第12話 居場所

 チサは百四十六センチで身長が止まる、最初からそう決まっていると口にした。


 まだ十二歳だ。成長が止まるには早すぎるし、何より、そんな将来のことは本人であってもわからないはず。



「低身長症――って、知ってますか?」


「……聞いたことだけなら」



 背が伸びなくなる先天性の病気。


 前に瀬崎が言ったリオネル・メッシがその病気を患っていたという話を、テレビで見たことがある。



「私が身長を伸ばすためには、毎晩注射を打たなくてはならないんですけど……」


「毎晩……って……。じゃあ昨日も? 自分で……?」


「……はい」



 俺は妹の顔に、一度、視線を移動させた。


 だが心乃美は驚いた様子を隠さずに、しっかり首を横へ振る。


 どうやらチサはこのことを、心乃美にも隠していたようだ。預かっている以上、親父は知っていたのだろうけれど……。



「女の子は、百四十六センチまで背が伸びたら、もう、治療に保険が利かなくなるんです。そうなるとかなりのお金が必要みたいで……。お父さんやお母さんに迷惑をかけたくはない……けれど、私にお金なんて、あるわけないじゃないですか。だから、こんな小さいまま大人になってプロを目指すなんて――」


「そう……か」



 一つも、気の利いた言葉を返すことができなかった。


 サッカーは、球技の中では背の低い選手が活躍しやすい競技だ。例えばバレーボールにはリベロという特殊なポジションがあって、そのポジションに限っては背の低い選手が務めることも多くある。ラグビーだって特定の役割に絞れば低身長の選手というのは数多くいる。


 しかしサッカーは百六十センチ台の選手もいれば二メートル近い選手もいて、両者が平等にポジションを奪い合うことも珍しくない。むしろ体格に優れていることが絶対条件であるポジションのほうが少ない。


 ――それでも小さすぎるというのは、やはり、大きなハンデになるだろう。相手より小さければ小回りが利く。重心が低い。でも必要以上に小さいと、体格で劣るハンデばかりが増して絶対的なものになってしまう。



「できるところまでは、頑張るつもりです。頑張って、低身長症でもここまでやれるんだ――って。私のことを見てそう思ってくれる人が一人でもいるなら、それ以上のことは、ないですから」



 丁寧に紡がれた言葉は、ただ前向きなだけじゃなくて、悲壮的な背景を背負っているからこその覚悟のようにも聞こえる。


 例えばメッシの逸話では、所属するチームが低身長症の治療費を負担しながら選手として育成したそうだ。もっとも、それは世界最高峰の才能を見抜かれてこそ……だけど。


 天文学的な数字の稼ぎをもたらす選手にかかった費用として考えた場合、治療費なんて微々たるものだっただろう。例えば百人の選手に治療をして九十九人がプロとして成功しなかったとしても、一人のスターが出れば元が取れるどころか大きく儲かる。そういう世界だ。


 しかし女子選手はスポンサーが付きづらく、稼ぎ出せる金額は男子選手の比ではない。


 海外の女子チームが活動費を賄うために、チームでヌード写真を出した。そんな話すら聞いたことがある。



 サッカーを楽しむ気持ちに男女差はない。


 それでも環境は、大きく異なる。


 もし、チサの才能を持った男子選手がいたら……?


 これほど将来有望な逸材だ。努力の跡も見て取れる。後々どれほどの戦力になるか、ひょっとしたら戦力どころか、いつかは大量の客を呼んだり高額の移籍金を受け取れる可能性も――。


 具体的にどれほどかかるのかは知らないけれど、治療費を出すチームが現れることは絶対にないとまでは言い切れないのかもしれない。



「……そんな顔しないでください。今の私は恵まれているんです。瀬崎さんと同じチームに入って、ようやく一緒にプレーができる。私がどこまで成長したか、瀬崎さんに見てもらえる。ひょっとしたら、役にだって立てるかもしれない。……私の夢は女子チームで、一度叶っているようなものなんですよ」



 そう言われるとU15ガールズの立ち上げが正しかったと思えるし、そのコーチを引き受けたことも、多分、正解の一つだったんじゃないかと思える。



「…………もし女子チームがなかったら、チサはどうしてた?」


「――サッカーは小学生まで。って、お父さんに言われたとおりに、そうしていたと思います」



 チサの父親は、娘が中学の男女混成チームで練習することを認めなかった。


 娘が可愛くて、なによりも大切で、かけがえのない存在なのだろう。判断に正解なんてものがあるのかはわからないけれど、でも、小学生まででサッカーを終わらせようとした気持ちは親になんて当分なりそうにない俺にでも感覚的に理解できる。


 そこから女子チームの話が出て、実際にチームが作られて、俺とソフィがコーチになって、チサは『憧れの瀬崎さん』と一緒にプレーする夢を叶えた。



 ――いや、まだ一度もちゃんとした試合はできていない。


 夢が叶うのは、これからだ。



「結衣とチサちゃんが組んだら、相当強いチームになれるかもね! 結衣はきっと全国大会にも出たいはずだから、それも夢じゃなくなるかも」


「……確かに。瀬崎とチサが同時にプレーしてたら、並大抵の女子チームでは敵いそうにないな」



 俺はチサの将来を思い描き、女子チームの在りかたを考えた。



「だってチサちゃん、ストロベリー・スノウなんて呼ばれてるんだよ」


「………………なんだ、その二つ名」


「髪が赤いでしょ。最初はアニメかなにかの影響で灼髪しゃくはつなんて呼ばれてたんだけど、いつの間にか苺の姫になってたの」


「――――ああ、白雪姫っぽい感じか」


「そうそう。白くて可愛いから、姫」



 白雪姫の英語名はスノウ・ホワイト。ストロベリー・スノウってのはつまるところ灼髪の雪姫――――って感じか?


 ……何それ死ぬほど羨ましいんですけど。


 サッカー選手にとって二つ名とは、憧れすぎて喉から手が出るような存在だ。『神の子』『偉大なるポニーテール』『ゴッドハンド』『氷のゴールキーパー』『爆撃機』『シルバーフォックス』『空飛ぶオランダ人』『皇帝』『ローマの王子様』『ジャックナイフ』『闘犬』『妖精ピクシー』いくらでも出てくる。


 そういや『スノーフレーク』ってのもあるな。


 チームだって『無敵艦隊』とか『銀河系軍団』とか『レッドデビル』……。どうもサッカーってのは全世界共通で中二病を発症するスポーツのようだ。ちょっと痛いぐらいが格好いい。


 もちろん俺も例外じゃなく、憧れはやっぱり『魔法使い』である。特定条件で三十歳になったら自動付与されるやつじゃないよ?



「あー、確かにこうして見ると、苺というか何というか」



 めっちゃ恥ずかしそうに赤面して俯いているチサと、背景の芝生。緑と赤で苺みたいだ。



「チサは、瀬崎が全国を狙うならやっぱり――」


「私も狙います! 少しでも多く、長く、瀬崎さんとプレーしたいんです!」



 顔はまだ赤いけど、隠しもせずにハッキリ言い切った。強い意思を感じる。


 全国大会に出場できるほど勝つ……。そういう目標を掲げた場合に、女子チームはどんな戦いかたをする必要があるのか。


 いや、どんな戦いかたを身に付ければ、その未来が見えてくるのか。


 瀬崎結衣と寺本千智。二人は攻撃に関しちゃ紛うことなき才能を持っている。それで右利きと左利き――か。



「…………チサ。インサイドハーフとかツーシャドーって知ってるか?」


「ええっと、聞いたことはあります。けど……」



 小学生まで、サッカーは八人制だ。


 八人制サッカーではあまり聞かない言葉かもしれない。



「例えばインサイドハーフは、トップ下や司令塔と呼ばれるポジションの辺りを左右に分けて二人の選手を配置する。ツーシャドーってのは、トップ下より少し前、シャドーストライカーやセカンドトップとも呼ばれるところを左右に分けて、二人の選手を配置する戦術のことを言う」



 近代サッカーでは、決して珍しくない戦術――。



「ゴールは真ん中にあるから、左利きと右利きが左右に並ぶとどこからでもシュートを狙うことができるだろ? だからインサイドハーフやツーシャドーと呼ばれるポジションに右利きと左利きの選手を並べることは、一種の理想像でもあるんだ」



 俺はチサの目を見て意図的に声のトーンを落ち着かせ、最大限の真剣味を含ませて伝える。



「チームが勝つためには、瀬崎とチサの力を最大限に活かしたほうが良い。――そうなれば『右利きの瀬崎』と『左利きのチサ』が並んで戦うことになる」


「並んで……?」


「瀬崎の役に立って、沢山勝って、沢山一緒にプレーしたいんだろ?」



 察しが良いのか、チサはゴクリと喉を鳴らした。


 お互いに芝生で座りながら、こっちが恥ずかしくなるぐらいに真っ直ぐな視線を送ってきて、「はいっ!」と答えてくる。



「俺もできる限りのことをする。だからチサには、瀬崎のできることを追うんじゃなくて、瀬崎ができないプレーを補える関係を築いてほしい。チサの左足には価値がある。背が低いなんて、今は気にするな」



 プロとかそういうのは、先のことすぎてわからない。


 でも、少なくともアンダー15というカテゴリーで、チサが必要以上に悩むことはない。今大切なのは悲壮な背景なんかじゃないんだ。


 ――実際、チサの目は揺らぐことなく、しっかり先を見据えているように映った。



「サッカーが好きなら、とことん楽しめばいい。そうすれば必ず未来は開ける――。いや、未来の扉は自分でこじ開けるんだ! 行くぞ、全国大会!!」


「おおっ、お兄ちゃんが良いこと言ってる!」



 なんだその、珍しいものを見たような言い方は。こっちは本気なんだ。久々に熱くなってるんだよ。



「当然、私も協力するよ! チームに勝ちたくない選手なんていないと思うし!」



 妹は標準よりかなり膨らんだ胸にポンと手を当てて勢いよく言う。


 しかし言い終えると今度はおもむろにチサの傍まで歩いて、俺の反対側に腰を下ろした。


 二人でチサを包むような形になる。



「…………ね? だからもう、一人で抱え込んじゃ、ダメだよ」



 急に温和で優しい声に変わる。――一瞬、心乃美の顔が母さんと被って見えた。



「チサちゃんの居場所は、ここだからね」



 チサは昨日の晩、誰にも知られることなく一人で注射を打った。どこにどういう風に注射を打つのかなんて想像もできないけれど……、心細い想いをさせてしまっただろうというぐらいは、わかる。


 いつ打ち明けるか、いつまで隠せるか、悩んでいたのかもしれない。


 後悔に近い想いが兄妹で通じていたのか、熱く語った俺に対して、心乃美は口調を落ち着かせて最後は柔らかな表情で言葉を口にした。


 いつの間にか心乃美も成長していたんだな。



「そうだ。あと、チサさえよければソフィにも低身長症のこと訊いてみるよ。あいつ物知りだし、ひょっとしたら解決策があるかもしれない」



 すると、チサは嬉しそうに笑って「――はい」と小さく頷いた。


 ……この可愛さは姫だわ。

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