一枝果林だってもう結衣の実力を認めている。


 つまりは満場一致だ。


 しかし彼女は俺の言葉を否定して、『12番』を指定した。


 決めるのは選手じゃない。


 それでも、十二人しかいないチームで十一人制を戦う、十二番の選手。その意味を理解した上で指定してきた彼女の意思は、尊重しなければならないと感じた。



 直後の混成チーム練習では結衣にいわれのない文句を言う男子選手は見受けられず、試合形式の練習でも以前より結衣がチームに溶け込めているように見えた。


 結衣にパスが回り、結衣がボールを持てば味方選手も動く。対面する相手も遠慮はしていない――。


 周囲が変わるだけではなく、男子選手に交ざって本気で勝負を挑む結衣自信にも心境の変化があったのかもしれない。だとすれば嬉しい限りだ。

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