第17話 空振り
帰り支度を済ませた選手の半分ぐらいが、保護者の迎えを待っている。
普段は徒歩や自転車で通う選手も、雨天では迎えを待つことが多い。
そういう事情もあって、やはり、保護者にとって手間の増える雨の日は参加率が悪いのだけれど、まさか全員参加とは――。
残念なことに、中学生になるとサッカーをやめる女子選手が増えてしまう。
特に三月までのこの地域のように活動の場がなければ、その傾向がより顕著になるであろうことは想像に難くない。このチームに一年生が二人しかいないことにも、そういう事情が絡んでいる可能性はある。
しかし二、三年生の殆どが、プロフィールシートを見る限り、三月まで男女混成チームに所属していた。
混成チームでレギュラーを掴める女子選手なんて、ほとんど存在しない。
試合にも出られないのに男子に交ざって練習をし続けるというのは、根気も根性も必要で、そんな環境下にあってサッカーを続けてきた彼女達の意気込みは生半可ではないのだろう。
実のところ、フットサルでの収穫を得る前から俺は、満足していた。
彼女達の気持ちやサッカー熱に触れられただけで、とんでもなく大きな収穫を得た気分だったんだ。
「そうだな。全員参加は嬉しかった――」
だが、喜んでばかりもいられない。
俺は一度綻んだ頬を引き締めて、続ける。
「でも、きっと、これからが大変なんだろう」
するとソフィは小首を傾げながら、不思議そうな顔を見せた。
「フットサルを見ていて思ったんだ。一人一人違う個性を持つ選手達を一つのチームに纏めるってのは、きっと簡単なことじゃないな……って。――ま、やり甲斐はありそうだけどな。こんな面倒くさいことを仕事にする監督やコーチ達の気持ちが、少しだけ解った気がするよ」
サッカーが好きで上手くなりたい気持ちに、男も女も関係ない。
そう気付けただけでグッと気が楽になるし、やる気も出る。
指導者の道も面白そうだ――とさえ、本気で思える。
「引き受けて良かったね、コーチ!」
不思議そうにしていた顔は笑顔に変わり、跳ねるような調子で言った。
そして体育館の出入り口で保護者を待つ選手達を一瞥して、続ける。
「チサトも、今日は大丈夫そうだった! 何度もアウトサイドで蹴ってたけど、痛そうな素振りは見せなかったし、問題ないよ!」
「――それに関しては、とりあえず最悪の事態は免れている……ってだけ、かな」
「……ん? どういうこと?」
跳ねたテンションを少し落ち着けて、今度はやや単調に疑問を投げかけてきた。
ソフィは頭が良いけれど、それで偉ぶったりはしないし、人に質問することも躊躇しない。そういうところが俺は好きだ。……人間的に。
「最悪の事態は、足の怪我が重かったり既にクセになっていたりすることだ。でも
実際、見ていたのは俺とソフィだけじゃない。親父や多湖コーチも同じ情報を共有して練習の様子を眺めていたが、特に思い当たるところは無かったそうだ。
二人は今、市営体育館の管理人さんと話し込んでいる。世間話か交渉か。何にせよ急に使わせてもらったし、これからも同じようなことはある。関係者と懇意にして悪いことはないだろう。
ソフィは俺の言葉を聞き終えて、もう一度訊いてくる。
「今日は?」
「……ああ。今日大丈夫だったことには、フットサル特有の理由があるかもしれないんだよ」
言い終えると俺は、長めの間を置いて、ソフィに考える時間を与えてみた。
普段は軽い調子だけれど、どうも考えるのが好きそうに見える。今も、わからなくてイライラするような素振りはない。
ソフィは軽く俯いて一考し、しばらく経ってからゆっくり口を開いた。
「ボールの違い……でも、重さは殆ど変わらないはず。じゃあ、フィールドの狭さ――? ……うん。パスの距離が必要ないから、負担も軽い!」
「確かに、サッカーと比べるとフィールドは狭い。でも、フットサルコートは縦に凡そ四十メートルあるんだ。力の入れづらいアウトサイドキックで届く距離なんて高が知れてるはずなんだけど、今日の寺本は下がったところからでもアウトサイドで蹴って、遠くまでパスを届けていただろ」
日本にあるフットサルコートの多くは、本来のものよりも小さい。
レポロも例外ではなく、俺が小学生だった頃にはこの市営体育館を、小さめのフットサルコートが二面収まるようにして使っていた。
しかし今日は女子チームだけで使うから、人数的に二面用意する必要がない。
折角だから――ということで、一面で使用して本格的なサイズに近付けたんだ。
そんな環境下、本来なら届かないと思えるような距離を苦も無く蹴れてしまう。
寺本千智は身長もなく、足も細めで、筋力に恵まれているようには見えない。
多分これがサッカーのグラウンドなら、アウトサイドキックで縦に長いグラウンダー(転がす)パスを届けることは、できなかっただろう。
「……そうね」
控えめの声で言うと、今度はちょっと深刻そうに、さっきより強く俯いた。どうやら考えた結果正解を得ないというのは、あまり好まないようだ。そりゃ誰でもそうか。トライアンドエラーが好きな人間はいてもエラーそのものが好きというのは奇特すぎる。
「正解は、これ」
ソフィが俯いた先にある俺の足元を、指差しながら言う。
そして『体育館の板張り床』を、足でトンッと軽く打ち鳴らした。
「――あっ」
「レポロのグラウンドは土。土は芝に比べればボールが転がりやすい。……でも、体育館の平坦な床に比べれば、随分と転がりづらいんだ」
転がりはパスの強さに大きく関係する。
つまるところ、板張りの床の上では、土のグラウンドより軽く蹴っても勢いよく相手へ届く。
浮き球でなければずっと軽い負担でボールを蹴れる――ということだ。
「そこまで違うの?」
「本当のフットサルコートは、ある程度転がりにくい床になってるんだけどな。日本の体育館ってのは大体どこでも、そういう加工はされてないんだ。だからめっちゃくちゃ転がる。――――なんなら、ちょっと蹴ってみるか? 体感するほうが理解しやすいと思うぞ」
練習が終わって一度大きな袋に収めた大量のボールから、適当に一つを取り出す。
そのままソフィの足元へと転がした。
俺は後ろへ歩き、フットサルコートの縦半分程度、二十メートル弱ぐらいの距離を置く。
初心者のソフィには二十メートルがものすごく遠く感じるだろうけれど、ボールの転がりやすさを体感してもらうには、これぐらい離れたほうがわかりやすい。
「そこからパスしてくれ」
声に出して要求した。
しかしソフィは妙なぐらい難しそうな表情をして、サッカーボールをジィ――ッと凝視している。
「い……行くぞね!」
「どんな日本語だ」
気合いを入れると、そのままゆっくり五歩ほど下がって、助走を付ける。
そのままトンッと蹴れば届くんだけれど……。
これは、嫌な予感がするな。
「ボールを見――――てっ!」
こちらまで聞こえる声で、まるでフリーキックを蹴るかの如く勢いを付けた。
が――、嫌な予感は的中してしまう。
ソフィは豪快に空振って左足を腰の高さまで振り上げた。そのまま一度停止し、続けて振り下げたところでボールを踏んでしまい、バランスを崩して後ろに倒れる。
――――ゴーン、と、ボーリング球を落としたような重たい音が、体育館の中で強く侘しく木霊した。
……間違いなく、頭を打ったな。
「だ、大丈夫……か?」
本気でヤバそうな音だったぞ。
ソフィは問い掛けに答えず、後頭部を抑えながら上半身を起こす。駆けつけた俺を不思議そうに見上げて『何が起きたの?』という風に辺りを見た。
「目眩とかしてないか。頭打ったの、覚えてるか?」
「ん……大丈夫」
「変に頭が痛いとか……」
「平気だよ」
視点は定まっている。日本語を話していても呂律はおかしくない。
「立てるか?」
手を差し伸べると、ソフィはその手をしっかりと握り、ゆっくり立ち上がった。
「ちょっと歩いてみろ」
「心配しすぎだよ」
歩行のふらつきもない。しかし後頭部に関しては、心配のしすぎなんてものはないんだ。
「何か症状があったら、すぐに病院へ行くんだぞ。日本で病院に行くのが不安だったら、夜中でも、俺に連絡してきていいからな」
「うん」
答えた後、恥ずかしそうに笑う姿を見て、ようやく少しだけホッとした。
「…………にしても、ひょっとしてソフィってサッカー経験がないどころか…………運動そのものが苦手……なのか?」
あれだけ気合いを入れて、止まっているボールを空振る。
そもそも大振りする必要はない――なんてこと、本格的なサッカー経験が無くてもわかりそうなものだ。
「うっ……運動音痴だってことは、自覚してるね!」
ああ、やっぱり……。
しかしここまで酷い運動音痴はテレビぐらいでしか見たことがない。あれだって、ああやって笑いを取ることでお金を頂く仕事で、ちょっと大袈裟に盛っているのだろうと思っていた。
だが少なくともソフィの場合は、全身全霊をかけた結果が空振りだったと断言できる。
真剣さは痛いほど伝わってくるし、間違っても笑いなど取りに行っていない。むしろ全く笑えない結果だった。
「じゃあ、も――っ、もう一度……っ!」
「ちょっ、ちょぉ、待て! べ、別の方法でやろう!」
再度気合いを入れ直したソフィを慌てて制止する。
轟音が木霊する悲劇を繰り返すのは、いくら何でもマズい。チラリと見ると管理人さん、親父、多湖コーチの三人が選手を見るより心配そうにこっちを見ている。
俺は今日ほどサッカーを危険な競技だと思ったことは、ないかもしれない。
いや、厳密にはフットサルか。土や草なら多少クッション性がある。大丈――大丈夫なわけないな。どっちにせよ危ない。
「一旦、壁のほうに行こうか」
俺はソフィの前にあるボールをひょいと拾い上げて、壁へ向かう。
ソフィは俺の後ろを付いて歩くが、一瞬振り返ると、さっきの笑顔が嘘のように泣きだしそうな顔になっていた。強がってるけど、痛かったんだろうな……。
壁から五メートルほどの地点で立ち止まり、ソフィの前にボールをセットする。
「ここから壁に向かって、蹴ってみよう」
明確な終着点があるほうが感覚を掴みやすいんじゃないか――と考えた。
転がりやすさの体感とは目的が違ってきているけれど、失敗で終わらせるより、少しでも感覚を掴んで成功体験で終えたほうがいい。
しかしソフィは、何故か不機嫌そうにしている。
簡単すぎて、バカにされたように感じたのだろうか。
「そんなことをしたら、跳ね返ってくるね」
「…………え? いや、だから蹴ったボールが跳ね返ってき…………えっ? 何が問題?」
「ケイタはバカなのか!? ボールを蹴る、壁に当たる、跳ね返ってくる。――それを私にどうしろと!?」
「止めてくれ! できなかったら後ろにスルーしてもいいから! なんなら手を使っても構わないから!」
「私の運動音痴を舐めないでほしい!」
おい。これでもまだ舐めてるというのか。
「……わかったよ。跳ね返ったボールは俺が止めてやるから」
彼女には本能とか、咄嗟に体が動くとか、人がやっているのを見ていたら真似事ぐらいはできるとか、そういうのがないのだろうか。
サッカー選手は腐るほど見てきただろうに。それも世界トップクラスの。
「……ありがと。ケイタは優しいね」
「そりゃどうも」
むしろ、ボールを壁に向けて蹴るというたったそれだけで、よくここまで優しくさせたものだと思う。幼稚園児でももうちょっと心配しなくて済むぞ。
「助走は、しなくていいからな」
「わかってるよ」
言葉ではそう言ったし、実際に助走を付けようとはしていない。
だけど今度は、何故か上半身をカチコチに固めて、ぎこちない動きになった。
「い、行くぞね」
…………やっぱり、嫌な予感がする。
俺は思わず後退って、万が一また転んでもすぐに受け止められる位置へ移動した。
だがソフィは、今度は確実にトンッ――と『左足』をボールに当てる。
そういえばさっきも左足で蹴ろうとしていたし、どうやら左利きのようだ。
選手としてサッカーをプレーするなら、左利きというだけで天から一つ才能を授かったようなものだけど……勿体ないなあ。
ピッチは左右対称で、ゴールは真ん中にある。だから簡単に言えば『右利きと左利きお互いが得意とするプレーは同数ある』――と考えて良い。
しかし左利きは右利きに比べると圧倒的に少ない。プロの試合でも、十一人いるスタメンの中に一人もいない、ということすらある。
そこに希少価値が生まれるのだ。
俺だって、左利きだったら――。
羨ましい才能を盛大に無駄遣いするソフィは、
「やっ――」
上手くボールを壁に当てて振り向き、両手を上げて歓を極めた表情を覗かせた。そこまで喜ばれると、こっちまで嬉しくなる。
けれども、正面を向き直すと、
「うぅ、わわわっ、わわ――あっ!」
俺は跳ね返ってきたボールを止め忘れていた。
ボールにどう対処して良いかわからないのか、ソフィは手足をバタバタさせて再びボールを踏んでしまい――。
「……ケイタ……約束守らないのはダメだよ」
「ご、ごめん」
再び後頭部を打ち付けそうになったところを、必死になって抱き留めた。
「優しいから許すね」
彼女にはまず、受け身から教えるべきだったかもしれない。柔道の指導者……どこかにいないかな。
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