第9話 混成チームと女子チーム

「…………、って――どういう意味?」



 瀬崎はドスの効いた声で、ハッキリと俺に向けて言った。



「その言い方だとまるで、いつか男子に勝てなくなる…………って、聞こえるんだけど?」



 ――まずい。完全に失言した。


 この時期の女子選手にとって、フィジカルで男子に追い抜かれ突き放されるということは極めて繊細な問題だろう。


 特に技術が高ければ高いほど……。


 人一倍の練習量や持ち前のセンスで身に付けた技術が、成長というたったそれだけの誰にでも訪れるもので、否定されてしまう。


 そんなの、はいそうですか――なんて、簡単に受け入れられるわけがない。平均身長に届かない俺は男子同士での成長差すら、中々受け入れられていないというのに――。



「ごめん! そういう意味じゃ……っ」



 俺はパンと手を合わせて謝った。


 ……でも、『そういう意味じゃない』……なんて。本当にそう言えるだろうか。

 本心から弁解できるのか?


 俺は心のどこかで、彼女達はいずれ男子選手に引き離され一緒にサッカーをすることが難しくなるということを、避けようのない現実として考えていたんじゃないだろうか。


 それがつい、言葉に現れてしまった…………かもしれない。


 なら弁解したところで、嘘になってしまう。


 もちろん嘘が必要なこともあるだろうけれど、俺はそんなに器用な嘘を吐けるほうじゃない。今日初めて会った瀬崎結衣に対して、今が嘘の使いどころかなんて……わからない。



「――ふんっ。難しい顔しちゃって。別に否定しなくたっていいわ。慣れてるもの」



 瀬崎はそっぽを向いて、声のトーンを少しだけ落とす。


 俺は申し訳ない気分になった。失言は元より、元男子中学生として。


 彼女から見れば。いや、性別差による成長の違いに悩む多くの女子選手から見ればきっと、男に生まれた俺はそれだけで遙かに恵まれているのだから。



「実際、この一年でちょっとずつ理解してきた。男子はどんどん背が伸びて声も変わって、筋肉だって付いてる。――それなのに私は、胸は膨らむわ筋肉は付かないわ身長は伸びないわ…………散々よ」



 んー、現時点では言うほど膨らんでなさそうだよ?


 ――なんてうっかり言葉にしたら、セクハラとロリコンの合わせ技で社会的に殺されるんだろうな。女子選手のコーチ、リスク高すぎる気がする。


 親父や親父と同年代のコーチ達じゃ、うっかり思ったままを口にしてセクハラ発言をしてしまいそうだ。あの人達、酒が入ると発言がヤバいからな。普段全く思いもしないことが酒を理由に口に出るなんて、無いと思うし。



 ただ、ちょっと瀬崎が自虐気味になっている気がしたから、俺はせめて――と謝罪の意味を込めて話の矛先を瀬崎からずらそうとした。



「寺本は、両方に所属しないのか?」


 彼女は瀬崎に憧れて――と言った。ならば同じように、彼女も両方のチームに所属していたって不思議じゃない。そのほうが憧れにより近付けるように思う。

 しかし寺本から返ってきた言葉は、少し意外なものだった。



「私は――、その……。お父さんが、『女子チームがあるならそっちに専念しなさい』――って……」



 彼女ほどの実力があるならば、親御さんも『男子に混ざって練習したほうが上手くなる!』という前のめりな感じなのかなと思った。


 けれど、どうやら違うようだ。


 小学生から並外れた技術を身に付けている選手の親は、我が子を崖の下に落とす覚悟の熱血コーチタイプが多いように思う。


 しかし少なくとも寺本家の父親というのは、そうではないらしい。



「チサトのパパは、きちんと現実を見ているということだよ!」



 ……またソフィが空気を読まない発言をする。


 更に寺本の父親が下した判断に対して、感心感心、という風に頷いてまでいる。もうやだこの人……。



「あの、ソフィ? そういうのはもうちょっと、オブラートに包んだりしたほうが……」


「これでも柔らかく言っているつもりだけど、足りないの?」



 そんなことを淀みなく訊かれても、どう返答して良いやら……。


 ――ああ、寺本がただでさえ小さい体をもっと縮ませちゃった。


 まあ、真っ向から否定できないということは、つまるところ俺も、多分寺本も、ソフィの発言を一つの正論だと認めている……ってことだろうけど。



「チサには、そのほうが無難よ」



 俺が困り果てていると、瀬崎が先輩風を吹かせるような調子で言った。これじゃ集中砲火だ。



「確かに男子と一緒にプレーしたほうが、周りのレベルは高くなる。より高いレベルに身を置けるわ。でも…………」



 しかし突然、瀬崎は口籠もった。


 今日初めて会った仲でも理解出来てしまうほど明確に、勝ち気で遠慮のない性格の彼女が、そうなる。ということは余程言いにくいことなのか――と、俺は頭の中の八割ぐらいがサッカーで構築された脳をぐるぐるとフル回転させた。


 瀬崎と寺本を交互に見て、続き、彼女が口籠もった言葉を考える。



「――あ。…………寺本、今の身長はどれぐらいある?」



 思いついて少し躊躇したけれど、これは必要な情報を得るためだ。


 俺は瀬崎から話のバトンを受け継いで寺本へ渡した。



「……百四十二センチ、です」



 見たところ瀬崎は百五十五センチ程度か、それ以上あるだろう。


 紅白戦を見る限りではプレースタイルが酷似していた二人だが、体格差は生まれが一年異なる違いに収まっていない。



「チサト、誕生月はいつ?」



 今度はソフィが問う。そしてこの問いには同意したい。


 成長を考える場合には、学年だけでなく誕生月まで突き詰めたほうが好ましい。



「五月です……」



 消え入るように言った寺本もきっと、その意味を理解している。



「そう……。三月なら、少しは違ったけれど――」



 例えばこれが三月であれば、将来の見込み身長が数センチ変わることになるわけだ。


 ひょっとしたらたったの一センチかもしれない。しかし五センチかもしれない。その数センチは、高さを活かした空中戦だけでなく全てに影響を及ぼす。


 もちろん身長が低いことは重心の低さにもつながり、小回りも利きやすく、決して短所だけとは言えない。


 先の話題に出たリオネル・メッシの身長は、日本人男性の平均にすら届いていないんだ。つまり日本中に散らばるそこら辺のオジサンや高校生に紛れて違和感なく消えてしまうような身長でも、世界最高の舞台で戦うことができる。


 なんならメッシより身長の低いプロ選手も沢山いる。


 但しそれは、天性のセンスや強靱な足腰があればこそ――。センスはともかくとして寺本の足は見るからに細く、現時点では要件を満たせていないだろう。


 どう言い伝えればいいか、それとも言葉を濁すべきか。


 悩んでいると、ソフィが少し調子を下げて言葉を口にした。



「さすがにこれは言い辛いけれど……。十二歳の女の子が成人までに伸びる身長は、平均で六センチ程度だよ。その上、チサトはあと一ヶ月で十三歳になる。筋肉の付き方も違うから……。怪我のリスクを考えたら、中学で男子選手と戦うのは、やっぱり難しいよ」



 ……どうもソフィは、こういう細かい話に詳しそうだ。学校での成績は良かったし、日本語も流暢。頭が良いのは確実だろう。


 そういえば一緒に受けた授業で、男女の成長曲線が描かれたグラフを見せられた覚えがある。俺は詳細まで覚えていないけれど、ひょっとしてソフィは、グラフを丸ごと覚えているのだろうか。


 折角だから、その知識を試すように訊ねてみる。



「ちなみに百四十二センチって、平均身長だと何歳ぐらいだ?」


「日本人はわからないけれど、イギリスなら十歳ぐらい。日本とは平均身長が違うけれど、でも多分、日本でも十一歳とかそれぐらいだと思うよ」



 記憶力凄いな。


 しかしまあ、中々希望の見えない話だ。


 俺は頭を掻いて、仕方ない――と慎重に言葉を選ぶ。



「将来を考えると、ちょっと厳しいかな……。現時点だけで言えば、男子でももっと身長の低い選手はいるはずだけど……。基本的にそいつらは『今後ある程度伸びる』っていう前提があるんだ。仮に伸びなくたって筋肉の付き方は、明らかに男子と女子で違うし」



 中学生時代に一際小柄だった選手が、プロ入りする頃には平均程度かそれ以上に伸びている。そして活躍し、クラブチームを代表するスター選手になる。


 そういうことは別に、世界へ目を向けなくたって、日本のJリーグでもある話だ。



「寺本の場合は今が足りないことよりも、これからまだまだ離されてしまうってのが問題だ。正直に言って、男子同士でも体格差のある選手同士がぶつかるのは怖いものがある。女の子にはお奨めできない――――と、俺も思う」



 あまり言いたくはないけれど隠せるものでもなく、口に出した。


 当然、今後の成長がどうなるかはわからない。急激に伸びる可能性も幾らかはあるだろう。


 更に言えば、男子選手の激しさの中で、劣るフィジカルを補うために技術が向上する可能性だってある。筋肉の付き方は性別に加えて個人差があって、男子選手に交ざっても戦えるほど足腰の強い選手になれる可能性も否定は出来ない。



 それでもやはり、確率で考えれば難しいし、何より――怖い。



「……あの……、私は別に、女子サッカーだけで……それで良いんですけれど……」


「――――え?」



 あれ? そういえば寺本本人の意思を訊いていなかった気が――。



「身長が低いことは、自覚していますし……」



 少し重苦しそうに、寺本は言葉を口にした。


 次いで瀬崎結衣がため息混じりに言う。



「はぁ……。この子ね、これでも伸びたほうなの。昔はもっと低かったんだから。二つどころか、三つ下に見えるぐらい」



 今の寺本を見ると、ソフィが「日本人なら十一歳ぐらい」と答えたように、精々年齢より一つ下程度に見える。


 さすがに三つ下とまでは言えない。だって、それじゃ九歳だ。いくらなんでもそれはない。


 でもそういう風に瀬崎が言うなら、ここ最近でかなりの勢いで伸びた……ということだろう。



 しかしこれは、ポジティブな話ではない。


 成長期というのは人それぞれタイミングが違って、『寺本には成長期がまだ訪れていないから今から伸びる』という可能性もあった。最近グンと伸びたというのは『今が成長期』という意味を持ち、可能性を否定する要素でしかない。


 それでも、瀬崎の言葉を受けた寺本は少しだけ表情を明るくした。



「そのっ、今の私は、瀬崎さんと一緒にプレーできれば……。瀬崎さんは、私に足りないもの、全て持っていますから。――今の私にはそれで、十分すぎるんです」



 おどおどとした調子ではあるが、言葉としてはハッキリ言い切った。


 ――なるほどね。


 本人が満足なら、今の環境で問題ないだろう。それは女子チームができたからこそと言えるわけで、寺本にとってはその時点でもう、問題は解決していたわけだ。


 めでたしめでたし。あれこれ考えたのは取り越し苦労だった。



 だが軽く安堵した瞬間、ほとんど間を置かずに瀬崎結衣が声を荒げる。



「ね! こういうところがムカつくのよ! ね! わかるわよね!?」



 あー、……なるほど。


 ――俺は暗い空を見上げて、薄ぼけた三日月を眺める。


 今の得心した表情を瀬崎や寺本に見られるのは、あまり好ましくないだろう。気持ちは解るよ――なんて口に出して同意するわけにもいかない。


 けれど、これじゃ俺としても苦笑いしかできないな。


 だってそれ、男子に混ざって頑張っている瀬崎に対して、寺本は『瀬崎さんと一緒に女子チームでプレーしているだけで、十分追いつける』と思っているってことだ。


 厳密には追いつけるなんて一言も言っていないけれど、そこは憧れているという言葉とプレーで証明してしまっている。瀬崎と寺本のプレースタイルは似すぎるほど似て、技術的な差はそう大きくなさそうだった。


 一瞬の判断力、足元のスキル、広い視野……。どれも一朝一夕で身につくものじゃない。


 だからこそ、瀬崎は苛つくのだろう。



 現時点では瀬崎のほうが、殆ど全てにおいて紙一重か二重の差で上手いように見える。


 コンディションは毎日変わるからまだ確定ではないけれど、多分、瀬崎のほうが上だろう。寺本のプレーは瀬崎に比べるとどこかぎこちない。憧れて真似をして、幸運にもコピーするだけのセンスを持ってはいたけれど、まだまだ贋作。自分のプレーにはなっていない印象だ。


 しかし一年後を考えると、本当に追いついている可能性がある。


 もしくは一年前の瀬崎より今の寺本のほうが上手いか。



「終わりましたよ」



 二人の関係性が少しだけ紐解けたところで、突然後ろから呼ばれ、慌てて振り返る。


 そこには俺より背の高い手島和歌と、綺麗にブラシ掛けされた跡の残る土グラウンドがあった。



「………………あの……本当にごめん」


「sorry. 失念していたよ……」



 グラウンドと備品の整備をするために残っていたことを、俺とソフィはすっかり忘れてしまっていた。

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