2 家に帰ると、妹とJCがいる

第1話 家に帰ると、妹とJCがいる

「ただいまー」



 市営体育館での練習を終えて、一旦事務所へ行って用具の片付けや簡単な事務の手伝い。そのあと珍しく、親父と二人で家路についた。


 普段は飲み会と称したコーチ座談会で『サッカー論』に一花咲かせるか、居残って残務処理をしているかがほとんど。しかし今日はどちらでもなく俺を呼ぶと、そのまま車に乗せた。


 いつもと違う行動に微妙な怪しさと警戒心を抱くが、車移動は有り難いものだ。レポロの事務所と家はそう遠くは離れていないけれど、コーチの仕事は思っていたよりも疲れる。


 選手より早く練習場へ行き、選手達が帰ってから備品やコートの整備。簡単に――とは言え、練習の度に総括もしなければならない。親父や多湖コーチみたいな正規の従業員、更にはソフィという同い年の人間が事務仕事に取り組んでいる中「じゃ、お先に失礼しまーす♪」と言えるほど要領の良い性格でもない。



 とは言え、良いこともある。


 今までコーチの立場になんてなったことがなかった。だから気付かなかったけど、自分が練習をする裏でずっと誰かがこういう役割を果たしてくれていたんだな、と今ならわかる。


 お世話になってきた指導者や親父にはどれだけ感謝しても足りない。本当にありがたい。


 ……そういえばソフィは、帰宅後に撮影した動画をチェックすると言っていた。好きと言うだけあってやる気は人一倍あるみたいだ。負けてはいられないな。



「おっ、お帰りなさい!」


「おー、寺本てらもと。足は大丈夫か……………………って! なんで寺本がうちにいる!?」



 出迎えたのは妹の心乃美このみではなく、何故か寺本千智ちさとだった。


 それも練習着から、淡いピンク色のとても女の子っぽいパジャマに着替えている。



「今日から、お世話になるので……」


「――はい?」



 お世話って、なんの話だ。


 狐につままれたような気分でジッと寺本の顔を見ていると、寺本は恥ずかしそうに視線を逸らす。


 可愛いというか幼気というか。まあどっちも正解か。練習着じゃないプライベート感が心をくすぐってきて、落ち着かせてくれない。


 とは言えこれ以上ジッと見ていても困らせるだけだ、と悟った頃。後ろにいる親父がさも何事でもないという風に、いつもと全く変わらない調子で言った。



「千智の家、親父さんの転勤で県外に引っ越したんだ。ただ千智が『レポロでサッカーを続けたい』と言い張って、聞く耳を持ってくれなかったらしくてな。うちで預かることになった」


「いやいや、聞いてないよ?」


「言ってないからな。言ったらコーチ、引き受けなかったかもしれないだろ」


 このクソ親父。俺の感謝を返せ! っつーかこれ、絶対他のコーチ陣も知ってただろ。あー感謝して損したー。損したわー。この人たちに感謝する暇があるなら鼻でもほじってたほうがマシだったー。


 だいたい選手が同じ家に住むなら公平性とか色々考えないといけなかったから、本当に返事は変わっていたかもしれない。強引というか悪質じゃね? 随分昔の調子が戻ってきたというか、母さん亡くなって生き方変えたのかなとか心配してた俺がアホだった。とんでもない爆弾仕込んで黙ってスイッチ押させる人だったわ、うちの親父。


 ……しかし、あの大人しい寺本が聞く耳を持たなかった……ね。


 プレー中はともかく、それ以外では基本オドオドしているというか、あまり喋りもしないし、親元を離れてでも我を通すような子には見えないんだけど。

 そもそもなんでこの家?



「…………うーん? ちょっと話が飛んでて結局意味がわからないんだけど。なんでわざわざ、うちなんだ?」



 寺本との接点なんて、レポロ以外に無いように思える。



「千智の父親が俺の同級生でな。高校から大学まで一緒に戦った仲なんだよ」


「戦った……って、サッカーやってたってこと?」


「ああ。何度もポジションを争ったライバルだな。今じゃ完全に、ただの親友だ」



 昔を懐かしんでいるのか楽しげに語るけれど、そんな話は初耳だ。


 まあ、寺本のテクニカルなプレーを見ていると、親が経験者である可能性は薄々感じていた。チームの練習だけでは教えきれない技術を、プライベートな環境で叩き込まれているような印象がある。



「え……っと、寺本? 中学で親元を離れるってのは結構大変なことだと思うんだけど……。いいのか、それで」


「はっ、はい! だって、その……」



 口籠もって、もじもじと、いじらしい仕草を見せる。


 その姿はとっても可愛らしいけれど、取っている行動はかなり大胆だ。



「その……。そうしないと、瀬崎せざきさんと一緒に、サッカーができないから……」



 ――そういえば寺本は、瀬崎の背中を追いかけてサッカーしてるんだったか。


 それを瀬崎が疎ましく思っているようなのが可哀想ではあるけれど。


 ……にしても、それだけの理由で親元を離れたっていうのは、やっぱり幾分、理解し難いような気がする。


 寺本千智にとって瀬崎結衣ゆいとは一体、どういう存在なのだろうか。単純な憧れだけで、ここまでの行動が取れるのか……?



「あ、お帰りぃーっ」



 今度は寺本の後ろから、髪と体にタオルを巻いて如何にも風呂上がりスタイルの心乃美が現れた。裸にバスタオル巻なんて恰好で人前に出るな! こっちが恥ずかしい!



「なんで寺本が先に出迎えて、心乃美は呑気に風呂入ってるんだよ」


「たっぷり汗かいた後輩を置いて先にお風呂なんて、こーちゃんにはできないなあ。そこら辺、むしろ褒めてくれてもいーと思うんだけどーっ」



 心乃美は盛大に不満を滲ませた調子で言った。


 ……なるほど。それは一理あるな。


 後輩――というか客人を置いて、ってのは、あまり褒められたものじゃない。



「あー、偉い偉い」


「適当すぎぃ。――っていうか、本当は一緒に入ったんだけどね。ドライヤーが一つしか無いって言ったら、チサちゃんが先に出ちゃったんだよ。『私のほうが髪が短いから、すぐに乾きます!』って。全く、よくできた後輩だねえ」


「髪の長さ、同じぐらいに見えるけどな。よくできた後輩だ」



 言って寺本の顔を見ると、照れたのか、物凄く恥ずかしそうにしている。彼女の髪は赤味がかっていて頬を染める紅がやたらと馴染んだ。


 この子が今日からうちに――ねぇ。いきなりすぎて実感がないけれど、俺がここで変に『聞いてない』というのを強調すると、まるで承服できないかのように受け取られて寺本が居づらくなってしまうか。


 ただでさえ必要以上に畏まりそうだもんな。理解は及ばないけれど親を説得して自らの意志を貫こうとしているんだ。そんな中学生に必要以上の気を使わせちゃ悪い。原因は親父たちだけど!!


 驚きと心配が入り混じった感情で状況を受け入れていくと、不意に彼女が意外な言葉を紡いだ。



「あの……、コーチって、普段はそういう喋り方なんですね」



 誰だって時と場所に合わせて少しぐらい、口調や言葉選びは変わるだろう。家とグラウンド、それもコーチなんて立場じゃ、違って当然だ。ずっとコーチやってる時と同じ感じだと思われていたのだろうか……。



「そりゃま、コーチやってるときは俺だって緊張してるし」


「コーチが緊張……ですか?」



 あー、そうか。これぐらいの歳の頃って大人――と言っても俺はまだ大人ではないけれど――は、そう簡単に緊張しないとか、妙な幻想を抱いていることがあるような気がする。


 俺に至っては、大人がスーパーマンで高校生は準スーパーマンぐらいの位置づけだと思っていたし。実際は全然そんなことないんだけれど。


 ただ――。



「なあ寺本、家で『コーチ』はやめないか? なんというか、落ち着いて休める気がしないんだ」


「じゃあ……啓太けいたさん?」


「ん、それでいいよ。――俺は、なんて呼べばいいかな」



 親父は千智。心乃美はチサちゃん。誰も名字で呼んでいないのに俺だけが寺本って呼び続けるのも、何か違う気がする。うちに住むなら尚更だ。



「えと……。あっ、友達からはほとんど、チサって呼ばれています! 家でも、怒られるときだけチサトで、他は大体チサで……」



 ああ、怒られるときだけ愛称じゃなくなるの、あるよね。


 俺も小さい頃は『ケイちゃん』とか呼ばれてたけど、怒られるときは『ケイタッ!!』って。まあ、怒られてるのにケイちゃんじゃおかしいか。


 ちょっとだけ寺本の家庭が垣間見えたような気がして、面白い。



「んじゃ俺も、普段はチサで、怒る時だけチサトにするかな」


「えっ!? それは……」


「いや、冗談だよ」



 チサは本気で困った顔をしていた。どうやら冗談が通じづらいみたいだ。

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