4-24 絶望なんてする気にならない — I do Never despair

 暗く薄汚れたアンダーグラウンドをユキコは息の続く限り走った。背後から銃声が聞こえるが随分遠い。逃げ切れたのだろうか。いや、決して油断は出来ない。

 動かなくなった働き蟻を調べていたユキコとネイサンは自律型無人機械に襲われた。六本足の甲虫のような自律型無人機械に追われて、アンダーグラウンドを奥へ奥へと潜るうちにユキコはネイサンとはぐれ、気がついたときには暗闇の中で一人ぼっちになっていた。

 懐からアイグラスを取り出し、周囲の生命反応を確認する。ユキコの住む下層界ではアイグラスは貴重品だ。アイグラスを巡って人が殺されることもある。だからユキコは普段は身につけていない。生命反応がないことを確認してから暗視ゴーグル機能を起動して周囲の映像を呼び出す。ユキコがいるのは古い地下鉄の線路跡。遠くに非常灯が見える。周囲の映像は分かるが、自分のいる場所はわからない。ネイサンはどうなっただろう。いや、弟は自分よりもずっと賢い。きっと危険を避けて今頃私を探してくれているはずだ。


 最初は目眩かと思った。


 地面が揺れている。地震にしては随分長い。揺れは大きくはないが、いつまでたっても収まらない。どこかで工事でもしているのだろうか。収まらない揺れは不安を駆り立てるが、どうすることもできない。ユキコは諦めて歩き出す。機械の暴走と揺れる地面。その間に何か関係があるのだろうか。ユキコにはわからない。ミオがいてくれたら。そう思うがどうすることもできない。

—こんにちわ。


 急に呼びかけられてユキコは思わず足を止める。少女の声。周囲を見回すがアイグラスの生体反応は当然のようにゼロサイン。ユキコは困惑して首を振る。


—驚かせてごめんなさい。私は遠いところから話しかけているの。


 まただ。頭の中に響くような声。妄想かと思ったが、それにしては随分とはっきり聞こえる。少し首を振った後、ユキコは意識を自分の内側に集中させる。


—あなたは誰?幽霊さん?

—よかった、優しくて賢い人で。お願いがあるの。あなたにしかできないこと。今、そこにいる、あなたにしか頼めないことなの。でもまずはそこから移動してほしいの。


 少女の声には不思議な、抗いがたい力がある。でもそれとは別に、この少女の言うことは信用できる、という直感のようなものも感じる。下層民として随分とひどい暮らしを送ってきたユキコにはその声や喋り方で分かる。この少女も心の奥に何かを抱えている。それは言い知れない悲しみや憎しみのようなものだ。その感情を必死に抑えている。自分よりも年下なのに。


—わかったわ。あなたが指示して。


 そこから彼女の指示通りにユキコは動き出した。地下鉄の線路脇の小さな扉を開き、現れた階段をさらに下へと下る。迷路のような暗い通路を、少女の指示の通りに歩き続ける。

 歩きながら少女から聞いたのは信じられないような話だ。東京の地下に原子力発電施設があるという噂は聞いていたけれど、それが本当だなんて。それにその原発が、制御を失った超高性能AIのせいで暴走しようとしている。暴走したら東京はおろか、この国自体が人の住めない国になる—。

 話を聞いているうちにユキコは走り始めていた。原発の暴走まで時間がない。AIをパージできるのは制御施設に最も近い場所にいた自分だけ。ここに自分がいたのは、何かの運命なのだろうか。いつしか暗く湿っていた道は、整然として無機質な通路へと変わっている。制御施設が近いのだろう。


—あった。


 地下施設のオートロックは解除されていて、ユキコは難なく入り込むことが出来た。守護用の自律型無人機械も無効化されている。MIKOTOとILAMSのメンバーの最後の抵抗の跡。

 ユキコは少女の指示に従って制御施設の最深部、オペレーションルームに入る。床も天井も、四方の壁も白く輝く無機質な部屋。予想外の事態アクシデントを防ぐため、重要な部屋ほどシンプルな作りになっているそうだ。部屋の中央にはホログラフィックコンソールが既に起動している。ユキコは少女の言う通りにキーを打ち込む。床からプラスチック製の防爆ケースに覆われたハンドル型のパージスイッチが現れる。ユキコは迷い無く右手でハンドルを握ると、そのまま180度回転させ、ぐっと押し込む。

 ガチャン、と何かが外れるような音。その後、部屋の四方の壁に赤い文字が並ぶ。

—成功よ。ありがとう。あなたのおかげで、希望は繋がった。

—ねえ、お願いがあるんだけど。あなたの名前を教えてほしいの。

—私の名前はソラっていうの。

—素敵な名前ね。私はユキコ。ねえソラ、今度、会ってみたいわ。本当のあなたに。

—ええ、ぜひ会いに来て。私は、仲間と一緒に東京の一番高い場所にいるわ。あなたなら大歓迎よ。


 施設からの脱出経路を示すマップがアイグラスに転送されてきて、そこでソラの声は途絶える。ユキコは急に心細くなる。その存在さえ秘匿されていた東京の地下の広大な無人施設に一人ぽつんといる。その事実に笑い出しそうな、泣きそうな気分。でもきっと、自分のやったことは正しいことだ。そう思い、部屋を出ようとしたところで、ユキコのアイグラスが異常を知らせる。守護用の自律型無人機械が、閉ざされた扉の向こうに集結している。MIKOTOがパージされたことでMIKOTOの束縛から解放された機械たちが本来の役目を果たそうとしている。幸いにもオペレーションルームへのアクセス許可は下りていないらしく、機械たちは部屋の中には入って来ない。でもユキコが部屋の外に出た途端にスタンガンで取り押さえられるだろう。下手したらその場で殺されるかもしれない。

—どうしよう。

 ユキコは部屋の床にへたり込む。この部屋の中はいつまで安全なのだろうか。どうすれば外に出られるのだろうか。考えることは多いけれど、不思議と不安な気持ちにはならない。この数時間で、不思議な体験は嫌と言うほどした。この先、まだ不思議なことは起こるかもしれない。


 だから絶望なんてする気にならない。


 ユキコは壁にもたれると膝を立てて床に座り、そのまま今日の出来事に思いを馳せる。

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