第7話 たった一日

 ようやく木曜。

 ほんっ――と、ようやく練習日を迎えた。長かった。

 次の練習日である土曜には準決勝があるから、実践までに使える練習日は今日のたった一日だけしかない。

 なのに――。


「親父――じゃない。監督、ソフィは?」


 事務所の中にソフィの姿がない。さっき通ってきたグラウンドにも見当たらなかった。


「外回りに行ったぞ。ガールズチームの練習は啓太に任せる――と。聞いていなかったのか?」

「マジ……? 次の試合までに、今日しか練習日がないんだけどな……。何考えてんだ、あいつ」

「本人の志願だ。――もちろんチームの事情は理解しているが、管理者としてソフィの意志を尊重したいところでもあり、意欲的な理由だとも感じた。今日のことは啓太に任せる」


 U15ガールズに向ける熱量では誰にも負けないように思えるソフィが、練習日にわざわざ外回りを志願……? どうにも腑に落ちない。


「理由ってのは?」

「いずれわかる。今は彼女たちの練習に集中するんだ」

「はぁ……」


 教えてくれないってのも、よくわからん。知れば集中を欠くような理由なのであれば悪い方向のように思えてしまうが……。あいつ、本当に一度いなくなってるからな。

 しかしまあ親父の言うことももっともで、俺はソフィの不在に振り回されず、やれるべきことをやるしかない。


「そう不安そうな顔をするな。ガールズチームにとっては吉報もある」


 親父は表情を伺うようにこちらを一瞥してから言うと、デスクの上に置かれていた一枚の紙を取って手渡してきた。



 練習に集まってきた選手がウォーミングアップを始めた頃。

 俺は一人の女の子を連れてグラウンドへ出て、ピィッ――と集合の笛を鳴らした。

 集まってきた選手の前で俺はまず、この間の失態を謝罪する。


「みんなに謝らないといけない。前回の敗戦で感情的になってしまった。本当にすまなかった」


 丁寧に頭を上げて誠心誠意謝り、続けて倉並姉妹へ向かって「特に七海と美波には、悪いことを言った。本当に反省している」と伝える。

 すると双子の姉である七海が「だ……大丈夫ですよ! コーチの言ってることが正しかったと思いますからっ」と、物凄く申し訳なさそうな顔で返してくれた。

 更に妹の美波が続ける。


「――私も言い方とか、そのっ――。…………あの時はちょっと卑屈になってました。……ごめんなさい」


 はじめて美波の本音が聞けたような気がして、内心ホッとした。他の選手も、俺が頭を下げた瞬間は少し驚いたようなどよめきがあったけれど、顔を上げた今は動揺の色もなく落ち着いているように見える。

 ――で、終わりなら良かったのだが。どうもそう簡単にはいかないようだ。


「仲直りの握手ぐらいしないのかなぁー?」なんて物凄く聞き慣れた、多分十年以上耳にしてきた声で言われる。

 心乃美のヤロウ……。さてはこの状況を楽しんでやがるな。


「今ならハグぐらい許されますよ!」


 今度は体育会系のノリが濃い、快活な音調。キャプテンの守内真奈か。


「許されるか!」


 とりあえずツッコんでおくと、みんな笑って許してくれた。

 七海がスッと手を出してきて、自然と握手。次いで美波もこちらの顔を見はしないものの照れくさそうに手を出してくれて、完全にわだかまりが解消したと感ることができた。

 男同士ならここまでしない気がするけれど、これが女子チームのノリってやつだろうか。照れくささはあったが後に引く感情は完全に無くなった。こういう雰囲気もチームの結束には良いのかもしれないな。……乱闘で絆を強めるよりは真っ当だろう。うん。


 全体の雰囲気が和んだところで「あと、嬉しい報告がある」と告げる。

 続けて少し引いた位置で落ち着かなさそうにマゴマゴしている女の子の背中を押し、前へ出した。


「自己紹介、できる?」

「は、はいっ! えっと……、一ノ瀬有紀、中学二年生です。えっと、その……サッカーは見るばかりで経験はないんですが、今日からお世話になります!」


 随分とかしこまっているが、初日だから緊張して当然だろう。

 瀬崎結衣や釘屋奏、倉並姉妹と同じ中学で、あの授業で思い切りの良いゴールを決めた『見る専』の女の子。

 あの日、ソフィは冗談のように生徒を勧誘する言葉を口にしていたが、まさか本当に加入してくれる子が現れるとまでは想像していなかった。

『わぁ!』と嬉しそうな声が聞こえてきそうなぐらい大きな目を輝かせたチサが、真っ先にパチパチと拍手を鳴らす。次いで三年生達が。そして全体に拍手が広がって新人を暖かく迎えてくれた。

 同じ中学の同級生が四人もいることだし、上手くチームに溶け込んでくれたら嬉しい。


「よし――っ。じゃあ今日は、戦術練習に時間を割くぞ。土曜の準決勝と日曜の決勝に向けてポジションと戦術を少し変えていこうと思う」


 言うと今度は、選手達の顔がキュッと引き締まった。

 敗北を喫した次の試合は重要だ。連敗を避けたい気持ちでいるのは、俺も彼女たちも同じなのだろう。


「一日では付け焼き刃になるかもしれないが、できるだけ各自の役割を理解してほしい」


 口にしていて改めて思うけど、たった一日でポジション変更やら戦術変更やらってのは、無茶ぶりもいいところだ。一緒に決めたソフィに至ってはこの場にいないし。

 三年生はキャプテンであり中央の守護者センターバックとなる守内もりうち真奈まな守護神ゴールキーパー手島てしま和花わかを中心にどっしりと構えている印象だが――。

 前回の試合で狙われた釘屋奏と倉並姉妹。特に倉並姉妹をサイドの守護者サイドバックに据えたのは『スタミナと諦めない姿勢を評価した』という割と単純な理由だったわけだけど、実のところ中学一年生の期間を駅伝に費やした彼女たちは、チサや一枝果林と同じで八人制から十一人制への移行者である。

 戦術やポジションという以前の問題で、十一人で競技サッカーをすること自体に慣れがない。

 常にゴール前を守るセンターバックに比べれば絶対的な守備力は求められないものの、現代的なサッカーでサイドバックというのは時に『最重要』とされることもある『超高難易度』のポジションだ。

 これまでは倉並姉妹にほとんど守備だけを求めてきたが、ここで攻撃の役割を与えて進化を促す。彼女たちの中に結衣やチサのように戦いたいという願望があるということは、攻撃でも役割を果たせる選手になりたいという意味も含まれているだろう。

 他方、釘屋奏は守備専門で……。なんというかこいつは、本当に守備しかしない。攻撃偏重スタイルの俺からすると、にわかには信じられないぐらいだ。

 但し、守備しかやりたくないからサッカーには不適格、なんてことはない。珍しいことではあるけど。

 むしろ不平不満もなく望んで守備をして、その上でしっかり守る力を持っている選手というのは、非常に貴重な存在と言えるだろう。

 彼女には無理に攻撃の役割を与えるよりも、しっかりと守ってもらう。そうすれば最強の盾になれる可能性がある。

 俺は事前に用意しておいた戦術指示用のホワイトボードへ、背番号を貼り付けた大きめの丸いマグネットをくっ付けた。

 そこに陣形フォーメーションを形作って、伝える。

 矢印を書き込んだりしながら役割の違いを伝え、マグネットを動かし、奏と倉並姉妹に与える課題の難しさを表現した。


「現代サッカーの中では段々と珍しくなくなってきた戦術――つまり浸透しはじめているものではあるけれど、実行は簡単じゃない。特に七海と美波にとっては新しい挑戦になるだろう」


 ここまでは戦術の説明ということもあって、選手を過剰に動揺させないためにも淡々と冷静に伝えた。

 しかしここからは、自分の言葉に淀みのない熱を込める。


「――だが、これができるようになれば選手としてもチームとしても、一皮剥けた成長ができる! 勝ち負けも大事だが、俺はみんなに挑戦をしてほしい。そして何より、みんなならできると、本気で信じている!」


 この感情が彼女たちに伝わることを願う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る