第5話 ぼっちぼっち

 高校へ入学して初めての通常授業。


 ――と言っても、通信制課程は生徒数も少なく登校日の自由が効きやすい。そういう事情もあってか教室には机の余白と空席が目立った。


 とりあえず教師の自己紹介のようなものを受けた後は個別形式に近い状態で、基礎的な部分から授業が始まる。日本の授業についていけるか心配だった俺にとって、これは幸いだった。



 昼休みを告げる音が鳴り、グッと背筋を伸ばす。


 ようやく弁当が食える。



「友達はいないの?」



 ただ……席順が決まっていないのを良い事に、ソフィがずっと、朝から隣の席に陣取っている。



「そりゃそうだろ。実質、今日が初日みたいなもんだ」


「なら丁度良いよ。私も友達いないから!」



 えっへん、と標準的な胸(推定)を張るが、やはり、「だろうな」としか返せない。


 だからこそこうして二人で並んでいるんだ。



「ぼっち、ってやつだよ!」



 言い切った言葉に反して笑顔で、全く寂しそうじゃない。


 というか、ぼっちという言葉をこんなに楽しそうに口にする人間、初めて見た。


 俺がいるだろう……とも思うが、それを言葉にするのは何となく気恥ずかしい。


 ま、友達がいないことで本気で落ち込んでいるなら、いくら俺でも恥ずかしさを隠して気を利かせるところなんだけど。やたらと楽しそうだし、変に置いていかず一緒にいれば十分だろう。


 ……むしろコミュ力で言うならソフィの圧勝なわけで、置いて行かれるとするなら俺のほうか。



「私は日本の知り合いが少ないから仕方ないけれど……。ケイタに友達がいないのは、想定外だよ」


「ぐっ――、直球だな」


「回りくどいのは、あんまり好きじゃないから。でも全日制のクラスに行けば、昔の友達とかいるんじゃないかな?」


「……ここは全日制にもサッカー部がないからな。スポーツっていうより吹奏楽とか、そっちのほうが強い高校だ。昔の友達も、多分ここは選ばないだろ」



 サッカー漬けの毎日を送っていた頃に特別親しくなった友達は、殆どが同類だった。


 今でもサッカーを続けているかは知らないけれど、元々の性格が変わっていないなら、どちらかというとスポーツに強い高校を選ぶように思える。


 加えて――、



「そもそも友達なんて、限られた人数で構わないと思ってる。それじゃダメか?」



 交友関係を広げることに時間と労力を使うよりは、その分、他のことを頑張ったほうが良いとすら考えている。これは本気で、本当に。


 選手としてアカデミーチームに復帰するなら一日でも早く怪我を治し、よりスケールの大きな選手になって復帰するのが理想的だ。怪我を克服して見違えた選手になる例は珍しくないのだから。


 そのためには使える時間を最大限練習に使うべきだろう。どうしても、そのモチベーションが出てこないんだけど。


 本当に元に戻れるのか、戻ったとして更に成長出来るのか、考えると憂鬱だ。自信がない。一番好きなことに対してもこんな感じなんだ。適当に友達を作って楽しくはしゃげる気なんて全然しない。



「……ううん。その気持ち、ちょっと解るよ」


「意外だな。ソフィは友達多いだろ」


「そう思ってたけれど……。日本に来てから、あんまり連絡来なくなっちゃった。皆の楽しそうな写真は沢山見られるけど、そこに私、いないね」



 ……SNSを覗けば、友人の近況を知ることができる。全く以て不便な時代だ。


 俺だってアカデミーチームのSNSは一応見ているし、そこに俺がいなくても、練習も試合もスケジュール通り動いて皆が笑顔でいることを知っている。


 そういうのを見るのが辛くて、悔しくて……。最近は、あまり見ないようにしている始末だ。通知をブロックしていた時期すらある。



 サッカーなんて大人数のチームスポーツをやっていると、確かに交友関係は増えていく。けれど全員と親友になれるわけじゃない。


 大体は学校の中と同じで、コミュニケーション能力に長けた人間が太陽のように中心にいて、俺みたいな人間はその周辺を惑星か衛星の如くぐるぐる回っているだけだ。


 でも、それでいい。


 時々軌道が似ているやつがいると、そいつとだけちょっと仲良くなる。


 それだけでいいんだ。



「そういえばケイタ、イギリスに来て最初の頃は、ちょっと変だったね」


「うっ……、それは忘れてくれ」



 ある日本代表の選手が『コミュニケーションは下ネタから始まる』というようなことを言っていた――。そんな記事を読んだんだ。


 真に受けた俺は、紳士の国イギリスで、それを実践した。


 別にイギリス人が下ネタを言わないわけじゃない。ただ中学一年生の日本人が時と場所を考えずにカタカナ発音で下ネタを言う様は、同年代にとって奇異だったのだろう。


 コミュニケーションは、始まるどころか、そこで終わってしまった。思い出すだけで泣きそう。



「正直に言うと、今でも女の子達の前でケイタが何を言うのか、ちょっとヒヤヒヤするよ」


「……俺、そんなに酷かったか?」


「小学生とセクハラオヤジが混ざったみたいな、絶妙な匙加減だったね」



 言われても空笑いしか返せない。


 なにせ下ネタの基準が酒の入ったコーチや親父だったからな! そういう評価を下されるのも自然というか、納得出来てしまう。日本にやってきた留学生が不安定な発音でオッサンレベルの下ネタを繰り返していたら俺だって絶対距離置くからね。……ぐすん。


 これ以上古傷をえぐられる前に話題を変えたいと考えて、唐突に「ソフィは日本語の授業、大丈夫だったか?」と問う。



「うん、大丈夫! 先生は優しいし、日本語はお姉ちゃんが教えてくれたね!」


「セルヴィさんが?」


「昔から世界中を飛び回ってるけれど、特に日本が好きだったし、パパのお気に入りも日本だったから、家の中に漢字が書かれたTシャツとかコップとか沢山あったんだよ!」



 確かに、そういうグッズは土産物としてもよく売れると聞く。たった二十六種類で発音を綴るアルファベットのシンプルさに比べると、千字を超える種類があり一つ一つに色々な意味が込められている漢字というものは、異国文化として面白いのだろう。



「ケイタ……もしかして、心配してくれてたの?」


「心配って言うか、俺も三年ぶりで、あまり人のことは言えないからな」


「……そっか」



 ああ。朝に素直になることの重要さを知ったばかりなのに、結局、気恥ずかしくなって言葉を濁してしまった。自分から率先して言うのは気恥ずかしくても、向こうから訊かれた時ぐらいは「そうだよ」と言ってあげたほうが、きっと安心してくれるのに。



 正直、自分のことは、どうにかなると思っている。これでも日本生まれ日本育ちの日本人だ。多少勉強の遅れはあるけれど、取り返せないほどとも思えない。例えぼっちになったとしても慣れてるし、そんなに孤独じゃない。


 でも留学中に率先して声をかけてくれたソフィのことは、心配だった。こいつはいつも大勢の友達に囲まれていたから……。なにか困ったことがあれば、すぐ助けるぐらいのつもりだ。



「ねえケイタ、ちょっと場所変えないかな? ここはなんだか、視線を感じすぎるよ……」


「ん……?」



 周囲を見てみると、何人かの生徒が遠巻きにこちらを見ているようだった。


 殆ど黒髪一色の教室にブロンドで青い瞳の留学生――目立たないはずがない。


 何よりも、そういう視線がどうにも気に掛かるというのは、経験から理解できる。多分この教室に金髪碧眼のソフィがいるよりもイギリスの学校に黒髪のアジア人がいるほうがずっと普通なのだろうけど、それが言葉の通じない留学生となればやはり、妙な視線を感じることは少なからずあった。まあ、下ネタでやらかしたしね!



「じゃあ、屋上にでも行ってみるか」


「行きたい! ……あと、昨日のフットサルでも気になることあったね。折角だから屋上で一緒に見るよ!」



 校則でスマホが禁止ってわけじゃない。


 でも、確かにここよりは屋上のほうが良いだろう。動画を見るなら多少、音も出るだろうし。



「ん、わかった。行こうか」



 川舞かわまい学園は幼稚舎から高等部まであり、中等部までは女子校で生徒数も少ない。しかし高等部は数年前に共学化された影響もあり生徒数もそれなりに多く、そこへ合わせて校舎も建て替えてゆとりある造りになっている。屋上に至っては公園のように整備されているそうだ。

 高校野球では女子校が共学化されて僅か二年後に男子野球部が日本一になったこともあるそうで、女の子が沢山いる高校に入って女の子の応援を受けながら張り切っちゃうほうがリア充的青春を謳歌しつつ頑張れるのだろう。男とは単純でアホな生き物である。

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