U15ガールズ!

本山葵

立ち上げ編

プロローグ

 男子高校生が女子中学生の集団へ向かって「チンチン」と言い放った。晴天の下で堂々と。


 それで無罪放免。なんのお咎めもなく許容されてしまうのは、きっと、その女子中学生達がサッカーをしている場合だけだろう。


 ちなみにチンチンとは、サッカーにおいて『手も足も出ない』というような意味合いで使われる言葉だ。


 誰が使い始めたんだか。


 それで定着したサッカー界もどうかと思うけれど。


 悪意でもあったんじゃないのか?


 だがチンチンなんてのはかわいいものだ。




『エロいテクニックでチンチンにしてヌルヌル抜く』




 こうなればもうサッカー好きでなければ解読できない。というかサッカー好きでも一見して『ほほう、これはサッカー用語』って気付けないと思う。




「もうバテたのか? 俺一人を相手に三人がかりで、それもお前達は代わる代わる休んでの結果だ。俺だって疲れないわけじゃない。無尽蔵に動ける人間なんていないんだ。それでも俺からボールを奪えたのはたったの四人。相手が男、女子はフィジカルで劣っているから仕方ない――なんて言い訳は、通用しないからな」




 思うに『女子中学生』というものは、非常に中途半端な時期の少女を指す名称だ。


 調べてみると女性の成長ホルモンは十一歳の頃に最も多く生み出され、このタイミングで身体成長率がピークを迎えるらしい。


 最近まで男子中学生の時期を過ごしていた身として考えると、成長が小学生の間にピークを迎えるというのはどうにも違和感がある。


 男子達がバカみたいに子供として、男子小学生として過ごしていた頃。彼女達は既に体が成熟へ向けて急成長していたのだ。


 逆に馴染みのあるほう。というか俺自身が目下その最中なのだけれど、男子の成長ホルモンは十二~十五歳の頃に最も多く産出される。


 中学生から高校一年生辺りまでの期間だ。


 この間に男子はぐんぐん背が伸びて筋肉も付き、著しく体力が向上する。


 小学校の鉄棒がやたらと小さく見えたり、グラウンドを狭く感じたり、母親の身長を追い越したり、とにかく世界が変わる。




 この時期にスポーツにおける男女の性別差が生まれ、実力と結果に表れてしまう。


 彼女達は小学生まで、男子と一緒でも見劣りしないプレーができていたのに――。


 そう思うと成長や男女差というものは、残酷で理不尽極まりないように感じる。


 しかし、




「――女子選手でも、いや、女子選手だからこそ基礎体力は必要なんだ。フィールドのサイズもボールの重さも大きさも、男子と変わらないんだからな」




 俺は目の前にいる十二人の女子中学生へ向かって、あえて厳しい調子で言った。


 彼女達は俺の親父が監督を務める地域少年クラブチーム『FCレポロ』に所属する女子選手だ。


 同じ中学に通っている者も多い。ここはとても都会や都市部と言えない長閑な田舎で、中学の数も少ないんだ。その中学では女子サッカー部がなく、一から部員集めを試みても十一人を超える人数にはならなかったらしい。


 一つの中学校が抱える生徒数もそう多くないから、仕方ないのだろう。




 そこで彼女達やその親御さんから要請を受けた監督が、今年度からFCレポロで『中学生女子の部』をスタートさせることとなった。


 正式名称は『FCレポロ アンダー15ガールズ』。


 ただ、この要請はずっと以前から続いていたもので、どうにかならないかと監督を説得しようとする選手や保護者の姿を過去何人も見てきた。


 何にでも飛びつくタイプの性格である監督――親父――にしては珍しく、二の足を踏んだ印象がある。


 そしてようやく女子チーム設立へ踏み出したものの、どう見積もってもコーチの頭数が足りず……。


 FCレポロの出身者かつ監督の息子でもある俺に、白羽の矢が立った。


 いや……、立ってしまったと表現したほうが適切か。




 暇そうに見えたんだろう。


 中学まで九年あった義務教育期間を全てサッカーに捧げ、更に中学一年生からの三年間に至ってはサッカー留学までして海外で生活を送った。


 しかし留学先の国は日本に比べれば圧倒的に多様な人種がごちゃ混ぜになって成り立っているわけで、そこに加え世界中から将来を嘱望された選手が集められていたものだから、日本の片田舎とは全く異なる環境だった。


 その中で勝ち残るため無理に無理を重ねて練習をした結果、膝の靱帯を損傷。


 ピッチ上で満足にプレーすることが難しくなり、同時に張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れた。


 靱帯は損傷しただけで切れてはいない。ちゃんと繋がっているし回復もする。でもメンタルが、切れてしまった。


 練習をして競い合う気力も体格で遙かに勝る相手に本気でぶつかる勢いも、全て失った。


『オーバートレーニング症候群』と診断され、心身の治療に必要な最長一年の期間を、日本で過ごすことになる。




 ――が、それが中学三年の二月の出来事。




 正直、人生で初めての大きな挫折だ。一年間の治療と休養を経て復帰出来るか、いや、そもそも復帰したいのか?


 物心付く前からボールを蹴り続けていたから今まで何の疑問も抱かずサッカーをプレーしていたが、俺はこんな症状を抱えてようやく、初めて、根本的な問題に悩むこととなった。


 そんな精神状態では日本で全日制の高校に通う気も起こらず、一応復帰を目指すなら『どーせ一年しかいないんだし』と、近場の私立高校にある通信制過程を選択した。


 毎日休まず登校して勉学に励み、大学を目指す。


 もしくは部活動に青春を捧げる。


 どちらも魅力的だけれど、今の自分にはどうにも馴染まない。


 通信制課程の出席日数はかなり自由が効くから、毎日の登下校という負担は無いようなもの。この環境はオーバートレーニング症候群の治療にも向いているそうだ。ある程度の勉強をしながらしっかり体力を落とさないためのトレーニングをしても、まだ時間は余る。


 加えて、日本に帰ってきて暫くはほとんど外出せずに引きこもって、でも習慣的に海外サッカーの中継を見ていたため体内時計が日本ではない時間にセットされたままになっていた。


 日本の標準時よりグリニッジ天文台とかのほうが近い感じだ。現地のゴールデンタイムはこっちじゃ深夜だからどうしようもない。録画を見るのも嫌いではないけど、注目の一戦とか日本人が出てるだと朝のニュースやスマホのニュースアプリで結果を知らされちゃうんだよね……。


 夜な夜なサッカー中継に見入る十五歳というのは、そりゃ、暇そうに見えただろう。


 昼夜逆転で健康にさえ悪い。何しに日本に帰ってきたんだっけ?




 結局のところ、医者から治療と休養を言い渡されて怪我も抱えてる身では大人しくしているしかない。今後の進路を悩みつつも、若干以上に手が空いている。


 焦ってトレーニング量を増やし怪我と症状を悪化させることに対しては、主治医のみならず留学先のチームからも強く念を押されて注意された。


 痛みを隠しパフォーマンスの落ち込みを誤魔化しながら練習した結果こうなったわけだから、俺は既に前科一犯の扱いだ。




 しかしどんな理由はあれど、休養を言い渡されているのに彼女達のコーチなんてものを引き受けているということは、俺は悩みながらも『完全にサッカーから離れる』という選択ができていないんだろう。


 悲しいかな、朝から翌朝までサッカー漬けで生きてきてしまったせいでいつの間にか古漬けみたいになってしまっていた。浸かってるのが当たり前。十五年もの。……うまく発酵してなけりゃ絶対腐ってるだろ、それ。


「体力トレーニングって、持久走とか筋トレよね。そんなことよりボールを使って練習したほうが良いと思うのだけど。チーム練習の時間は貴重なのよ。啓太けいたさんだってボールを使わない練習、嫌いじゃないの?」




 反論をしてきた彼女の名は『瀬崎せざき結衣ゆい』。


 標準的な身長に細目の体格ながら技術と判断力に優れ、中盤より前のポジションならどこでもこなす二年生。このチームでは司令塔の座を争い、中核を成す存在だ。




「もちろんボールを使った練習はする。あと俺も、結衣が言ったように体力トレーニングは嫌いだった。筋トレもだ。――しかし真剣に取り組めば結果に出やすい、美味しい練習だとも思えた。かの宮本武蔵も言っていただろう。『千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす』って。筋肉を、筋肉が悲鳴を上げるまで追い込んで、それを忍耐強く続けるんだ。そうすれば、やればやるだけ差がつく。そして自信に変える」




 ……なんだか筋トレマンのような言い草になってしまった。


 見ろよ。十二人の女子中学生が一斉にドン引いてるぞ。こいつらチンチンには引かないのに。


 まだ説得には言葉が足りないようだ。俺は女子中学生にドン引きされたことで少なくない精神的ショックを受けつつも、それを悟られないように振舞って更に続ける。




「俺の言葉はもちろん、宮本武蔵の言葉も嘘や冗談の類いではない。過剰にならず柔軟性を失わない範囲での筋力は必ず役に立つし、怪我の予防にもなる。もう小学生じゃないんだ。今後競技としてサッカーを続けて試合に勝ちたいなら基礎体力の向上は避けて通れる道じゃない。――そのためにも皆には、自分自身をランナーズハイのような精神に追い込んでトレーニングに励んでほしい。言わばキンニクーズハイだ。……だめだなこの名前。マッスルズハイ。こっちのほうが響きが良いか」




 ほら引け。今のうちに引いておけ。


 そのうち筋トレしないと落ち着かなくて手が震えるようにしてやるから。


 どんな極限状態だよそれ。




 まあ無茶を言っているのはわかる。女の子って筋トレ嫌いだろうしね。


 それに中学生が身に付けられる筋力というのは大人に比べると少ないから、効率が良いとも言えない。


 ましてや急にバーベルを持ち上げさせたりマシントレーニングをさせる気なんてのも更々ない。あくまで基礎的な体力を付けることが目的だ。急激な成果なんて現れないだろう。


 それでも『頑張った』という努力そのものが必ず自信に変わる。




 しかしサッカーというものは楽しいと同時に危険なスポーツでもあるわけで。


 その危険を知った上で楽しみ、競技として勝敗を争う彼女達は既に、サッカーズハイにはなっていると言えるだろう。


①スパイクで足を踏まれて爪が割れる。


②病院に行くレベルで筋肉や腱、時には骨を損傷する。


③競り合った相手の固い頭が顔面にぶつかり、試合中に流血する。


 そういうサッカーにおける『割と起こり得るトラブル』を理解した上で、それでもボールを蹴るのだから、多分、頭がおかしい。普通の人はこんなことに夢中にならない。




 だが、そんなサッカーズハイの彼女達だからこそボールを使わずに行う練習、要するに彼女達からボールを取り上げて行う練習は、しっかり意味を理解してもらわなければ効果的にやり遂げてもらうことができない。


 そのために、ちょっとしたショック療法が必要だったんだ。


 だから俺は身を張って『差』を見せ付けた。彼女たちに三人一組になってもらい、俺一人からボールを奪えるか試させたんだ。結果、過半数どころか三分の二がただの一度もボールに触れられなかった。


 自分のことを大人だなんて思っちゃいないけれど、それなりに鍛えた高校一年生の男子と女子中学生とでは、身体能力の面で大人と子供に近いほどの差がある。


 そもそもボールを扱うテクニックでは彼女達の誰よりも秀でているという自負もある。怪我をしていても、だ。海外に飛び出て彼女達より遙かに特色豊かな、多様な国々で育った選手と真剣に対峙してきた経験も積んだ。


 まだ全力では走れないし、飛べないし、サッカーを続ける覚悟すらも不安定に揺らいでいる。中途半端、宙ぶらりん。


 けれど、悩みながらも復帰に必要なトレーニングはサボっていない。年下の女の子に負ける気は更々ない。




 そして俺は、卓越したテクニックで少女達をチンチンに追い詰めた。




 実力差でコーチの威厳を保ち、説得力を得る。コーチとしての経験も実力も実績もない俺にできるのは、これぐらいだろう。




「とはいえボディビルダーになれと言っているわけでもないし、『ずっと走れ』なんて言うつもりもない。サッカーは、マラソンじゃないんだ」




 彼女達は俺の言葉に少し安堵したのか、表情を和らげた。


 ……持久走、辛い上に長いからね。純粋に走ることだけが好きなら、陸上の長距離をやっているという話で。




「フルマラソンは42.195キロ。サッカーはプロでも10キロ程度。たったそれだけ走れればいい」




 マラソンは全力ダッシュしないし、飛ばないし、ましてボールなんて絶対に蹴らないけどね。サングラスは投げるみたいだけど。


 何はともあれ彼女達はこれから、女子チームとしての戦略的な戦い方と強さを身に付けなければならない。


 男子チームの選手からバカにされたチームメイトのために、その『男子との試合で勝ちたい』と言ったのだから。多少しごかれるぐらいは納得してもらおう。




「限られた練習時間をマラソンに費やすなんて馬鹿げてる。これからは短時間で筋肉を追い込むぞ!」




 また引かれた。一々反応が大きいところは可愛くもあり面倒くさくもある。


 俺に女の子が苦しむ姿を見て興奮する趣味はない。


 怪我を抱えた身で彼女達の相手を務めたのは、指導する俺自身にも覚悟が必要だったからなんだ。

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