地方大会編

プロローグ

第1話 いやらしい

 寺本テラモト千智チサト。愛称、チサ。

 うちに住み始めた中学一年生。あどけなさの残る無邪気で可愛らしい女の子。

 そんな彼女は、手の使いかたがうまい。

 端的に言えば『とてもいやらしい』。

 時に強く、時にソフトタッチで、こちらの状態を伺いながら緩急を付けてくるから油断がならない。油断してしまうと、この最高の一時ひとときが呆気なく終わってしまうだろう。そんな勿体ないことはできない。

 すでに三ラウンド目。相手は中学生、こっちは高校生。お互いに体力も回復力もあるとは思うけれど、一つ一つのラウンドが長時間に及ぶと三ラウンドか多くて五ラウンドぐらいが限界。

 小さな手で包むように握ってきたかと思えば急にグッと力を入れて、これ以上やると危険だぞ――と感じた瞬間、それを察知したのかパッと離す。こっちは延々と焦らされている気分だ。


「はぁっ――――はぁ! ……んっ!」


 俺と激しく攻守を入れ替えながら、荒れた呼吸を隠さず、時々苦しそうな吐息を漏らす。その上で絶妙な加減で年上の男をコントロールしてあくまで支配下に置こうとしてくるのだから、素晴らしい。

 だが俺にもプライドがある。年下のあどけない女の子に弄ばれるわけにはいかない。なんとか堪えて、抵抗を試みる――。

 しかし最近の彼女は、幼気な容姿から想像できないほどの『いやらしい手さばき』を身につけてしまい、ついに俺は…………このラウンドの負けを認めた。


「やたっ!」

「くっそ――。もう一回だ!」


 庭でサッカーのミニゲームをするのが日課になっているのだけど、ここ最近のチサは本当に上半身の使い方がうまくなった。

 足でボールを蹴るサッカーは下半身のスポーツだと思われがちだけど、実際のところ上半身の使い方というのが非常に重要だ。

 カテナチオと呼ばれる堅守が伝統のイタリアでは『サッカーは上半身のスポーツだ』とさえ言われているらしい。


 例えば、野球選手が速いボールを投げるために下半身からの連動を使うように。

 例えば、陸上短距離の選手が腕の振りを強くすることで加速するように。


 サッカーでも強いボールを蹴るためには対角の腕を広げるとか、逆に縮めるとか、人によって違いはあれど必ず上半身を連動させる。

 これはドリブルでも同様のことが言え、急加速や急停止、素早い切り返しに腕の振りは不可欠だ。

 しかし、ことドリブルとドリブルに対する守備では、野球や陸上と同じとは言い難くなる。そこには敵という存在があり、上半身の使い方は格闘技の要素をはらむ。

 相手の前に腕を置いて、ガードする。

 胸の中心を強引に押し込んだり、逆に腕でガードすると見せかけて相手の勢いをいなしたりして、バランスを崩させる。

 優れたドリブラーは総じて上半身の使い方が上手い。

 また、ユニフォームを手で掴むことは反則だが、守備側の選手は割と掴むことがある。攻撃優位の状況でファールの笛は鳴らない――というものを利用して、少しバランスを崩す『邪魔』の程度だったり、ここで簡単に抜かれたら終わるという場面でプレーを止めるために『警告覚悟』のプレーを選択することもあるんだ。

 その攻防は正に、ルールの中で凌ぎ合う格闘技バトルである。

 サッカーは『フィールドの格闘技』なんて呼ばれることもあり、実際に格闘技出身の世界的名プレイヤーもいるぐらいだ。テコンドーとか。

 王国ブラジルに至っては、武芸であるカポエイラとサッカーが切っても切れないほど深い関係を築いている。

 そして、そのバトルに長けた――特に相手の勢いを上手く利用してしまうタイプの選手は、尊敬の念を込めて『いやらしい選手』『いやらしい手の使い方』なんて言われたりする。

 決してエロい意味ではない。

 エロいドリブルという褒め言葉もあるけれど。


 ――――本当、サッカー界ってアホなのだろうか。


 チンチンにしてぬるぬる抜く、とかいう、もうサッカー知らなけりゃいかがわしい意味にしか聞こえねえよ!! っていう表現もあるしなあ……。正にチサのプレーがそれであって俺はぬるぬる抜かれちゃわないように抵抗してるわけだけど、なんかもう……ね。

 俺もサッカーに脳が漬かっている人間なので、本当は「チサ、今のはエロいぞ! 凄くいやらしい!」ぐらい言ってやりたいのだが(もちろん褒め言葉として)、チンチンでやらかしたわけで、そういう発言は最大限自重するようになった。


「はい、お兄ちゃん」


 一対一のミニゲーム『フットプロム』を終えて、スポーツタオルを心乃美から受け取った。この妹は基本見ているだけなんだが、とりあえず選手……というかチームの守備の要センターバックなわけで。たまには練習してほしい。

 見ると縁側にスポーツドリンクの入ったスクイズボトル(プラスチックの簡易水筒)が、二人分だけ用意されている。

 三人分用意してこない時点で、我が妹は最初から練習する気がないわけだ。


「チサちゃんもね」

「あ、ありがとうございますっ」


 チサも同じ柄のスポーツタオルを受け取って、満面の笑顔で汗を拭う。この子は本当にサッカーが好きだ。

 まだ体力はそれほどでもなく、今も息が切れている。加えて年齢以上に小さな体だ。力強さは感じられない。

 それでも柔軟性を生かした――剛柔でいう柔の特徴を最大限に生かしたプレーを身につけ始めている。相手の力を利用して自分の力に変えてしまう、本当にイヤらしいプレーだ。

 ここ最近は四ラウンドに一回ぐらい、普通にやられて点を取られるようになった。こちらの勝ちに終わってもかなり時間をかけないと勝てなくなってきていて、初めて対戦した日は二十回に一回だけだったのに――と思い返すと急激な成長を感じる。

 チサの先輩に当たる心乃美の目にもそれは明らかなようで、心乃美は目を細めて言った。


「いやー、最近はチサちゃんも点取れるようになってきたよね。手の使い方もエロいし、良い感じだよ」

「ってお前が言うのかよ!!」


 恐る恐るチサの顔に視線をやると、ものすごく困った表情で耳まで赤くしながら、小首を傾げていた。

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