第8話 神様は子沢山
練習が終わると、選手達が徒歩や自転車、車による親御さんの迎えなど様々な手段で家路についた。
なんだか選手として練習するよりもグッと疲れたような気がする。慣れの問題だろうか。
しかしコーチの仕事は、まだ続く。
グラウンドをブラシ(トンボの先にブラシが付いたもの)で馴らし、ボールやマーカーコーン、三角コーンなどの備品を整備する。
そして練習で気付いた点の総括――。
レポロの方針で、
『選手の仕事は練習をすること』
『指導者の仕事は練習をさせること』
と決まっているため、選手には――スパイクなど自分の道具をしっかり管理するようには言うが――グラウンド整備などは、あまりさせていない。
もちろん自発的に手伝う選手もいるし、俺だって監督の息子という立場的なものがあるとはいえ、ここで選手をやっていた頃にはその一人だった。
…………ただ、なあ。
「えっと……瀬崎? そんな不機嫌そうに手伝われても、困ってしまうんだけど……」
残って手伝ってくれているのが、『前のほうならどこでもできます』で衝突した二年生の
そしてゴールキーパーの三年生、
瀬崎は終始ツンツンしているし、寺本はプレーの大胆さが嘘のようにおどおどと自信なさげにしている。その姿がまた瀬崎を苛つかせているようで、寺本は更に萎縮する。
ああ悪循環。終わりのない永遠ループ。理髪店の看板みたいだ。どうするんだよこれ。まさか電源抜くわけにもいかないし。
コーチって人間関係の整理までしないといけないの?
そして手島和歌はというと、ブラシを片手に母性本能を固めたような笑顔でそれを見守っている。
今にも食って掛かりそうな瀬崎結衣と、簡単に食われちゃいそうな寺本千智。肉食動物と草食動物みたいだ。そうなると差し詰め俺は…………草? 彼女たちが育つ養分となれるのはコーチなら喜ぶべきことだけど、養分が草→草食動物→肉食動物の流れじゃ寺本やっぱり食われちゃう。ちっさいし柔らかそうだし、さぞ食べやすくて美味しかろう。
この状況を優しく見守れる手島和歌は、きっと、前世が菩薩かなにかだ。ゴールキーパーだからできれば鉄壁の千手観音菩薩であってほしい。菩薩って輪廻転生するのかな……。
「ユイもチサトも、守備はド下手だったね!」
しかしまあ、彼女らを差し置いて一番の問題
彼女は練習と試合をずっとスマホで撮影し続けていた。
持ちやすくするためか短い棒みたいなのをくっつけて、それがどう見ても電子的に動く。デジタルガジェット呼ばれる類いだろうか? ちょっと本格的な感じだ。
だからひょっとしたら、俺よりもよく練習を見ていたと言えるのかもしれない。
けれど……。
遠慮とか、そういうものはないのだろうか。
「なんか言った!?」
瀬崎が噛み付きそうな勢いで応じる。やっぱこの子肉食系だわ。
しかしながら、そりゃまあ瀬崎ほどレベルの高い選手が経験のない人間に上から目線でそんなことを言われたら、カチンともくるだろう。
実際のところ瀬崎の技術レベルはとんでもなく高次元。一目見てわかるぐらいの上手さ。攻撃に関しては本当になんでもできそうで、きっとチームの中心選手の座を争うことになるだろう。――寺本千智と。
はぁ……。どうしようかなあ、この二人。どうすればいいのかなあ。
「私は事実を述べたまでだよ! 劣っている点を知ることも、成長だと思うよ!」
ソフィ、言っていることは正しいけれど言い方は間違ってるよ、多分。
日本語の使い方とかいう問題じゃなくて、立場とか関係性、信頼の有無とか、そういうところで。特に日本は遠慮の国だからなぁ。
飲み会で注文された唐揚げが最後の一個になると誰も手を付けないんだ。親父が座談会と称したサッカー仲間やコーチ達との飲み会を開いて、サッカーの話が聞けるならと俺も何回か同席させてもらったわけだけど、そうして残った最後の一個を毎回『啓太くん食べなよ』と言われる。そして俺はお腹いっぱいでも断れずに食べてしまう。これが日本の遠慮である。……いや俺のはノーと言えてないだけか。
「守備がド下手なんて、今までサッカーやってきて一度も言われたことないわよ!」
んー、確かに下手とは言えない。むしろ、そこそこできるほうだろう。サッカーは
それでも、ソフィの目には下手に見えてしまった。
最大の原因は瀬崎と寺本が別チームに分かれてしまったこと……かもしれない。
つまるところ瀬崎の相手は寺本であり、寺本の相手は瀬崎だった。彼女達はそこそこの盾を手に、最強クラスの矛と矛を突き合ったのである。鉄の鎧
それに点の奪い合いになると守備意識は下がるからなあ……。攻撃のために守備が疎かになるというのは、特にソフィの生まれ育ったイングランドで好まれないプレーだ。
「現代サッカーに守備の必要がないポジションなんて一つもないね! 前のほうならどこでもできるなんて、ちゃんと守備をやってから言う言葉だよ!」
だからさ、ソフィ? ソフィが正論を振りかざすほど瀬崎はキレると思うよ?
ただ、思っていたよりもソフィはサッカーの知識が豊富そうだ。オーナーの娘だし、幼い頃から『本物』を見続けたことで眼力も鍛えられているだろう。
だからこそ自信満々に言い放てる。
でもなぁ。言われる人、上手いとはいえ
「メッシは守備しないじゃない!」
おっと。ついに瀬崎から『守備をしたくない人のド定番』と言える文句が出てしまった。
――リオネル・メッシ。神の子と評されてローマ法王が「違うから! 神の子はキリストだからぁぁぁっ!」と言ってしまうほどの天才だ。ペレ(神と評される)はどうなる。
世間じゃサッカーのルールは知らなくてもメッシの名は知っているという人も多いはず。
彼は天才であると同時に、高い得点能力を最大限発揮するために時に守備を放棄……というか、免除されていることでも有名だ。
守備で体力を使うよりも攻撃に全力を発揮してくれるほうが、チームにとって好ましいということだろう。
ただ……、
「メッシは守備も上手いよ? できないとやらないは、全く違う!」
時折見せるボール奪取も卓越したものがあり、所属するラ・リーガ(スペイン一部リーグ)のFCバルセロナでは、監督が『メッシは守備も天才だ』というような発言をしたことがある。
……というか、あんなに上手いのに守備だけ下手なんて、ありえない。
「そんなことも解らないね? ユイはもっと上手くなれるのに、勿体ないよ!」
ソフィは本気で瀬崎のことを想いながら遠慮なく追い詰めていく。
自覚なさそうなところが一番、
俺はようやく二人の会話に口を挟む。
「なあ、ソフィ。サッカー見るの好きなのか?」
「当たり前! 私が小さい頃から『チームの皆は家族だ』って、パパがいつも言ってるよ。頑張って練習してる姿を見てたら、自然と応援にも力が入るし! ネットとかテレビの中継も沢山見るけど――。でも、スタジアムに行くのが一番好き!」
小さい頃から練習も試合も見ている――か。なるほどなあ。
サッカー経験はなくてもすぐに鳥かごを指導できて、適切な声かけもできる。本当に俺より遙かにコーチらしく振る舞えていた。
よく考えてみると、ソフィにとってサッカーとは何も特別じゃなくて、当たり前のように身近に存在するものなのかもしれない。
そもそもサッカーが好きじゃないと、コーチなんて頼まれても、引き受けないだろう。
ただそれを、この場で瀬崎に理解してもらう方法が、ない。
俺はイギリスの学校で一緒だったからそこそこ理解できているだけの話で、そういうのは本来、時間をかけて理解し合うものだ。
ここにきて俺はようやく本気になって、ソフィを止める決意をした。
やっぱり、このままソフィと瀬崎が言い争いを続けるのは、今後の信頼関係構築に致命的なヒビを入れることになりかねないと思う。
だが――。
俺が間に入ろうとした瞬間、ずっと黙っていた寺本千智が突然声を発した。
「あ……あのっ! 瀬崎さんは守備も上手い……です! だって、私は、瀬崎さんに憧れて……っ」
――ん? ちょっと今、重要な発言があったぞ。
「憧れて――って。じゃあ瀬崎と寺本は、小学生の頃は一緒に?」
確認のために問う。しかし寺本は固まってしまって、代わりに瀬崎が答えた。
「一緒にプレーしたことは、あまりないわ。私は飛び級で一つ二つ上の学年と練習していたし、チサもそう。だから年齢の分ちゃんとズレ続けてた。……ま、男子にビビって中学の練習に混ざらなかったことには、ちょっとガッカリしたけれど」
チサ……。ああ、寺本千智だから、チサか。
見知っているというか、そんな風に呼ぶ程度には仲が良いんだな。ちょっと安心した。
「瀬崎は、去年まで男子と?」
「去年まで? 私は今でも、ここで男子と一緒に練習しているわ。女子チームができるって言うからこっちにも参加してるだけよ」
……なるほど。これは女子選手の特権と言える。
厳密に言えば『男子チーム』というものは存在しない。あれはあくまで男女混成のチームだ。
だから女子選手であれば、混成チームと女子チームの両方に在籍することが可能となる。
但し、逆は不可。こっちは確たる『女子チーム』。
「確かに、あれだけ上手けりゃ今はまだ男子相手でも……まあ、なんとかなるか」
そういや俺、中学生は基礎練習さえ見てないんだよな。
呑気にそんなことを考えていた俺は、まだ自分の失言に気付いていなかった。
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