第2話 ボールトントンにも色々ある

 俺は足下にあったボールをつま先でポンと浮かし、とりあえず十回ほどトントンとシンプルなリフティングを繰り返す。


 これは注目を集めるための時間でもあり、これから始まる一芸・・の前置きだ。


 軽く「「わーっ」」なんて声が上がって関心を引いたのを確認したところで、リフティング中に浮いたボールを跨ぐ『回し技』を披露。これは『アラウンドザワールド』なんて必殺技みたいな名前で呼ばれることもあるけれど、リフティングの技術では基礎に近い。つまり、まだ先がある。


 少し高く浮かせて、おでこを使ったヘディングリフティングを数回。最後は「よっ」と後ろ首に乗せて停止させた。


 この一連の流れは、リフティングを披露する際の定番と言ってもいいだろう。


 まあリフティングは実践的な技術とは少し違って、遊びというか、曲芸に近いものだ。リフティングが上手いからサッカーが上手いということはなく、サッカーを練習する中で(個人差はあるが)副産物のようにリフティングも上手くなっていくだけのこと。


 パチパチパチパチ――と拍手が幾つも重なって、ちょっと得意げな気分になった。きっと俺の鼻は今、ソフィよりもずっと高い。精神的な意味で。



 単なる遊びなのに、こうして注目を集めたり自慢できる。これがリフティングの重要なポイントだ。


 ……………………うん。そうなんだ。年下の女の子にちょっと上手いところを見せつけたかったんだ。歌手志望者が一般人とカラオケに行けば、上手いと褒められるだろう。自信もつくだろう。それと同じで、サッカーをしている人間にとってリフティング芸はアピールタイムに他ならない。


 拍手を浴びて大満足である。えっへん。



 ――ちなみに余程の理由がない限り、試合中にやると監督に怒られる。烈火の如く怒られる。更に相手チームから見れば不要なリフティングイコールふざけた遊びだ。侮辱行為となって試合が荒れる。血の気が荒い相手なら乱闘に発展してもおかしくない。


 俺は一度イギリスでやらかして、違う意味の異種格闘技戦に発展させてしまったことがある。黒人も白人も黄色人種も平等に殴り合うんだ。恐ろしいことこの上ない。張本人の俺が両軍を宥めていたときは、『あれ、これ俺が原因じゃなかったっけ?』と何度も疑問に思った。結局のところ血の気の荒い連中にとっては、一度火が付けば原因なんてもうどうでも良いのである。


 もちろんあとで監督に憤怒ふんぬされた。俺を筆頭にチーム全員が、だ。

 しかし、そうしてチームの結束が増した。正にOne for allワンフォアオール , All for oneオールフォアワン……いやいや美談で終わるほど軽い話じゃなくて、本気でヤバかったから。試合中のボールトントンは絶対にオススメしない。一人一人が命を大切に!



「――と、こんなところかな」



 何事もなかったように平静を装って言い、中等部一年の生徒たちに視線を向ける。「すごーい」なんて言われて更に得意げになる。気持ちいー♪



 さて、と生徒の顔を見回すと奥に一枝いちえだ果林かりんの姿があった。隣には例によって例の如くチサ――寺本てらもと千智ちさとがいる。



「果林だって少しぐらいできるだろ。ほら、前に出てやってみろよ」



 二人は、他の生徒たちとの距離を縮めるための良い取っかかりだ。



「そんなの余裕ですよ!」なんて言いながら楽しそうに前へ出てきた果林にボールを渡すと、足下に落としてそのままトン、トン、と少し不安定ながらリフティングを九回連続させた。


 彼女は経験が浅くボールを扱う技術にも特段優れてはいないが、遊びと練習の境目が存在しないタイプだ。準備運動ウォーミングアップ休憩時間インターバルにリフティングを練習する姿を何度も見かけている。


「ありがとう」と前へ出てくれたことに例を伝えて、続けて「前より上手くなったな」と言ってやると無邪気に笑ってくれた。チサの気恥ずかしさが混じった無邪気さとも少し違う本当に子供らしい純粋な無邪気さだ。これはこれでとても愛らしいものがある。


 最近はスランプ気味だから落ち込んでいないか心配していたのだけれど、今の表情を見ると大丈夫そうだ。安心できた。


 時間も限られていることだし、ここでリフティングの時間を終えたほうがスムーズに実践的な授業へ移れると思った。――だが果林は



「チサもやってみて」


 と言い出してしまう。


 もう一度言うが時間は限られている。あまり時間をかけるべきではないと思って……つまりチサなら延々と繰り返してしまえるから、あえて果林を呼んだのだけれど。


 女性体育教師の顔を見ると、「折角なので」とチサに前へ出るよう促した。



「わっ、私ですか!?」



 自分の顔を指さして周囲をキョロキョロ見回す。「ちーちゃん先生より上手くやっちゃだめだよーっ」なんて言われて期待されていることを感じ取ると、もの凄く恥ずかしそうに俯きながら前へ出てきた。


 ……そうなんだよ。この子、俺より上手くやっちゃうんだよ。――あと学校では『ちーちゃん』って呼ばれることもあるのか。新しい一面を見た気がする。



「じゃ、じゃあ、いきますっ」



 宣言をしてリフティング開始。


 トントンと続けて回し技。内回りと外回りを交互に。そして跨ぎながらジャンプする『スクールアラウンドザワールド』。更に空中のボールにトトンと二回触れる『AKKAアッカ』を応用した、もう名前なんか知らねえよの技。


 うーん。やっぱり俺もちょっとできないなーと唸らされるリフティングを披露して見せ、生徒達どころか先生までサーカスでも見ているかのような眼差しを向ける。



「――と、こんな感じです……」



 明らかに俺がやった時を超える音量の喝采を受けて、チサは顔を真っ赤にしながら元の位置へ戻っていった。


 ひときわ目を引くことができるのに、目立つことは苦手。リフティングだってきっと、誰かに披露するために覚えたわけではないのだろう。邪心がない。



「レポロに入ったら誰でもできるようになるよ!」


「できるか!! 十何年やっててもできんわ!!」



 ソフィの言葉に突っ込みを入れると、笑い声が鳴る。漫才か。



 それから二人一組になってもらい、パス交換を指導した。


 足でボールを止め、まっすぐ蹴る。基本中の基本であり体力もいらない。


 ボールを蹴る生徒達の姿を一人一人観察していると、そつなくこなす子もいる一方で、うまくボールを止めることができなかったり、まっすぐ蹴ることのできない子もいた。


 だが全体の印象としては、真面目に取り組んでくれているし、上手くできるように指導をすると笑顔も見ることができたから良い感触だ。


 みんながサッカー好きということは無いはずだが、単純に体を動かすことや『できた』という実感がそうさせているのだろう。



 このパス交換は準備運動ウォーミングアップも兼ねている。


 終わると二人一組を解体して全体をざっくり二つのチームに分ける。そのままグラウンドを大きく使った試合をする運びになった。これは最初から俺たちにも伝えられている。


 基本的なルールは座学の授業ですでに教えてあるそうだ。



 とは言え、三十人を二つに割れば十五人対十五人。サッカーは十一人で戦う競技だから四人が余ってしまう。


 でもこれは体育の授業。公式な試合でもなければ勝敗を争う競技でもない。運動と学習が目的であって、サッカーの形にそれほどこだわる必要はないだろう。


 スタメンや控えベンチという概念を消し去り、ラグビー並に多い人数で試合をはじめてもらった。


 楽しむだけならサッカーは厳格なルールに従わなくてもいい。極端に言えば『ボールが一つあれば成立するスポーツ』であり、自由に楽しむのもまた一興だろう。



「みんな、楽しそうだね」



 ソフィは心底嬉しそうに生徒達の姿を見守っていた。コーチもそうだが学校の先生にも向いていそうだ。


 戦術も無ければ技術も無い。ボールに向かって人が集まって、その集団がグラウンドを移動する、まるで子供のサッカーそのもの。


 審判を務めることになったら――と、とりあえず笛も持ってきたのだが、先生が審判役をしている。もし俺が審判役をしていたとしても、よほど危険なプレーじゃない限り笛の出番は開始と終了の合図だけに終わるだろう。


 体力だって人それぞれで見るからにバラバラ。経験者と未経験者、運動が得意な子と苦手な子、色々な人間が入り交じる酷く歪なサッカー。



 ――でも、自分も混ざってしまいたくなるぐらいの躍動感だ。


 すぐにでもボールを蹴りたくなってしまう。



「こういうのを『初心に返る』って言うのかな」



 呟いて、チサや果林の表情を遠目に見てみる。


 二人とも別々のチームに分かれて後ろのほうでカバーをしているのだが、やはり楽しそうに笑っていた。



「……俺だって最初は、ボールを追ってるだけでも楽しかったんだよな。いつの間にか勝つことが目的になって、負けたくなくて、誰よりも練習して…………。そういうのも楽しめたけど、でも原点ってのは多分、そこじゃない気がする」


「うんっ。楽しいと好きが原点だよ!」



 どちらもソフィが大切にしているものだ。彼女の言動にブレがないのはきっと、そういう信念を持っているからだろう。


 ちょっとだけ羨ましい。


 勝ち負けは相手があることだ。こいつには負けたくないとか、こいつには勝てるとか、チームの中で競争に勝ちたいとか、どうしても相手や集団に依存して相対的になってしまう。


 でも、楽しいと好きは自分の中にある。誰にも依存しない絶対的な感情だ。揺るぐことはない。



 先生が試合を終える笛を鳴らすと、そこそこに汗をかいて生徒達が戻ってきた。


 簡単に別れの挨拶を言うと、生徒達から綺麗に揃った「ありがとうございました!!」を受け取ることができた。


 ソフィが目を輝かせる。



「日本の学校、凄いね!」



 礼節に加えて統率まで取れていることに感動したようだ。

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